井上尚弥に憧れる19歳のボクサーと、長谷川穂積を育てた62歳のトレーナーの物語【連載・彼らの誇りと絆】(5回連載/第5回)

⑤帝拳ジム会長、世界の本田も認めた伊藤千飛の実力と山下正人会長の覚悟(連載・第5回)
(前回までのあらすじ)
バンタム級モンスタートーナメント決勝のリング禍で愛弟子、穴口一輝を失った山下は、一度は「もう二度と選手は指導しない」と思い、自身もボクシング界から離れようと考えた。しかし穴口の母、美由紀からの「一輝のためにも、これからも選手を指導して欲しい」という言葉が山下の心を救い、まもなくプロデビューを控えていた伊藤千飛の存在が、もう一度ミットをはめて選手と共に戦う勇気を与えてくれた。
穴口のトーナメント出場前、伊藤はスパーリングパートナーを務めた。そして、いまも穴口から言われた「長所は消すなよ」というアドバイスを胸に刻み、リングに上がっていた。
* * *
■直接指導できる選手は、やはり千飛が最後になると思います先月(2025年5月6日)、神戸市立中央体育館で開催された真正ジム興行(REAL SPIRITS vol.90)。初のメインを任されたプロ4戦目、19歳の伊藤千飛は、控室でいつになく緊張した表情をしていた。
伊藤はこの試合、絶対にKOで勝利したい理由があった。
姿見の前で黙々とシャドーをこなし拳の軌道を確認。パンチに強弱を付けながらワンツー。得意の鋭く踏み込んで相手の懐に入る動きを何度も繰り返した。
長所は消すなよーー。
心の中で繰り返し自分に言い聞かせた。慕い憧れていた先輩、穴口から言われた言葉だ。控室に置かれた透明の救急箱には、穴口の写真が入っていた。
「千飛、始めるか」
「はい!」
黒いミットを構える山下。甲の部分には世界チャンピオンを表す金色の文字で「穴口一輝」と記されていた。山下はもう一度、選手を育てると決めた時、使い込んだミットから穴口の名前を入れたこのミットに新調した。
オーソドックススタイルから左ジャブ2発、ステップインして右ストレート。右ボディーブローから返しの左アッパーが、凄まじい勢いでミットを弾き、控室に爆音を響かせた。山下とふたり、この試合に向けて準備を重ねて来たコンビネーションだった。
今年1月のプロ3戦目、伊藤は「前に出るボクシングが出来なかった」という課題を残した。
デビュー戦は衝撃の55秒TKO勝利。2戦目も最終回TKO勝利。しかし前回1月18日の3戦目は、OPBF東洋太平洋ランカー相手にノックアウト勝利を目指すも判定まで持ち込まれた。
「序盤は左ジャブを基本に丁寧なボクシングをする。後半はプレスをかけ、接近戦に持ち込んで勝負」というスタイルを目指したが相手の強打を警戒するあまり、そして試合中に拳を痛めた影響もあり、距離を取るだけのボクシングになってしまった。課題を克服するため練習を重ね、特に力を入れたのが相手を一撃で倒せる「ボディブロー」と「アッパー」だった。
「千飛、打ってこい!」
「はい!」
リングに向かう直前のミット打ち総仕上げ。山下は左手にはめたミットを使い、伊藤に「ここを狙え」とばかりに自分の腹を叩いてみせた。
伊藤は渾身の力を込めて、腰を絞るように捻りながら強烈な左ボディブローを山下の腹を目掛けて連打。広背筋、脊柱起立筋そして大円筋という背中にある筋肉の部位が脈打つように隆起を繰り返した。
飛び散り、滴り落ちる汗。山下は顔をしかめ、眉間に皺を寄せながらも下がる事なく、伊藤が渾身の力を振り絞って放つパンチを受け止め続けた。「選手の調子や状態は、自らの体で感じ取る」というのが山下の考えだった。
試合開始のゴング。伊藤は開始早々から圧倒した。
左ジャブを軸に強烈な返しの右ストレートを繰り出し、プロ19戦目という豊富なキャリアを誇る比国ボクサー、ラネリオ・クイーゾにプレッシャーをかけた。攻撃してくれば、それ以上に強いパンチを返して下がらせ、近い距離間でも反応良くパンチを見切りかわした。
「ジャブナイスね、ジャブナイスね」
「頭の位置、変えていこうね」
「我慢して、我慢して」
コーナーから届く山下の指示を確認し、戦術を調整して試合を組み立てる。成長の証を見せるかの如く効果的なパンチを次々と打ち込んだ。
3回は連打で幾度となくロープ際に追い込み、合間合間に躍動感あふれる強烈な左ボディブローで相手の動きを止めた。迎えた4回1分20秒過ぎ、ステップを踏みながらの右ストレート一閃で顔面を打ち抜きダウンを奪った。
ロープまで吹っ飛ばされ、腰が砕けたように尻餅をついた相手は立ち上がれずテンカウント。伊藤は見事KO勝利し、デビュー以来4連勝を飾った。
勝利者コールを聞きながらレフェリーに右腕を掲げられた伊藤は、喜びを爆発させるように左腕を大きく振って観客の声援に応えた。
課題を克服出来た事も大きかった。でも何よりも嬉しかったのは、穴口からの「長所は消すなよ」という言葉を忘れずに練習を続け、そしてその穴口が、プロ3戦目で判定勝利するもダウンを奪えなかった相手にKO勝利出来た事が、伊藤は何よりも嬉しかった。
試合翌日――。
山下と伊藤に会うために、神戸市東灘区にある真正ジムを訪ねた。
阪神電鉄青木駅から歩いて5分、国道43号線に面した3階建てのジムは、延べ床面積約165平方メートルという恵まれた立地。1階は駐車場と男女更衣室、2階はリングが置かれ、サンドバックが何本も吊るされたボクシング専用部屋。3階は筋トレ器具やストレッチなどフィットネストレーニングにも対応出来る設備が整っており、オフィス、フォトスタジオも完備していた。
オフィス横のガラスの飾り棚には、長谷川穂積はじめ歴代世界王者の使用したグローブが整然と陳列されていた。山下が「嘘偽りなく、真正直に生きる」という思いを込めて命名した「真正ジム」のボクサーたちが歩んできた歴史が伝わってきた。
歴代世界王者のグローブが陳列された飾り棚に並んで壁に掛けられた一枚の絵。
描かれていたのは2023年12月26日、バンタム級モンスタートーナメント決勝で穴口が堤と魂をぶつけ合った試合だった。ただしふたりが激しく殴り合う場面ではない。互いの健闘を讃え合うように額を付けた場面だった。
同試合は2023年度の年間最高試合(国内)に選ばれた。昨年2月、年間表彰式の舞台に立った堤は
「あの試合については誇りに思っている。彼に問わず、僕は戦ってきた人との"人生のつぶし合い"だと思ってボクシングしてきている。戦ってきた人に対する思いはある。僕の人生に彼らの思いは乗っているので、それも全て覚悟した上で、今後も僕のスタイルのボクシングを皆さんに見せていきたい。世界は必ず獲ります」
と話した。
堤は宣言通り2024年10月13日、WBA世界バンタム級タイトルマッチで長年のライバルでもある井上拓真に勝利して王座獲得に成功した。堤はその際、獲得したばかりのチャンピオンベルトを自らの腰に巻くよりも先に天に向かって掲げ、穴口の名前を叫んだ。
撮影/北川直樹
3階オフィスに顔を出すと、山下は忙しなく昨日終えた興行の事務処理に追われていた。取材のお礼をした際、昨日、控室で救急箱に入った穴口の写真を見つけた事を話した。
山下は少し合間を置いてから口を開いた。そして淡々と、一度はボクシング業界自体から離れようとした時の事。トレーナーとして、ふたたび選手と向き合うと覚悟を決めた理由について明かした。
「一度は、『もう二度と選手は指導しない』と思いました。でも穴口のお母さんから『一輝のためにも、これからも選手を育てて欲しい』と言われた時、心から救われた気持ちになれました。その晩、布団の中で目を閉じて、穴口に相談しました。『穴口、どうなんや』と。『俺、千飛を見ようと思うけど、どうや』と。
穴口からは『もちろん僕の分も、千飛に教えてやってください』と言われた気がしたんです。穴口が無事にボクシングを続けていたら、千飛にミットを構える事はなかったと思います」
山下は、東京2020五輪出場を逃して自信喪失し、人生の目標を見失ってしまった穴口に再起の道を作り、夢に向かい輝く自分を取り戻すきっかけを与えた。穴口はそんな山下に対して逆に、自信を取り戻してふたたびミットを構える勇気を与えてくれたのかもしれない。
山下にとって穴口は変わらず愛弟子。決して思い出の中だけで生きるボクサーではなかった。いまは穴口を慕い憧れた伊藤が夢を引き継ぎ、3人で世界を目指していた。
「60歳を過ぎて、千飛の若さとスピードに付いていけるかどうかも分かれへん。けど、穴口の分も、もう一度挑戦しようと腹を括りました。そんな話を千飛にして背負わせたら重たくなるので、本人には言うてませんでした。この話は、いま初めて明かしました。
千飛は必ず世界チャンピオンまで育てる。覚悟を決めた以上、何があっても最後まで一緒に戦います。千飛を世界チャンピオンにできなかったら、それはわたしの腕が悪かった、という事。ただ体力的に、わたしが直接指導できるボクサーは、やはり千飛が最後になると思います」

■帝拳ジム本田会長から届いた要請
「お疲れ様です!」
山下と話していると伊藤がジムにやって来た。
伊藤は、昨日の試合はほとんど相手の攻撃をもらわずKO勝利する事が出来た。顔に多少擦り傷が見られる程度で、赤らんでいる様子もない。体調もすこぶる良いそうで、「疲れもほとんど残っていません」と話した。
場所を変えて伊藤とふたりで話す事にした。
「昨日は、下がらず常に前に出てリズムを作る事。ボディで弱らせてからフィニッシュまで持って行く、というボクシングを考えていました。山下会長からは試合前に『3回までは自分で考えて様子を見て、相手のスタイルを探るように。4回になったら指示を出すので、そこでもう一度、プランを修正しよう』と言われていました。それは出来たと思いますが、頭の振りがなくなり止まってしまった場面で、ちょこちょこアッパーをもらったりもしました。それは反省点ですね」
見据える先はあくまで世界である以上、会心の勝利でも課題はいくらでも見つかった。とはいえまだ19歳。いまは欠点を修正する事よりも長所を伸ばす事により力を注ぎ、自分だけの武器を手に入れ、磨きをかける事が大切だった。師匠の山下も「慌てずじっくり育て、長谷川(穂積)と同じ24歳までに世界チャンピオンになれたら」と考えていた。
伊藤と話をしている最中、オフィスにいた山下に電話がかかってきた。
相手は帝拳ジム、本田明彦会長だった。要件はスパーリングパートナーの要請。帝拳ジム所属の現日本バンタム級王者、増田陸。そして日本ボクシング史上初の世界選手権金メダリストでプロ転向した坪井智也のスパーリングパートナーとして早々に、「帝拳ジムに来て、合宿生活をする事はできるか」という内容だった。
バンタム級モンスタートーナメントでは準決勝で堤に敗退した増田はその後、日本同級王座獲得。現在はWBA、IBF、WBOでも一桁ランキング入りし、世界挑戦を虎視眈々と窺っていた。
WBC世界バンタム級王者・中谷潤人とIBF同級王者・西田凌佑による王座統一戦が開催(東京・有明コロシアム)された8日、増田は、WBA世界同級11位のミシェル・バンケス(ベネズエラ)と対戦する事が決まっていた。坪井も同日、那須川天心が返上して空位となったWBOアジアパシフィックバンタム級王座をかけ、同級1位バン・タオ・トラン(ベトナム)と対戦が決まっていた。
昨日の伊藤の戦いぶりを知った本田会長は、名門帝拳ジムが誇る次期世界王者候補ふたりにふさわしい練習相手として伊藤を評価し抜擢したのだ。
「自分、明日から走ります!」
伊藤は本田会長の申し出を即座に受けた。期間は5月19日から30日までのおよそ2週間。ある面では試合以上に価値ある時間、成長につながる。伊藤も山下も願ってもない機会と受け止めていた。
嬉しさを抑え切れないように、伊藤は私服のままリング脇で軽くシャドーボクシングをし始めた。ゆっくりとしたリズムで拳を振るう伊藤のすぐ横、予定表などが貼られた壁には、穴口の写真が飾ってあった。
笑顔でファイティングポーズをとる穴口の写真の前には、白い胡蝶蘭が添えられていた。
のちに伊藤からは「(山下)会長は必ず、穴口さんの写真の前で手を合わせてから指導を始めます」と教えてもらった。
白い胡蝶蘭の花言葉は清純。
「純粋な気持ちであなたを愛します」という意味だった。
■伊藤千飛(いとう・せんと)
2005年6月25日生まれ、19歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、同時にボクシングにも取り組む。興国高校に進学後はボクシングに専念し選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権で銅メダル獲得。2024年1月にB級ライセンス取得し同年4月20日にプロデビュー。現在の戦績は4戦4勝3KO。OPBF東洋太平洋バンタム級11位、WBOアジアパシフィック同級9位。
■山下正人(やました・まさと)
1962年4月30日生まれ、63歳。高知県生まれ。真正ボクシングジム会長兼チーフトレーナー。2歳で兵庫県伊丹市に引っ越し現在も同市在住。高校卒業後、兵庫県警警察官となり、主に暴力団対策本部の刑事として勤務。35歳の時、体を鍛える目的で入会した千里馬神戸ジムで長谷川穂積と出会い、36歳で警察官を退職しトレーナーとして共に世界を目指した。24歳の時、バンタム級で世界王者になった長谷川は以後、3階級制覇達成。2005年度、優れた実績を残したトレーナーに贈られる最高の名誉、エディ・タウンゼント賞受賞。
■穴口一輝(あなぐち・かずき)
2000年5月12日生まれ。大阪府岸和田市出身。芦屋学園高時代は選抜&国体二冠(フライ級)。芦屋大進学後は東京五輪出場を目指すも予選敗退。ボクシングから離れるも山下にスカウトされて再起。プロデビュー以来4連勝で井上尚弥4団体統一記念杯バンタム級モンスタートーナメント出場を決め、2023年12月26日の決勝ではのちWBA世界同級王者になる堤聖也と激闘を繰り広げた。同試合直後に右硬膜下血腫で意識を失い翌年2月2日永眠。生涯戦績7戦6勝(2KO)1敗。享年23歳。
取材・文・撮影/会津泰成
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