はじめて手にした五輪への切符。浅田真央がライバル、キム・ヨナについても語る『NumberTV』第20話

『NumberTV』
NTTドコモの映像配信サービス「Lemino(レミノ)」では、さまざまなジャンルのトップアスリートを招き、彼らの競技人生における「最大の挫折」の真実に迫る『NumberTV』を配信している。その時何を感じ、どう壁を乗り越えたのか。選手本人が当時の写真と向き合いながら、復活までの道のりを明かす本格ドキュメンタリーだ。#20では、世界中から愛される天才フィギュアスケーター・浅田真央さんの挫折と苦悩に迫る。
天才少女から世界女王へ。立ちはだかる女性特有の壁とライバルの存在
2005年12月、GPファイナルで初優勝し15歳で世界女王となった浅田真央。浅田は当時を振り返り、「一番ノッていたとき」「ジャンプを跳ぶのが楽しくて朝から晩までできたっていうのがなによりよかったと思う」と言う。しかしこの頃から新たなライバル、キム・ヨナが浅田の前に立ちはだかることとなる。
浅田はさらなる高みを目指し、拠点を海外へと移すが、オリンピックを1年後に控えた2009年3月、シニアの国際大会ではじめて表彰台を逃す。代名詞であるトリプルアクセルは、いつしか浅田自身に重くのしかかる存在に。ただただ楽しいだけではスケートができなくなってしまっていたのである。当時の浅田の様子を見てきた姉の舞は、「思春期の女性アスリートにとっては、体重との戦いがすごく難しいところに入ってくる」と話した。
不調のなか迫るバンクーバー五輪の最終選考会。その直前、浅田はこれまで普通にできていたジャンプがなにも跳べない状態にまで陥っていた。姉の舞はそんな浅田に「10年間やってきて10年間築いたものが、この1週間とか1ヶ月で崩れるわけがないんだから。逆にそれでできなくなる方がすごいよ!」と言い続けた。その姉の言葉を胸に、もう一度自分を信じ、浅田真央は全日本選手権に挑み見事に優勝をはたす。遂に自分を取り戻し、はじめてオリンピックへの切符を手に入れるのだった。
そして挑んだバンクーバー五輪。女子選手では初となる1大会で3度のトリプルアクセルを成功させたものの、金メダルには届かず銀メダルとなった。15・16歳のころから「自分のためだけにやっているスケートじゃない」と思ってきたという浅田は、「バンクーバー五輪の銀メダルはひとつの恩返しになったんじゃないかな」と語り、そのとき金メダルを手にしたライバル、キム・ヨナについては、「同い年のふたりが金銀が獲れたことはよかったんじゃないかなと思う」と言う。
【制作・編集:All About編集部】
記事提供元:Lemino ニュース
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