「大福」を愛するスペイン人!名店の職人にイチから学ぶ:世界!ニッポン行きたい人応援団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜 夜8時54分)。
今回は、スペイン人とアメリカ人の来日の様子をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
紹介するのは、スペイン在住の「大福」を愛するアグネサさん。

柔らかい餅で甘いあんこを包んだ和菓子の代表格、大福。その起源は室町時代、塩味のあんこを餅で包んだ軽食「鶉(うずら)焼」といわれ、お腹いっぱいになることから「大腹餅」とも呼ばれるように。
江戸後期、砂糖で味付けした甘いあんこが使われるようになると、お菓子として人気を博し、名前も縁起の良い「大福」になったといわれています。
アグネサさんが大福を知ったのは10年前。新婚旅行で訪れた京都で初めて食べ、その美味しさに驚いたそう。帰国後も感動が収まらず、本やインターネットで学び、大福作りに挑戦。その熱は止まることがなく、5年前には大福専門店をオープンしました。
お店で販売しているのは、全て自家製の大福。定番のあんこの他に、抹茶のムースや柚子のクリームなど、全部で16種類も! しかし、大福作りにはまだまだ多くの悩みが。
ニッポンの伝統的な大福は餅を使いますが、スペインではもち米が手に入りにくく、アグネサさんは求肥を使っています。求肥とは、もち粉に水を入れて加熱し、砂糖を混ぜて練り上げた和菓子の素材。つきたての餅のようなもっちり柔らかい食感が特徴です。
いつかは本物の餅を使ってみたいと考えていますが、独学では限界が。
そして、一番の悩みはあんこ。本当は手作りしたいのですが、小豆もスペインでは珍しく、ニッポンから輸入した既製品を使っています。

しかも、あんこの包み方も独自の方法。求肥を型で丸く抜き、丸く凍らせたあんこを包んでいます。最初は仕入れたあんこをそのまま包んでいましたが、形がまとまらず、冷凍する方法を考案。「本当は包み方の正しい技術を学びたいです」とアグネサさん。
アグネサさんの大福は好評ですが、まだまだ納得の出来ではないとのこと。「ニッポンの大福を愛しているので、餅で伝統的な大福作りをしたいんです。冷凍ではないあんこの包み方を和菓子職人さんに教わりたいです」と話します。
そんなアグネサさんを、ニッポンにご招待! 今年3月に来日しました。
向かったのは、東京・高輪の名店「松島屋」。看板の豆大福は、昭和天皇が好んで召し上がっていたことで知られる逸品。連日多くのお客さんが買い求め、1日1000個が午前中で売り切れに。

アグネサさんも行列に並んで、念願の豆大福を購入。早速いただくと「オイシイ!」が止まりません。三代目の文屋 弘さんも「作りがいがありますね」と笑顔があふれます。
「松島屋」のあんこは、北海道十勝産の小豆を使用。餅は宮城県産の「みやこがねもち」という、きめが細かくコシが強いもち米で作られています。豆大福の要である豆は、北海道富良野産の赤えんどう豆。つきたての餅にたっぷり練り込み、温かさが残る餅にあんこをのせ、一つ一つ手作業で大福に。
ここでアグネサさんは、「大福に使うのはつぶ餡とこし餡、どちらが良いか」と質問を。
実は「松島屋」の大福に使われているのは、皮を全部すり潰した「つぶし餡」。豆の形が残っているつぶ餡はどら焼きなどに使用し、一般的な大福はつぶし餡が多いそう。文屋さんによると、小豆の旨味は皮と実との間にあるため、皮を残したつぶし餡の方が、小豆本来の旨味と風味が感じられるのだとか。
さらに、求肥ではなく餅を使う理由を聞くアグネサさん。求肥には、時間が経っても硬くならない利点はあるものの、米だけで作る餅の方が、もち米の風味や食感が生きるそう。
ここで文屋さんが、硬くなった大福を美味しく食べる裏技を教えてくださいました。
弱火で炙り、少し焦げ目がつくまで焼くと美味しいそうで、特別にお店で焼いていただけることに。焼きたての大福の美味しさに感動したアグネサさんは、「念願だった大福を食べられただけでなく、貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました」と感謝を伝えました。
「松島屋」さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、アグネサさんがどうしても訪れたかったという東京・新宿区住吉町の「大角玉屋」。いちご大福発祥の店ともいわれており、「革命的な和菓子がどんな発想から生まれたのか、職人さんからぜひ聞いてみたいです」と話していました。
和菓子の人気ランキングで1位に君臨するいちご大福。実はアグネサさん、10年前にニッポンで初めていちご大福を食べて“大福人生”が始まりました。

「大角玉屋」の「元祖いちご豆大福」をいただいたアグネサさんは、「ほのかな酸味があんこの甘味を引き締めています。圧倒的に元祖が美味しいです」と絶賛! まずは三代目の大角和平さんに、いちご豆大福がどのように生まれたのか、教えていただきます。
1980年代、大正元年に創業した老舗和菓子店「玉屋」(※大角玉屋の前身)は、洋菓子ブームの影響で存続の危機に。1日の売り上げ3000円の店を託されたのが、当時28歳の和平さん。復活の鍵となる新しい和菓子を考案中、ショートケーキが目に留まり、生いちごを取り入れる着想を得たそう。
どら焼き、饅頭と試作を続ける中、「餅は生ものだし、いちごとの相性も良さそうだ」と、豆大福と組み合わせた和平さん。その日に食べてもらえる大福なら、生いちごの鮮度や風味も損なわれません。
こうしていちご豆大福が完成し、1985年2月6日に30個売り出すと、30分で売り切れ。それから数を増やし、2カ月で3000個を売るまでに。その後は全国の和菓子店でも製造、販売されるようになり、当時の和菓子業界の売り上げが3割アップしたといいます。
今回特別に、「元祖いちご大福」の美味しさの秘密を学ばせていただくことに。

「大角玉屋」のいちご大福はすべて手包み。いちごは全国各地から朝摘みしたものを仕入れ、甘味より酸味があるものを使っています。餅とあんこといちごが「全部甘くなっちゃうと美味しくないんです」と和平さん。少し酸っぱい方がバランスが取れるとのこと。
ここでアグネサさんが「いちご以外にも大福と相性がいい生の食材はありますか?」と質問を。実はバルセロナでフルーツ大福にも挑戦していますが、どれもムース状になったもの。いちご大福のように、生の食材をそのまま使った大福を開発するのが夢なのです。
これを受け、和平さんが提案してくださったのは、「大角玉屋」でベストセラーのぶどう。「どんどん色々作ってくださいね。楽しみにしています」と激励の言葉もいただきました。

最後に、和平さんからお土産が。米粉や砂糖を押し固めて作る伝統菓子、落雁の木型です。貴重な道具をいただいたアグネサさんは、和平さんに感謝を伝えました。
「大角玉屋」さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、岐阜県各務原市の「だるま堂」。豆大福が評判の名店で、お菓子のオリンピックと称される「全国菓子大博覧会」で内閣総理大臣賞を獲得。
今回のニッポン滞在で一番知りたかった、あんこや餅の作り方や包み方などを、初代から一子相伝の製法を受け継いだ三代目・日置茂都顕さんに教えていただきます。
まずは、看板の豆大福をいただくことに。食べやすくするため、大きさはゴルフボールほど。豆は一般的には赤えんどうですが、こちらでは大粒の「光黒大豆」という黒豆を使用。豆の風味が強く、ほっこりした食感が特徴です。「豆に塩味も効いていて、あんこの甘味とのバランスが抜群で、餅も伸びがいいです」(アグネサさん)。
その夜は、「だるま堂」の皆さんが歓迎会を開いてくださいました。テーブルには、鮎の甘露煮や女将・日置邦子さんが作ってくださった炊き込みご飯「金魚飯」などがずらり。
金魚飯は、具の各務原にんじんが金魚に見えることから名付けられたそう。郷土の味を堪能し、楽しいひとときを過ごしました。
翌日、いよいよ大福作りを見せていただきます。小豆は、北海道十勝産の「きたろまん」。赤色が濃く、あんこにするとコクが出るのが特徴です。
あんこ作りの最初の作業は、小豆の煮汁を捨てる「渋切り」。小豆には苦味や渋みの成分が含まれており、渋切りをすることで雑味のないすっきりとしたあんこに仕上がり、色もくすまず鮮やかに。

あんこを炊くのは「さわり鍋」。あんこや飴などに火を通しながら練るための専用鍋です。熱伝導率が良い銅でできており、焦げ付かせることなく水分を飛ばしながら練り上げられ、滑らかで風味良く仕上がります。
煮立たせること40分、さわり鍋から小豆と煮汁を掬い出し、1回目の渋切りが完了。「だるま堂」では、これを3回行います。日置さんによると、3回行うことで徐々に味がまとまってくるそう。3時間かけて渋切りを終えると、小豆はみずみずしく膨らみ、ふくよかな姿に。
次は「蜜漬け」。小豆に砂糖を加え、甘さをつける作業です。砂糖が溶け切ったところで、全体に浸透させるために一晩この状態をキープ。一般的には蜜漬けの後、4時間ほど置いて炊きますが、「だるま堂」では、一晩寝かせて芯まで甘みを染みこませてから炊き上げます。
寝かせた小豆を、火加減を調整しながら炊くこと約2時間。丸2日かけて、「だるま堂」のあんこが完成しました。
そして、包餡作業へ。餅には、岐阜県産のもち米「たかやまもち」を使用。高山は昼夜の寒暖差が大きく、もち米の甘味や粘りを引き出す最高の気候。滑らかで伸びが良く、口溶けの良い最高の食感を持つ餅になるのです。

その日の気温や湿度に合わせ、最適な柔らかさになるようつきあげた餅に、たっぷりと光黒大豆を。ここからはスピードが命! 餅が冷めると硬くなり、包んだ部分がはがれやすくなってしまいます。あまりの速さに、「何をどうしているのかサッパリです」とアグネサさん。
まず、中心が厚めになるよう餅を広げたら、ヘラであんこを乗せ、軽く握りながら包みこみ、餅の端をつまんで閉じます。
究極の食感を生み出すポイントは、大福の部分によって違う餅の厚み。日置さんいわく「七五三」が目安で、頭が7、側面が5、下の閉じた部分が3の割合で包むイメージ。上側を厚くするのは、最初に食べた時に、つき餅の味や風合いを楽しめるようにするためだそう。
「こだわりがすごすぎます!」とアグネサさん。
餅に混ぜる黒豆にもこだわりが。黒豆の食感を感じてもらうため、表面に来るよう計算して包んでいます。これも、究極の食感を生む職人の技!

バルセロナでは、冷凍したあんこを型で抜いた餅で包んでいたアグネサさん。初めてヘラを使ってあんこを包む作業にチャレンジします。
試行錯誤しながら包んだ大福は、一見悪くなさそうですが、時間をかけすぎて閉じたところが剥がれてしまいました。加えて、餅を引っ張ったことで側面が薄くなり、重ねて閉じたため底が厚く、七五三のバランスが崩れて食感にも影響が。包みながら形を整え、最小限の力で手早く閉じることが大事なのです。
さらに、表面に豆が見えていないという問題点もあり、「もっと練習が必要です」とアグネサさん。

しかし、お店の方にアドバイスをいただきながら練習を重ね、2時間で驚くほど上達!
女将さんに試食していただくと、「満遍なく上手に包んであります」とお褒めの言葉をいただきました。
別れの時。お世話になったお礼を伝え、スペインのお土産を渡します。すると日置さんから、帰国してすぐに大福作りができるようにと、材料と道具一式のプレゼントが!
日本舞踊が趣味の女将さんからは、桜柄の着物をお土産にいただき、大感激のアグネサさん。ハグを交わして別れを惜しみました。
「だるま堂」さん、本当にありがとうございました!
続いて紹介するのは、アメリカ在住の「抹茶」を愛するマリーさん。

この時期、収穫の最盛期を迎える抹茶。800年以上前、臨済宗の開祖、栄西が広めたといわれ、当時は薬として貴族や有力層が飲んでいました。
マリーさんは、言語学者のお母さんの影響で日本語を習い始め、ある時、お抹茶セットを買ってもらったことがきっかけで虜に。13歳の頃からほぼ毎日、欠かさず抹茶を飲み続けています。大好きな抹茶をニッポンから取り寄せるために、アルバイトも!
そんなマリーさんをニッポンにご招待! 約7年前、初来日を果たしました。
向かったのは、京都府南部に位置する和束町。茶源郷とも呼ばれ、全国トップクラスの生産量を誇る、お茶の一大産地です。昼夜の寒暖差が大きく冷涼な気候で、鎌倉時代から茶葉の栽培で栄えてきました。
訪れた5月は新茶の茶摘みシーズンで、皆さん大忙し。そんな中、マリーさんの熱意を伝えたところ、この地で三代続くお茶農家の北 恭子さんが受け入れてくださいました。

茶畑では、抹茶にする「碾茶」を作っています。茶畑を覆う黒い布は「寒冷紗」。光を遮りお茶の旨味を凝縮させる「覆い下栽培」に欠かせないものです。覆い下栽培で育った新芽を蒸して乾燥させたものを碾茶といい、石臼で細かく挽くと抹茶になります。
お茶の旨味成分テアニンは、日光が当たるとカテキンという渋みの成分に変化。そこで、新芽が出る1カ月ほど前に覆いをかけ、旨味と甘味がより残るようにしています。
さらにもう1つ、日陰で育てる理由が。覆われていた茶葉は柔らかく、日に当たっていた茶葉は分厚くなります。臼で挽いて飲む時、茶葉が分厚いと「ちょっとゴロゴロした感じになる」と恭子さん。
ここで、収穫中だったご主人の和雄さんも合流。こちらでの茶摘みは機械刈りで、木の一番上の新芽3枚ほどだけを丁寧に刈り取ります。古くなった硬い葉まで刈ると、味に影響が出てしまうそう。見学のお礼に、マリーさんも収穫作業をお手伝いさせていただきます。
茶畑から戻り、恭子さんのご自宅で、碾茶の淹れ方を教えていただくことに。抹茶に加工される前の碾茶は、市場には出回らない、農家だからこそ飲める貴重なお茶。この碾茶を、絞り出し急須で淹れます。

絞り出し急須は、取っ手がなく、冷まして飲むお茶を淹れる時に使います。この急須でゆっくり淹れると、お茶の旨味を引き出せるそう。日本茶の旨味と渋味のバランスを左右するのがお湯の温度。旨味は低温、渋味は高温で出るのです。
お湯を湯飲みに移して最適な温度に下げたら、絞り出し急須の縁に沿って淹れていきます。こうすることで茶葉が下からお湯に浸り、3分ほどで旨味が十分に引き出されるのだとか。
煎茶は通常約80℃で淹れるのに対し、碾茶は約40℃。一見薄いようですが、碾茶の旨味が十分に溶け出した、最高の状態です。

碾茶をいただいたマリーさんは「素晴らしいです!」と絶賛し、「甘みと塩気、どちらも感じる不思議な味です」。茶葉を覆うことにより、「覆い香」という海藻のような香りがするそうで、茶葉の旨味と覆い香が合わさり、碾茶独特の味わいが生まれるのだとか。
そして、お茶を使った料理で歓迎会を開いてくださいました。料理を作ってくださるのは、娘の紀子さん。茎茶に漬け込んで焼いたローストビーフや新芽の天ぷらなど、お茶農家ならではのご馳走を堪能しながら会話も弾み、マリーさんの彼氏・アレックスさんの話で盛り上がりました。
別れの時。お土産に、碾茶を飲むための急須のセットをいただきました。「次はアレックスさんと一緒に!」と紀子さん。ハグを交わして再会を約束しました。
あれから7年…なんとマリーさん、1年前に千葉県習志野市に移住。今はグラフィックデザインの仕事をしています。
お茶愛が増したマリーさんは、帰国してから4年後、日本茶の知識を深めようと、和束町で募集していたお茶農家のインターンシップに参加。お茶の収穫や工場での製茶などを学びました。
そんなお茶作りの体験を発信するべく、去年、神奈川県小田原市で行われた日本語スピーチコンテストで、和束町の日々をテーマにスピーチを披露。見事、小田原市長賞を受賞!

そして2022年、恋人だったアレックスさんと結婚。マリーさんの影響もあり、大学で日本文化を学んだアレックスさんは、ニッポンの企業に就職。抹茶を深く学びたいというマリーさんの想いも重なり、2人で日本移住を決断しました。
大好きなニッポンで充実した新婚生活を送っているマリーさんですが、7年前にお世話になった北さんのことで心残りが。実は電話で結婚の報告はしたものの、まだアレックスさんを紹介できていないのです。
マリーさんに素晴らしい経験をさせてくださった北さん。アレックスさんは「その経験が彼女の人生を大きく変え、私たちは今ここにいます。感謝の気持ちを伝えたいです」と話します。
そこで後日、2人は和束町の玄関口、京都の加茂駅へ。北さんには、アレックスさんを連れていくことを伝えず、自宅に伺うと約束しました。

まずはマリーさん1人で北さんのもとへ。1年半前に会って以来の再会です。
ご家族の皆さんと再会を喜び合う中、アレックスさんが登場すると、皆さんびっくり! サプライズは大成功! 「結婚してニッポンにいられるのは、皆さんがマリーに与えてくれたたくさんの経験のおかげです」と伝えることができました。
その後は、思い出の碾茶をいただいた2人。マリーさんの一番の夢は、アメリカでお茶を広めること。その一歩として、日本茶アドバイザーの資格も取りました。販売店でのお茶選びのサポートなどができる資格で、世界に約2200人いる取得者のほとんどが日本人。外国人はわずか44人しかいないそう。
「特に和束の皆さんのお茶を広めていきたいです」と語るマリーさんに、「嬉しい」と恭子さん。和雄さんからも「頑張ってください」と激励の言葉をいただきました。
マリーさんをニッポンにご招待したら、日本茶のアドバイザーになり、お茶の魅力を世界に広めようと邁進していました!
月曜夜8時54分からは、「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
●アニメ「ちはやふる」に影響を受け、“競技かるた”にどハマりしたコロンビア人のマリアさんをご招待! 高校日本一のかるた部を訪れるが、想像以上のスピード感に圧倒される。女性日本一の称号・クイーン位を持つ矢島さんとの合同合宿で練習に励む中、顧問の先生から大会に出ることを提案される。かるたの聖地を訪れ必勝祈願をして大会に挑むと、まさかの展開が…。
今回は、スペイン人とアメリカ人の来日の様子をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
東京と岐阜の名店で大福を堪能
紹介するのは、スペイン在住の「大福」を愛するアグネサさん。

柔らかい餅で甘いあんこを包んだ和菓子の代表格、大福。その起源は室町時代、塩味のあんこを餅で包んだ軽食「鶉(うずら)焼」といわれ、お腹いっぱいになることから「大腹餅」とも呼ばれるように。
江戸後期、砂糖で味付けした甘いあんこが使われるようになると、お菓子として人気を博し、名前も縁起の良い「大福」になったといわれています。
アグネサさんが大福を知ったのは10年前。新婚旅行で訪れた京都で初めて食べ、その美味しさに驚いたそう。帰国後も感動が収まらず、本やインターネットで学び、大福作りに挑戦。その熱は止まることがなく、5年前には大福専門店をオープンしました。
お店で販売しているのは、全て自家製の大福。定番のあんこの他に、抹茶のムースや柚子のクリームなど、全部で16種類も! しかし、大福作りにはまだまだ多くの悩みが。
ニッポンの伝統的な大福は餅を使いますが、スペインではもち米が手に入りにくく、アグネサさんは求肥を使っています。求肥とは、もち粉に水を入れて加熱し、砂糖を混ぜて練り上げた和菓子の素材。つきたての餅のようなもっちり柔らかい食感が特徴です。
いつかは本物の餅を使ってみたいと考えていますが、独学では限界が。
そして、一番の悩みはあんこ。本当は手作りしたいのですが、小豆もスペインでは珍しく、ニッポンから輸入した既製品を使っています。

しかも、あんこの包み方も独自の方法。求肥を型で丸く抜き、丸く凍らせたあんこを包んでいます。最初は仕入れたあんこをそのまま包んでいましたが、形がまとまらず、冷凍する方法を考案。「本当は包み方の正しい技術を学びたいです」とアグネサさん。
アグネサさんの大福は好評ですが、まだまだ納得の出来ではないとのこと。「ニッポンの大福を愛しているので、餅で伝統的な大福作りをしたいんです。冷凍ではないあんこの包み方を和菓子職人さんに教わりたいです」と話します。
そんなアグネサさんを、ニッポンにご招待! 今年3月に来日しました。
向かったのは、東京・高輪の名店「松島屋」。看板の豆大福は、昭和天皇が好んで召し上がっていたことで知られる逸品。連日多くのお客さんが買い求め、1日1000個が午前中で売り切れに。

アグネサさんも行列に並んで、念願の豆大福を購入。早速いただくと「オイシイ!」が止まりません。三代目の文屋 弘さんも「作りがいがありますね」と笑顔があふれます。
「松島屋」のあんこは、北海道十勝産の小豆を使用。餅は宮城県産の「みやこがねもち」という、きめが細かくコシが強いもち米で作られています。豆大福の要である豆は、北海道富良野産の赤えんどう豆。つきたての餅にたっぷり練り込み、温かさが残る餅にあんこをのせ、一つ一つ手作業で大福に。
ここでアグネサさんは、「大福に使うのはつぶ餡とこし餡、どちらが良いか」と質問を。
実は「松島屋」の大福に使われているのは、皮を全部すり潰した「つぶし餡」。豆の形が残っているつぶ餡はどら焼きなどに使用し、一般的な大福はつぶし餡が多いそう。文屋さんによると、小豆の旨味は皮と実との間にあるため、皮を残したつぶし餡の方が、小豆本来の旨味と風味が感じられるのだとか。
さらに、求肥ではなく餅を使う理由を聞くアグネサさん。求肥には、時間が経っても硬くならない利点はあるものの、米だけで作る餅の方が、もち米の風味や食感が生きるそう。
ここで文屋さんが、硬くなった大福を美味しく食べる裏技を教えてくださいました。
弱火で炙り、少し焦げ目がつくまで焼くと美味しいそうで、特別にお店で焼いていただけることに。焼きたての大福の美味しさに感動したアグネサさんは、「念願だった大福を食べられただけでなく、貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました」と感謝を伝えました。
「松島屋」さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、アグネサさんがどうしても訪れたかったという東京・新宿区住吉町の「大角玉屋」。いちご大福発祥の店ともいわれており、「革命的な和菓子がどんな発想から生まれたのか、職人さんからぜひ聞いてみたいです」と話していました。
和菓子の人気ランキングで1位に君臨するいちご大福。実はアグネサさん、10年前にニッポンで初めていちご大福を食べて“大福人生”が始まりました。

「大角玉屋」の「元祖いちご豆大福」をいただいたアグネサさんは、「ほのかな酸味があんこの甘味を引き締めています。圧倒的に元祖が美味しいです」と絶賛! まずは三代目の大角和平さんに、いちご豆大福がどのように生まれたのか、教えていただきます。
1980年代、大正元年に創業した老舗和菓子店「玉屋」(※大角玉屋の前身)は、洋菓子ブームの影響で存続の危機に。1日の売り上げ3000円の店を託されたのが、当時28歳の和平さん。復活の鍵となる新しい和菓子を考案中、ショートケーキが目に留まり、生いちごを取り入れる着想を得たそう。
どら焼き、饅頭と試作を続ける中、「餅は生ものだし、いちごとの相性も良さそうだ」と、豆大福と組み合わせた和平さん。その日に食べてもらえる大福なら、生いちごの鮮度や風味も損なわれません。
こうしていちご豆大福が完成し、1985年2月6日に30個売り出すと、30分で売り切れ。それから数を増やし、2カ月で3000個を売るまでに。その後は全国の和菓子店でも製造、販売されるようになり、当時の和菓子業界の売り上げが3割アップしたといいます。
今回特別に、「元祖いちご大福」の美味しさの秘密を学ばせていただくことに。

「大角玉屋」のいちご大福はすべて手包み。いちごは全国各地から朝摘みしたものを仕入れ、甘味より酸味があるものを使っています。餅とあんこといちごが「全部甘くなっちゃうと美味しくないんです」と和平さん。少し酸っぱい方がバランスが取れるとのこと。
ここでアグネサさんが「いちご以外にも大福と相性がいい生の食材はありますか?」と質問を。実はバルセロナでフルーツ大福にも挑戦していますが、どれもムース状になったもの。いちご大福のように、生の食材をそのまま使った大福を開発するのが夢なのです。
これを受け、和平さんが提案してくださったのは、「大角玉屋」でベストセラーのぶどう。「どんどん色々作ってくださいね。楽しみにしています」と激励の言葉もいただきました。

最後に、和平さんからお土産が。米粉や砂糖を押し固めて作る伝統菓子、落雁の木型です。貴重な道具をいただいたアグネサさんは、和平さんに感謝を伝えました。
「大角玉屋」さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、岐阜県各務原市の「だるま堂」。豆大福が評判の名店で、お菓子のオリンピックと称される「全国菓子大博覧会」で内閣総理大臣賞を獲得。
今回のニッポン滞在で一番知りたかった、あんこや餅の作り方や包み方などを、初代から一子相伝の製法を受け継いだ三代目・日置茂都顕さんに教えていただきます。
まずは、看板の豆大福をいただくことに。食べやすくするため、大きさはゴルフボールほど。豆は一般的には赤えんどうですが、こちらでは大粒の「光黒大豆」という黒豆を使用。豆の風味が強く、ほっこりした食感が特徴です。「豆に塩味も効いていて、あんこの甘味とのバランスが抜群で、餅も伸びがいいです」(アグネサさん)。
その夜は、「だるま堂」の皆さんが歓迎会を開いてくださいました。テーブルには、鮎の甘露煮や女将・日置邦子さんが作ってくださった炊き込みご飯「金魚飯」などがずらり。
金魚飯は、具の各務原にんじんが金魚に見えることから名付けられたそう。郷土の味を堪能し、楽しいひとときを過ごしました。
翌日、いよいよ大福作りを見せていただきます。小豆は、北海道十勝産の「きたろまん」。赤色が濃く、あんこにするとコクが出るのが特徴です。
あんこ作りの最初の作業は、小豆の煮汁を捨てる「渋切り」。小豆には苦味や渋みの成分が含まれており、渋切りをすることで雑味のないすっきりとしたあんこに仕上がり、色もくすまず鮮やかに。

あんこを炊くのは「さわり鍋」。あんこや飴などに火を通しながら練るための専用鍋です。熱伝導率が良い銅でできており、焦げ付かせることなく水分を飛ばしながら練り上げられ、滑らかで風味良く仕上がります。
煮立たせること40分、さわり鍋から小豆と煮汁を掬い出し、1回目の渋切りが完了。「だるま堂」では、これを3回行います。日置さんによると、3回行うことで徐々に味がまとまってくるそう。3時間かけて渋切りを終えると、小豆はみずみずしく膨らみ、ふくよかな姿に。
次は「蜜漬け」。小豆に砂糖を加え、甘さをつける作業です。砂糖が溶け切ったところで、全体に浸透させるために一晩この状態をキープ。一般的には蜜漬けの後、4時間ほど置いて炊きますが、「だるま堂」では、一晩寝かせて芯まで甘みを染みこませてから炊き上げます。
寝かせた小豆を、火加減を調整しながら炊くこと約2時間。丸2日かけて、「だるま堂」のあんこが完成しました。
そして、包餡作業へ。餅には、岐阜県産のもち米「たかやまもち」を使用。高山は昼夜の寒暖差が大きく、もち米の甘味や粘りを引き出す最高の気候。滑らかで伸びが良く、口溶けの良い最高の食感を持つ餅になるのです。

その日の気温や湿度に合わせ、最適な柔らかさになるようつきあげた餅に、たっぷりと光黒大豆を。ここからはスピードが命! 餅が冷めると硬くなり、包んだ部分がはがれやすくなってしまいます。あまりの速さに、「何をどうしているのかサッパリです」とアグネサさん。
まず、中心が厚めになるよう餅を広げたら、ヘラであんこを乗せ、軽く握りながら包みこみ、餅の端をつまんで閉じます。
究極の食感を生み出すポイントは、大福の部分によって違う餅の厚み。日置さんいわく「七五三」が目安で、頭が7、側面が5、下の閉じた部分が3の割合で包むイメージ。上側を厚くするのは、最初に食べた時に、つき餅の味や風合いを楽しめるようにするためだそう。
「こだわりがすごすぎます!」とアグネサさん。
餅に混ぜる黒豆にもこだわりが。黒豆の食感を感じてもらうため、表面に来るよう計算して包んでいます。これも、究極の食感を生む職人の技!

バルセロナでは、冷凍したあんこを型で抜いた餅で包んでいたアグネサさん。初めてヘラを使ってあんこを包む作業にチャレンジします。
試行錯誤しながら包んだ大福は、一見悪くなさそうですが、時間をかけすぎて閉じたところが剥がれてしまいました。加えて、餅を引っ張ったことで側面が薄くなり、重ねて閉じたため底が厚く、七五三のバランスが崩れて食感にも影響が。包みながら形を整え、最小限の力で手早く閉じることが大事なのです。
さらに、表面に豆が見えていないという問題点もあり、「もっと練習が必要です」とアグネサさん。

しかし、お店の方にアドバイスをいただきながら練習を重ね、2時間で驚くほど上達!
女将さんに試食していただくと、「満遍なく上手に包んであります」とお褒めの言葉をいただきました。
別れの時。お世話になったお礼を伝え、スペインのお土産を渡します。すると日置さんから、帰国してすぐに大福作りができるようにと、材料と道具一式のプレゼントが!
日本舞踊が趣味の女将さんからは、桜柄の着物をお土産にいただき、大感激のアグネサさん。ハグを交わして別れを惜しみました。
「だるま堂」さん、本当にありがとうございました!
7年前にお世話になったお茶農家の皆さんに感謝のサプライズ
続いて紹介するのは、アメリカ在住の「抹茶」を愛するマリーさん。

この時期、収穫の最盛期を迎える抹茶。800年以上前、臨済宗の開祖、栄西が広めたといわれ、当時は薬として貴族や有力層が飲んでいました。
マリーさんは、言語学者のお母さんの影響で日本語を習い始め、ある時、お抹茶セットを買ってもらったことがきっかけで虜に。13歳の頃からほぼ毎日、欠かさず抹茶を飲み続けています。大好きな抹茶をニッポンから取り寄せるために、アルバイトも!
そんなマリーさんをニッポンにご招待! 約7年前、初来日を果たしました。
向かったのは、京都府南部に位置する和束町。茶源郷とも呼ばれ、全国トップクラスの生産量を誇る、お茶の一大産地です。昼夜の寒暖差が大きく冷涼な気候で、鎌倉時代から茶葉の栽培で栄えてきました。
訪れた5月は新茶の茶摘みシーズンで、皆さん大忙し。そんな中、マリーさんの熱意を伝えたところ、この地で三代続くお茶農家の北 恭子さんが受け入れてくださいました。

茶畑では、抹茶にする「碾茶」を作っています。茶畑を覆う黒い布は「寒冷紗」。光を遮りお茶の旨味を凝縮させる「覆い下栽培」に欠かせないものです。覆い下栽培で育った新芽を蒸して乾燥させたものを碾茶といい、石臼で細かく挽くと抹茶になります。
お茶の旨味成分テアニンは、日光が当たるとカテキンという渋みの成分に変化。そこで、新芽が出る1カ月ほど前に覆いをかけ、旨味と甘味がより残るようにしています。
さらにもう1つ、日陰で育てる理由が。覆われていた茶葉は柔らかく、日に当たっていた茶葉は分厚くなります。臼で挽いて飲む時、茶葉が分厚いと「ちょっとゴロゴロした感じになる」と恭子さん。
ここで、収穫中だったご主人の和雄さんも合流。こちらでの茶摘みは機械刈りで、木の一番上の新芽3枚ほどだけを丁寧に刈り取ります。古くなった硬い葉まで刈ると、味に影響が出てしまうそう。見学のお礼に、マリーさんも収穫作業をお手伝いさせていただきます。
茶畑から戻り、恭子さんのご自宅で、碾茶の淹れ方を教えていただくことに。抹茶に加工される前の碾茶は、市場には出回らない、農家だからこそ飲める貴重なお茶。この碾茶を、絞り出し急須で淹れます。

絞り出し急須は、取っ手がなく、冷まして飲むお茶を淹れる時に使います。この急須でゆっくり淹れると、お茶の旨味を引き出せるそう。日本茶の旨味と渋味のバランスを左右するのがお湯の温度。旨味は低温、渋味は高温で出るのです。
お湯を湯飲みに移して最適な温度に下げたら、絞り出し急須の縁に沿って淹れていきます。こうすることで茶葉が下からお湯に浸り、3分ほどで旨味が十分に引き出されるのだとか。
煎茶は通常約80℃で淹れるのに対し、碾茶は約40℃。一見薄いようですが、碾茶の旨味が十分に溶け出した、最高の状態です。

碾茶をいただいたマリーさんは「素晴らしいです!」と絶賛し、「甘みと塩気、どちらも感じる不思議な味です」。茶葉を覆うことにより、「覆い香」という海藻のような香りがするそうで、茶葉の旨味と覆い香が合わさり、碾茶独特の味わいが生まれるのだとか。
そして、お茶を使った料理で歓迎会を開いてくださいました。料理を作ってくださるのは、娘の紀子さん。茎茶に漬け込んで焼いたローストビーフや新芽の天ぷらなど、お茶農家ならではのご馳走を堪能しながら会話も弾み、マリーさんの彼氏・アレックスさんの話で盛り上がりました。
別れの時。お土産に、碾茶を飲むための急須のセットをいただきました。「次はアレックスさんと一緒に!」と紀子さん。ハグを交わして再会を約束しました。
あれから7年…なんとマリーさん、1年前に千葉県習志野市に移住。今はグラフィックデザインの仕事をしています。
お茶愛が増したマリーさんは、帰国してから4年後、日本茶の知識を深めようと、和束町で募集していたお茶農家のインターンシップに参加。お茶の収穫や工場での製茶などを学びました。
そんなお茶作りの体験を発信するべく、去年、神奈川県小田原市で行われた日本語スピーチコンテストで、和束町の日々をテーマにスピーチを披露。見事、小田原市長賞を受賞!

そして2022年、恋人だったアレックスさんと結婚。マリーさんの影響もあり、大学で日本文化を学んだアレックスさんは、ニッポンの企業に就職。抹茶を深く学びたいというマリーさんの想いも重なり、2人で日本移住を決断しました。
大好きなニッポンで充実した新婚生活を送っているマリーさんですが、7年前にお世話になった北さんのことで心残りが。実は電話で結婚の報告はしたものの、まだアレックスさんを紹介できていないのです。
マリーさんに素晴らしい経験をさせてくださった北さん。アレックスさんは「その経験が彼女の人生を大きく変え、私たちは今ここにいます。感謝の気持ちを伝えたいです」と話します。
そこで後日、2人は和束町の玄関口、京都の加茂駅へ。北さんには、アレックスさんを連れていくことを伝えず、自宅に伺うと約束しました。

まずはマリーさん1人で北さんのもとへ。1年半前に会って以来の再会です。
ご家族の皆さんと再会を喜び合う中、アレックスさんが登場すると、皆さんびっくり! サプライズは大成功! 「結婚してニッポンにいられるのは、皆さんがマリーに与えてくれたたくさんの経験のおかげです」と伝えることができました。
その後は、思い出の碾茶をいただいた2人。マリーさんの一番の夢は、アメリカでお茶を広めること。その一歩として、日本茶アドバイザーの資格も取りました。販売店でのお茶選びのサポートなどができる資格で、世界に約2200人いる取得者のほとんどが日本人。外国人はわずか44人しかいないそう。
「特に和束の皆さんのお茶を広めていきたいです」と語るマリーさんに、「嬉しい」と恭子さん。和雄さんからも「頑張ってください」と激励の言葉をいただきました。
マリーさんをニッポンにご招待したら、日本茶のアドバイザーになり、お茶の魅力を世界に広めようと邁進していました!
月曜夜8時54分からは、「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
●アニメ「ちはやふる」に影響を受け、“競技かるた”にどハマりしたコロンビア人のマリアさんをご招待! 高校日本一のかるた部を訪れるが、想像以上のスピード感に圧倒される。女性日本一の称号・クイーン位を持つ矢島さんとの合同合宿で練習に励む中、顧問の先生から大会に出ることを提案される。かるたの聖地を訪れ必勝祈願をして大会に挑むと、まさかの展開が…。
記事提供元:テレ東プラス
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