羽生結弦「とにかく必死だった」がむしゃらに前を向き走り続けた金メダルまでの歩み『NumberTV』第21話

NTTドコモの映像配信サービス「Lemino(レミノ)」では、さまざまなジャンルのトップアスリートを招き、彼らの競技人生における「最大の挫折」の真実に迫る『NumberTV』を配信している。その時何を感じ、どう壁を乗り越えたのか。選手本人が当時の写真と向き合いながら、復活までの道のりを明かす本格ドキュメンタリーだ。#21では、歴代最強のフィギュアスケーター羽生結弦の、幼いころから向き合い続けた数々の苦悩と「挫折地点」が明かされる。
若き才能のはじまりを語る
羽生結弦がフィギュアスケート人生を歩みはじめたのは、4歳のころ。「楽しい」という記憶はあまりないと言う。姉の影響ではじめたが、いつのまにか選手を目指すようになり、厳しい指導を受ける日々を過ごしていた。9歳で全日本ノービス選手権に初出場で優勝し、厳しい練習と努力の積み重ねは、結果となって表れた。このときが、フィギュアスケートをやっていて1番自信があったと語る。ダブルアクセルやジャンプが得意で、技を何でもこなせる自信に満ちあふれた少年時代。いまだに当時の映像をみると、「この頃、上手だな」と自分ながらに思うと羽生は言う。
2009年にジュニアグランプリシリーズ、ジュニアグランプリファイナルでそれぞれ初優勝、2010年には世界ジュニア選手権を初優勝するなど、若き才能は、一段と輝きを増していった。2010年、高校1年生でシニアデビューを果たし、2012年には全日本選手権で初優勝を収めた。そして翌年には、2連覇を達成。ついに、追い求めていたオリンピックへの扉が開いた。
なかでも、2013年の全日本選手権は、「ひたすら必死だった」と言う。オリンピックの代表選考があり、すでに選考基準はクリアしていたものの、やはりこの瞬間で決まるというプレッシャーは大きかった。この2連覇までに練習がうまくいかない期間もあり、「金メダリストになるために、がむしゃらに前を向いて走り続けてきた」と語った。
そして2014年、19歳で迎えたソチオリンピック。ショートプログラムでは史上初の100点越えとなる101.45点を叩き出した。フリーでも頂点に立ち、圧倒的な強さでフィギュアスケート日本男子史上初の金メダルを獲得したのだった。
【制作・編集:All About編集部】
記事提供元:Lemino ニュース
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