ローアマ獲得に日本人最少スコア 松山英樹のマスターズ戦歴【前編】
海外メジャーの「マスターズ」が10日(木)にいよいよ開幕する。今年で14回目の出場となる松山英樹。日本のエースはゴルフの祭典でどのような成績を残してきたのか。その戦歴を振り返る。今回はアマチュアとして初出場した2011年から、日本人最少スコアを打ち立てた15年大会まで。
◇
■2011年:歴史的快挙、日本人初の“ローアマ”獲得
松山は日本人として初めてアマチュアでマスターズに出場。当時は東日本大震災から間もない時期で、被災地・東北福祉大の学生だった松山は、海外メディアからも大きな注目を集めた。
そんな中、4日間を戦い抜いてトータル1アンダー・27位タイ。日本人初のローアマチュアを獲得するという歴史的快挙を成し遂げた。
当時の松山は、「日本の被災地はまだ大変ですが、マスターズでのプレーで少しはみんなに希望と喜びを与えられたと思います」とスピーチ。その戦いぶりに、会場からはスタンディングオベーションが沸き起こった。
この年は藤田寛之、池田勇太、石川遼、松山の4人が日本勢として出場していた。
■2012年:2年連続の快挙ならず、悔しさ残る予選突破
2年連続でアマチュア出場となった松山は、初日に1アンダー・14位タイと好発進。しかし2日目は「74」とスコアを落とし、トータル1オーバー・31位タイ。それでも予選を突破した。
最終日は翌年の出場権を得られる16位以内を目指したが、日に日に難度を上げるオーガスタの前に「80」と崩れ、トータル9オーバー・54位タイでフィニッシュ。来季の出場権はおろか、ローアマチュアの座もパトリック・キャントレー(米国)に譲る結果となった。
試合後、「これが自分の実力。この悔しさを来年返せるように、また帰ってきたい」と前を向いた。
■2014年:前年に日本で“賞金王”、米ツアー本格参戦のシーズン
前年、プロ転向1年目で国内ツアー4勝を挙げ、賞金王に輝いた松山。2014年から米ツアーを主戦場とし、プロとして初めてマスターズに挑んだ。
しかし、初日は「80」と大きく崩れて8オーバー・90位タイ。2日目は「71」と持ち直したものの、トータル7オーバーで予選落ちとなった。
左手の不調を抱えていたが、「準備がダメだったとは思わない」と語りつつ、「予選落ちは悔しい。それ以上の言葉はない」と、胸の内を明かしていた。
■2015年:“日本人史上最少スコア”4度目の出場で初トップ5入り
4度目のマスターズで、松山は自身初のトップ5入り。大会を通じて60台が出せなかった3日目までの反省と、最終日の「66」による満足感が入り混じる大会となった。
初日は4バーディ・3ボギーの「71」で1アンダー・18位タイ。前年の「80」に比べて、「去年の初日よりは…」と一定の手応えをつかんでいた。
そして、トータル5アンダー・10位タイで最終日を迎えた松山は、1イーグル・4バーディ・ボギーなしの「66」をマーク。トータル11アンダーの単独5位で終えた。
伊沢利光、片山晋呉が記録した日本人最高位の4位には及ばなかったが、トータル11アンダーは当時の日本人最少スコアとなった。
◇
次回の中編では、優勝争いを繰り広げた16年大会から、タイガー・ウッズの歴史的復活劇までを振り返る。
<ゴルフ情報ALBA Net>
記事提供元:ゴルフ情報ALBA Net
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。