「道は一つじゃない」。20余年の道のりを経て五輪メダリストを生み出した、福岡県のユニークな試みとは【松田丈志の手ぶらでは帰さない!~日本スポーツ<健康経営>論~ 第16回】
さまざまな競技を子どもたちに体験させ、適性にあった種目を見つけるという「福岡県タレント発掘事業」から、昨年ついに五輪メダリストが誕生した。今回は、「人生の可能性の間口を広げる」というテーマで語る。写真はこの事業出身である世界的なハンドボールプレーヤー、部井久アダム勇樹と東京五輪に向けた取材時に撮影したもの
私がまだ現役の頃、福岡県立プールで合宿をしたことがありました。そのとき、館内に掲示されていた一枚のポスターが目に留まりました。
「福岡県タレント発掘事業」──さまざまな競技を子どもたちに体験させ、適性に合った種目を見つけるというユニークな取り組みです。泳ぎ終わったあとにふと目にし、「面白いことをやっているな」と思ったのを今でも覚えています。
それから10数年あまり。
あの取り組みが今や22年の歴史を持ち、ついにはオリンピックメダリストまで輩出したと知り、嬉しく思いました。
福岡県の「タレント発掘事業」は、2004年に全国に先駆けて始まりました。事業スタート以降、1次選考会申込者数は年々増加し、2025年度には過去最多となる5万6,817人が参加。その中から158人が受講生として選ばれ、専門的な育成プログラムに進んでいます。さらに、国際大会出場者は延べ686名、全国大会優勝者は延べ301名にのぼるなど、確かな実績も積み上げられてきました。
そして、事業開始から21年目の2024年、ついに快挙が生まれました。
福岡県出身で本事業の修了生である髙嶋理紗選手(たかしま・りさ、大牟田市出身)と福島史帆実選手(ふくしま・しほみ、宗像市出身)が、パリ五輪フェンシング女子サーブル団体で銅メダルを獲得。これはタレント発掘事業から初めて誕生したオリンピックメダリストであり、長年の取り組みの成果を象徴する出来事となりました。
また、この事業から活躍の場を広げた選手の一人に、ハンドボール日本代表の部井久アダム勇樹選手(べいぐ・あだむ・ゆうき)がいます。中学生時代に参加し、身体能力の高さを見出されて競技に取り組むようになった彼は、フランスのプロリーグでプレーしました。東京2020大会、そしてパリ2024大会でも日本代表に選出された、世界を舞台に戦うトップアスリートの一人です。多様な競技の可能性を広げるこの事業の理念を体現する存在でもあります。
さまざまな競技を子どもたちに体験させ、適性にあった種目を見つけるという「福岡県タレント発掘事業」から、昨年ついに五輪メダリストが誕生した。今回は、「人生の可能性の間口を広げる」というテーマで語る。写真はこの事業出身である世界的なハンドボールプレーヤー、部井久アダム勇樹と東京五輪に向けた取材時に撮影したもの
この事業の素晴らしさは、「道は一つじゃない」というメッセージが一貫している点にあります。
体力測定を通して、子どもたちは思いもよらなかった競技と出会い、自分の可能性を探っていきます。フェンシング、アーチェリー、ハンドボール、ウエイトリフティングといった、学校体育ではほとんど触れない競技に触れられる点は、日本の育成現場にとって非常に価値のある構造です。
これを形にするためには、競技を超えたネットワーク構築が必要です。
多くのスポーツ現場では「囲い込み」が常態化しています。「うちのチームにずっといてほしい」「この競技だけを続けてほしい」──そうした指導者や団体側の論理が、子どもたちの視野を狭めてしまうことも少なくありません。学校部活動でも「3年間続けることが素晴らしい」という価値観が根強く、ほかの競技に挑戦しづらい空気があります。
福岡県タレント発掘事業では、それらを意図的に打ち崩そうとしています。固定化せず、多競技を横断して経験できるように設計されており、まさに海外で主流の「マルチスポーツ」の思想に近い。実際、欧米では季節ごとに競技を変えながら育っていくのが一般的です。福岡県タレント発掘事業に参加している子どもたちは、そのような環境に近づいているように思います。
もちろん、課題もあります。
県内すべての地域に必要な施設や指導者がそろっているわけではなく、スポーツの選択によっては子どもたちが遠方まで通わなければならないケースもあります。なかには新幹線を使って通っている受講生もいると聞きます。学区を越えた学校選択が必要になることもあり、本人の強い意志と家族の理解が不可欠です。
一方で、いち早く本事業をスタートした福岡県だからこそ、「循環型の仕組み」が少しずつ回り始めていることも、非常に意義深いと感じています。
修了生が教員や指導者として現場に戻って次の世代を育てており、JOCや福岡県のスポーツ事業に関わる修了生もいます。また近年では、企業と連携したプログラムによって、競技のその先を見据えたキャリア支援の取り組みも始まりつつあります。
私が特に伝えたいのは、スポーツのキャリア、一つの道だけがすべてではないということです。そこを"ゴール"だと思い込んでしまうと、その先のキャリアや別の道を描く視点が持てなくなってしまう。だからこそ、若いときから「さまざまな人生」をどう歩むかを考えておくことが大切なのだと思います。
福岡県で先駆けて始まったこの取り組みは、今や全国48地域(40都道府県、7市区町村、1広域)が参加する「ワールドクラス・パスウェイ・ネットワーク」(WPN)へと広がっています。地方自治体が連携し、地域の特色を活かしながら次世代を育てていく流れが全国に波及しているのです。
スポーツの価値は、メダルや記録だけで語れるものではありません。自分に向き合い、仲間と切磋琢磨し、自ら道を選び取った経験が、人生を支える大きな力になります。その可能性を最大限に活かすために、福岡県のような取り組みが、今後は「競技を終えたその先」にまで寄り添っていくことが大切だと感じています。
スポーツの道はひとつじゃない。そして、人生の道もまた、ひとつではありません。その理想を実現する社会へと、これからもスポーツが貢献できることを願っています。
文/松田丈志 写真提供/福岡県タレント発掘実行委員会 cloud9
記事提供元:週プレNEWS
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