足を運んでみると見える景色 【舟越美夏✕リアルワールド】
ひょんなことからパキスタンに行くことになり、飛行機の切符を買ったのは4月中旬だった。出発を心待ちにしていたが突然、旅の気分が断たれた。
インドが実効支配するカシミール地方で起きたテロ事件をきっかけに、インドとパキスタンの緊張が一気に高まったからだ。対立は度々起きているが、核保有国である両国は戦火の拡大を実際には望んでいない。しかし「今回は違うかもしれない」と現地の友人が言った。新たな兵器を投入して威嚇し合い、先行きが見通せないという。パキスタン行きの飛行機は欠航になった。
2002年5月の対立を思い出した。100万人の兵士が国境地帯に集結しているといわれ、核戦争の可能性が囁(ささや)かれた。外国人が退避し、両国間を飛ぶ民間航空機は国境上空を避け、通常の2倍の時間をかけて運航していた。

当時、共同通信記者の私はアフガニスタンでのルポ取材を終えパキスタンの首都イスラマバードに移動したところで、そのままイスラマバード支局に留(とど)まるよう指示された。数日後、インドに移動しニューデリー支局を応援することになり、ジャーナリストビザを取るためにインド大使館に出向いた。「こんな緊迫した状況ではビザを発給してくれないのでは」と心配したが、総領事はあっさりと発給してくれた。
「ニューデリーへ行く最も簡単で安全な方法を教えましょうか」。総領事が言う。「陸路で国境を越えるんです」
予想外のアドバイスに驚いた。国境には100万人の兵士が集結しているのでは? 総領事はニヤリと笑った。「あまり知られていませんが、お勧めです」。北部のワガ国境から出国し、歩いてインド側に入るルートである。総領事が言うからには間違いなさそうだ。
ワガ国境まで送ってくれた運転手は、別れ際に「インドの奴(やつ)らには気を付けろ」と心配そうに言った。出入国管理事務所でパスポートに出国スタンプを押してもらった後、歩いてインド側の管理事務所へ。ほかには1人の旅行客がいるだけだった。駐車場まで歩くと、ニューデリー支局長が手配してくれたタクシーが待っていた。「パキスタン人は変な奴らだったろう?」。運転手の言葉に苦笑いした。
総領事は正しかった。パキスタンの国境地帯からニューデリーに到着するまで、私は1人の兵士にも会わず軍用車も見なかった。両国は威嚇のパフォーマンスを国民向けにしていただけなのだろうか。キツネにつままれたような気分だったが、足を運ばないと分からないことは多いと、つくづく思った。
イスラマバード行き航空券をキャンセルした直後の今年5月上旬、両国は停戦に合意した。仕方がない。代わりに私はウズベキスタン行きの切符を買った。
今、その隣国、アフガニスタンにいる。この国の本当の状況は現場に来ても分かりにくいが、ワガ国境を歩いた時のように驚きの連続で楽しい。にこやかな女性の入国審査官、改善した治安、欧米人観光客。バンデアミール湖の空よりも深い青は、脳裏にいつまでも残るだろう。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 23からの転載】
舟越美夏(ふなこし・みか)/ 1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。
記事提供元:オーヴォ(OvO)
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