"極悪女王"がいなかったほうの女子プロレス団体「ジャパン女子プロレス」のリングアナがその裏側を語る!
「神取忍vsジャッキー佐藤の一戦はプロレス史にあっちゃいけなかった。でも、『伝説の聖なるシュートマッチ』とマスコミは書き立てたんです。バカじゃないか。ちゃんと見てたのか?」と語る山本雅俊氏
昨年、「全日本女子プロレス」をモデルにしたドラマ『極悪女王』が話題になったが、老舗の全女に相対した団体「ジャパン女子プロレス」について語られることは、今ではほぼなくなった。
そんな"極悪女王がいなかったほうの女子プロレス団体"を総括する一冊『【実録】ジャパン女子プロレス』を上梓したのは、同団体のリングアナウンサー"ヤマモ"こと山本雅俊である。
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――振り返ると、旗揚げ時のジャパン女子は秋元康率いる作家集団と業務提携をしていました。彼が手がけた仕事で有名なのはリングネームの考案。
キューティー鈴木が当初は「アップル鈴木」だったり、ハレー彗星が近づいていたから「ハレー斉藤」という名前を考えたり。
山本 私はアリだと思っていました。"極悪女王"ことダンプ松本やクレーン・ユウなど、全女では重機からリングネームを考えていたらしいですし。
結局、そういうほうが覚えられやすいので、最初は奇をてらったぐらいがいいと思いました。
――そんなジャパン女子の当初の看板選手は、知名度からいってジャッキー佐藤ですよね。
山本 でも、会社が推していたのは神取忍です。ジャッキーさんも「自分は決して主役じゃない」という意識はあったと思いますよ。
ただ、「私がコントロールする団体」「自分に与えられた団体」とイメージしていた気はします。
――いわば、森喜朗みたいな?
山本 そうそう。だから、ジャッキーさんは怖かったです。プライドもすごく高くてね。
――一方、神取忍はどういう印象でしたか?
山本 すごい逸材だと思いました。試合のときは、ヴァンダレイ・シウバみたいに野性がグッと出る。
ただ、試合以外ではむちゃくちゃ明るくて、場を盛り上げるんです。「この人は絶対に大物になる」と思いました。
――ふたりの間に決定的な亀裂が入ったきっかけは?
山本 まず、団体からのギャラが滞った。それで、神ちゃんは「ギャラが出ないなら試合に出ないよ」と。一方のジャッキーさんは「生意気だ」と。
その後、試合に出たり出なかったりした神ちゃんが大会に来たんです。その日はタッグマッチで、ジャッキーさんが場外の神ちゃんにラリアットしにいったときに、ラリアットと見せかけて2本指を立ててピュッて目に当ててね。
だから、神ちゃんが「もう、次はこれ(セメント)でやってやるよ」って。
――神取の申し出により、ふたりの試合は団体公認のシュートマッチに発展しました。ただ、この本には「ジャッキーさんはこういう試合になることがわかっていなかったのではないか」とも書かれています。
山本 セメントだとはわかっていたと思います。ただ、ジャッキーさんは『極悪女王』でも描かれた抑え込みとか、スパーリングのような極めたり絞めたりをイメージしていた気がします。
――この一戦の後、ジャッキーは3ヵ月欠場し、短期間ながら復帰するも結局フェードアウトしました。「心を折る」という神取の言葉がありますが、やはり心が折れたのでしょうか?
山本 あの試合の数日後、ジャッキーさんは「私はもう終わりですから」と言っていました。
――「私のための団体」と思っていた人が「私はもう終わりです」と口にした......。この試合について、山本さんは「プロレス史になくていい出来事だった」と公言されていますね。
山本 その後、マスコミがこの試合を「伝説の聖なるシュートマッチ」と書き立てたんです。バカじゃないか、と。その場にいて、ちゃんと見てたのか?
この一戦について「あれはあっちゃいけなかった」と書けただけでも、私はこの本を出せたことにすごく感謝しています。
――ただ、この一戦で神取の最強幻想はピークに達しました。
山本 だから、自分は長与千種vs神取をやってほしかったんですよ。当時の社長は「神取を使わないでくれ」と全女に電話していたけど、長与さんとやれば注目されるじゃないですか?
ジャパン女子にはお客さんが入っていなかったし、長与戦を実現させて神ちゃんが有名になるほうがいいと思っていました。
――そんなジャパン女子の光明として、キューティー鈴木のブレイクが挙げられます。この人気は自然発生的なものだった?
山本 そうですね。当時、新日本プロレスの経理だった人から「ジャイアント馬場、アントニオ猪木、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ダンプ松本、タイガーマスクはプロレスファンじゃなくても名前を知っている。プロレスはそういう存在がいなきゃだめだ」と言われたんです。
そして、今でもキューティー鈴木といえば「あ、知ってる」という人がいるわけですよね。
――全女にはダンプ松本がいて、極悪女王のいなかったジャパン女子が擁する存在としてキューティーはブレイクしました。
山本 それまでの女子プロレスが影響しえる領域の外まで届いて、アイドルフリークや文化人などプロレスに興味がない人たちも振り向くようになりました。
――ジャパン女子を見に来る文化人といえば、尾崎魔弓を追いかけた堺屋太一氏が有名です。
山本 堺屋先生にはよく応援していただきました。先生と食事会をすると大物がいっぱい来て、その中にWOWOWの局長がいたんです。
そこで名刺交換をして、JWPを旗揚げした頃に「WOWOWでJWPを中継しようと思う」と電話がかかってきたんです。だから、先生がいなければ実現しなかった話はすごく多いです。
――1992年にジャパン女子は崩壊し、JWPとLLPWの2団体に分裂します。その経緯があったので、実は山本さんは神取忍にいい感情を抱いていないのでは?という先入観を持っていました。なのに、この本で神取は山本さんの思い入れたっぷりに描かれています。
山本 それぞれの立ち位置やプロレスに対する気持ちはみんな違うし、すれ違いは確かにありました。だけど、それを前面に出すことは大人じゃないと思うんですね。
あと、神ちゃんや風間ルミさんの口から自分を非難する言葉が出たことは、今まで一回もないんです。
だから、本の最後に「本書を、故・風間ルミさんに捧げる」と書きました。風間さんがいたからヤマモという男を認識してもらったし、相反する対象がいなくなれば自分の存在感だって薄れていくでしょう。
風間さんが亡くなったときの喪失感はものすごかったです。
■山本雅俊(やまもと・まさとし)
1956年生まれ、徳島県出身。1986年、「ジャパン女子プロレス」にリングアナウンサーとして入団。同団体解散後の1992年1月、代表取締役として「JWP」を創業する。JWPでは両国国技館大会開催、WOWOWでの試合中継実現などの業績を上げる。2001年1月、JWP退社後は自身の原点に返り、フリーリングアナウンサーとしてプロレスのみならず格闘技業界でも活躍。イベントプロデューサー、執筆家など多彩な顔も併せ持つ。愛称は"ヤマモ"。尊敬する人物は山本小鉄
■『【実録】ジャパン女子プロレス』彩図社 2200円(税込)
神取忍、キューティー鈴木、尾崎魔弓らを輩出した団体であり、昭和プロレスの忘れ物ともいうべき「ジャパン女子プロレス」。団体崩壊から32年の時を経て、その回顧録がついに出た! 同団体のリングアナウンサーだった"ヤマモ"こと山本雅俊が、豪華旗揚げ戦の舞台裏、地方興行で知った現実、ジャッキー佐藤vs神取忍の内幕など、今のプロレスマスコミやファンが認知していない貴重な史実を余すところなくつづった、魂の一冊だ
『【実録】ジャパン女子プロレス』彩図社2200円(税込)
取材・文/寺西ジャジューカ 撮影/鈴木大喜
記事提供元:週プレNEWS
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