トランプ 「薬価引き下げ令」で 日本の製薬会社が大ピンチ!?
トランプ氏は米国で販売する薬の価格引き下げに応じない国には、追加関税を課す考えを表明した
今月12日、米国内の医薬品価格の引き下げを指示する大統領令にトランプ米大統領が署名。他国の研究コストが米国の高額な薬価に依存していることを問題視し、ほかの先進国と同額まで引き下げる狙いだというが、そんなことは可能なのか? 日本にはどんな影響が?
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■公的保険制度がなく、薬価が高値に1月20日の就任から約4ヵ月で、150以上もの大統領令を出し続けているアメリカのトランプ大統領。5月12日には新たに「米国民に最恵国待遇の処方薬価格を提供するための大統領令」に署名し、「アメリカで不当に高く販売されている医薬品の価格を、ほかの先進国で最も安い国と同等レベルまで大幅に引き下げる。これにより薬価は59%から最大で90%安くなる」と発言。その直後には大手製薬会社の株価が一時、急落するなど、市場にも動揺が走った。
だがそもそも、薬価を一気に90%引き下げることなど、本当に可能なのだろうか? なぜ、トランプは医薬品価格=製薬業界を新たな攻撃のターゲットに選んだのか?
「薬価引き下げはトランプ政権にとって目新しいテーマではありません」と語るのは、アメリカ現代政治が専門の国際政治学者で、上智大学教授の前嶋和弘氏だ。
「実はトランプは、前回の第1次政権でも同じことを言っていたのですが、結局何も実現しませんでした。そして、昨年の大統領選挙中も公約のひとつに薬価の引き下げを掲げていましたから、今回の大統領令自体には驚きはありません」
その上で、アメリカの医薬品が日本も含めたほかの先進国と比べて大幅に高いというのは、ある程度事実だという。
「メディケア、メディケイドと呼ばれる一部の高齢者や低所得者層、障害者を対象とした公的医療保険を除けば、アメリカには日本や欧州先進国のような公的保険制度が存在しない。そのため医療費全般が非常に高く、医薬品についても新薬を中心に、日本や欧州の3倍から10倍近い価格で販売されているものもあるようです。
『高すぎるアメリカ国内の薬価を引き下げるべきだ』というのは、トランプの大嫌いな民主党のリベラル派も長年、主張し続けていることでもあります。
ただし、ひと言で『薬価』と言っても、その実態はさまざまです。例えば一般的なジェネリック医薬品の価格は、日本よりアメリカ国内のほうがはるかに安い場合が多い。
また、国民の大半が民間の医療保険を利用しているアメリカでは、それぞれが加入する保険の『グレード』によって、保険で受けられる医療サービスや、治療に使用できる医薬品が限られています。
そのため、もし一部の薬価の大幅な引き下げが実現しても、その薬を使えない人には無関係。すべてのアメリカ人が薬価値下げの恩恵を受けられるとは限らないのです」
米国最大規模のドラッグストアであるCVS/Pharmacyの店内。処方薬を受け取ることもでき、アメリカに住む人の多くが利用している
保険の種類が多く制度も複雑なアメリカでは、薬価引き下げが医療費高騰の全面的な解決につながらない場合もあるようだ。前嶋氏が続ける。
「また、トランプの大統領令ではよくあるケースですが、今回も、その根拠となる法律がほとんど示されていません。ですから医薬品の大幅な値下げについて具体的に何かやろうとすれば、議会での立法プロセスが必要になる。
そう考えると、第1次政権のときと同様、これは『支持を増やすためのアピールに過ぎず、実際には何もできない』可能性もあると思います。
ただし、そこはトランプ大統領。値下げの実現が可能か否かなど二の次で、自らの『アメリカファースト』な姿勢と『それを邪魔する敵』の存在を支持者にアピールできれば、十分なのかもしれません。
今回もトランプが強調しているのは、アメリカ国民が他国の利益のために過大な負担を強いられて犠牲になっていることや、ほかの国がアメリカ人の負担にただ乗りしている状況をこれ以上許さない!という、ほかの政策にも共通するおなじみの構図です。
結局、薬価の問題もそうしたアピールのための『ネタ』に過ぎないと考えるなら、あまりシリアスに受け取らなくてもよいのかもしれません」
■適正価格の基準はどこに?「そもそも、米国の薬価と日本や欧州の先進国の薬価を比較すること自体に無理がある」と語るのは、医療ジャーナリストの村上和巳氏だ。
「『ほかの先進国と比べてアメリカの薬価は大幅に高く、アメリカ人が不当な負担を強いられている。だから、製薬会社はアメリカで販売する医薬品の価格を、ほかの先進国で最も安い価格まで引き下げるべきだ』というのが、今回の大統領令でトランプが製薬業界に求めている最恵国待遇です。
しかし、日本やEU諸国といった公的保険制度のある国々の薬価が基本的に『公定価格』なのに対して、アメリカの薬価は『自由価格』ですから、製薬会社は自由に販売価格を決められる。
こうした医療制度の根本的な違いを無視して、単純に医薬品の価格を比較し『アメリカでは医薬品が不当に高く売られている』と主張すること自体がメチャクチャな話です。
長年、医療や保険制度に関しても市場主義を優先し、政府による薬価への介入や公的保険制度の拡充に強く反対してきた共和党の責任を棚に上げて、『アメリカの薬価が不当に高い』と訴えるのは筋違いな話だと思います」
ワクチン懐疑派のロバート・F・ケネディ・ジュニア米保健福祉省長官は、製薬業界の改革を掲げている
その上で、アメリカの薬価の高さの背景には、医薬品流通の構造的な問題もあると村上氏は指摘する。
「医薬品に政府による公定価格がなく、民間の医療保険に支えられたアメリカでは、医薬品メーカーと保険業界の間に、PBMと呼ばれる薬剤給付管理業者が介在する複雑で透明性の低い価格決定システムがあります。
そのため、一部の医薬品をより多く保険会社の指定医薬リストに入れて売り込むための『販売奨励金』的な費用や、処方薬の大々的なテレビ・ネット広告のための費用などが、医薬品の価格に上乗せされていることが多い。
ともあれ、新薬を中心にアメリカ市場での医薬品価格が高いのは事実で、トランプが主張しているように、その収益が製薬会社の研究開発費を支えているという一面もあると思います。
ですから、トランプ政権が本気でアメリカ独自の医薬品流通制度やPBMのような中間業者の利権にメスを入れるというのであれば、一定のレベルで薬価を引き下げることも可能かもしれません。ただし、これらの業界は伝統的に共和党の支持基盤である場合が多いので、政治的に考えると実現は難しいでしょう。
そもそも、アメリカ国内の薬価を『ほかの先進国で最も安い国と同等レベル』まで下げさせると言いますが、その比較対象となる『先進国』の定義もよくわかりません。
それに、アメリカ国内のみで販売されている医薬品も多く、その場合は価格を他国と比較すること自体が不可能ですが、トランプは何を論拠に『薬価を適正価格まで下げろ』と主張するつもりなのでしょうか?」
■日本の製薬業界再編につながる可能性も!?このように、現実にはさまざまな問題だらけで、根拠となる法律や合理性にも乏しい「薬価大幅引き下げ」に関するトランプの大統領令。
しかし、目下トランプ政権が各国に突きつけている「相互関税」の根拠を見てもわかるように、たとえ合理的な根拠や公正な理由がないデタラメでも、強引に「薬価の大幅引き下げ」を要求し、製薬会社が従わなければ、あの手この手で圧力や規制をかけてくる可能性も完全には否定できない。
その場合、アメリカの市場で医薬品を販売している日本の製薬会社にも大きな影響が出る可能性があると村上氏は指摘する。
日本の大手製薬企業の多くはアメリカで多額の売り上げがあり、米国市場への依存度が高いと言える
「別表を見ていただければわかるように、国内上場製薬企業の大手10社のほとんどが、総売上額の30%以上を米国市場に依存しており、一部では売り上げの半分以上を占めています。
ただし、各社が米国市場で扱っている新薬の中には、日本やほかの先進国に比べて米国での販売価格が高いものもあれば、価格差がそれほどないものも存在します。また、日本の製薬企業の製品には、アメリカの市場でしか販売していない医薬品もあります。
そのため、仮にトランプが強引な形で薬価引き下げを迫った場合、それが日本の各社にどのくらいネガティブな影響があるかは、米国市場への依存率だけで単純に判断することはできません。
しかし、ただでさえ日本の製薬業界は、巨額の研究開発費で競い合う世界の製薬業界における競争力を失いつつあります。そんな中、米国市場への依存度が高い企業が、トランプ政権によって強引に薬価の大幅な値下げを強いられれば、経営に深刻な打撃を受ける可能性もある。
『トランプの本気度がハッキリしない現時点では、まだなんとも言えない』というのが正直なところですが、仮にトランプが米国内での薬価引き下げを強行するようなことになれば、それが日本国内の製薬業界再編につながる可能性もゼロではないと思います」
米国との関係が深い日本の製薬業界。トランプ政権下で大きな動きがあるかもしれない。
取材・文/川喜田 研 写真/共同通信社 時事通信社
記事提供元:週プレNEWS
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