「まるでこたつソックス」何故ここまで売れているのか?研究開発の舞台裏:読んで分かる「カンブリア宮殿」
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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大ヒット!こたつみたいな靴下~セブン&ドンキ向けも製造
愛用者が「こたつに足を突っ込んだ温かさ」と言う「まるでこたつソックス」(1980円)。厚手のフワフワした生地で足首がくびれた形状のこの靴下は、口コミで全国に広がり、シリーズ累計1500万足を売る大ヒットとなっている。
【動画】「まるでこたつソックス」何故ここまで売れているのか?研究開発の舞台裏
冷え性に悩んできたと言う大西花香さんは、これまで他の靴下もいろいろと試したが、これをはいてからは手放せなくなった。「他の靴下は体の中まで温まらない。これは芯までポカポカするので助かります」と言う。
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画期的な靴下を作った岡本の奈良工場は靴下の一大生産地、奈良・広陵町にある。その生産量は年間3億足以上。日本の靴下のトップメーカーだ。
実はスポーツブランド「ミズノ」の靴下や「セブン‐イレブン」に並ぶ靴下も岡本が手掛けている。他にも「トップバリュ」や「ドン・キホーテ」など、岡本が生産を請け負うのは約40社。過去には赤字寸前まで業績が悪化した時期もあったが、見事V字回復。2023年度は過去最高の売り上げ482億円を叩き出した。
〇岡本の靴下、ここがすごい1~10円玉の大きさでポカポカ
他社ブランドの生産を請け負ってきた岡本が自社ブランドに挑んだ「まるでこたつソックス」。手掛けたのは研究開発部・新賀一郎。10件近くの特許を取得した岡本の発明王だ。
「イノベーションを起こせるような新しい発想のアイデアで、お客様に喜んでいただける技術開発をしています」(新賀)
「こたつソックス」は5年をかけた新賀の苦心作。「秘密は足首にある」と言う。
足首のくびれた部分には、汗を吸うと発熱する10円玉くらいの生地が仕込んである。血管や神経が集まっている三陰交にピンポイントで熱を加えると、足は内側から温まっていく。しかも脱いでもすぐに冷たくならず、ポカポカした状態が15分くらい続くという。
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「どこに糸を配置するか。人間の足の研究と組み合わせると奥が深いと思います」(新賀)
こうしたオリジナル商品を岡本は自社工場で製造している。靴下業界は工程ごとに会社が分かれていたが、岡本は自社工場で一貫生産。靴下作りの全ての工程の技術を磨き、17年連続で業界トップを走っているのだ。
絶対脱げない、むくみ解消!?…足元の悩み解決でヒット連発
〇岡本の靴下、ここがすごい2~全力疾走でも脱げない
女性に靴下の悩みを聞くと、多いのが、靴の中でずれたり脱げたりすること。特に靴下を見せたくないファッションの時にはくフットカバーが、靴の中で脱げてしまうと言う。
そこで岡本が4年をかけて開発したフットカバーが「脱げないココピタ」(440円)だ。
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引っ張っても脱げない秘密は、かかとの部分にある。内側にコの字型のストッパーをつけ、かかと部分をホールドする。
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岡本の工場には研究所がある。この日は夏向けの商品開発が行われていた。蒸れない靴下を作ろうと、室内を30度まで上げて実験。靴下の中にセンサーを仕込み、湿度、すなわち「蒸れ具合」を計測していた。
社長・岡本隆太郎(46)は「はいて違いが分かる、体感できる靴下を実現しようと取り組んでいます」と言う。
実は靴下を取り巻く環境は、厳しさを増している。靴下の購入単価はピーク時に比べ2割減少(※出典:総務省家計調査)。3足1000円が当たり前になる中、岡本は高機能な商品で業界に風穴を開けようとしているのだ。
「価値を届けられていなかったから価格が落ちた。靴下で生活の質を高められる、進化の可能性はすごくあると思っています」(岡本)
〇岡本の靴下、ここがすごい3~自由自在の編み機でヒット連発
研究所の一角ではオリジナルの編み機を開発中だ。
「世界にない商品を生産できる装置をつくる。オリジナルの編み目や編み方を開発できないか、と」(技術開発部・福井隆夫)
従来の編み機は、編み目の大きさを編んでいる途中では変えられなかったが、岡本は変えられるようにした。編み目が大きいと締め付けは弱いが、編み目を小さくすると締め付けは強くなる。この性質を使い、筋肉に沿って編み目を小さくすることで圧迫を加え、足のむくみ対策の靴下を作り出した。
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この「うずまいて血行を促すソックス」(1980円)は一般医療機器として販売されている。
「エコノミー症候群(の予防)に効くと思うので、飛行機や新幹線などで長時間座る方に使っていただきたいと思います」(福井)
一方、24時間臭わない靴下「スーパーソックス」(1100円)は6年かけて糸から開発した。臭いの元となる細菌の繁殖を抑える工夫で1100万足を売る大ヒットとなっている。
マーケティング本部・山村美裕は、自宅で、発売した就寝時専用の靴下「おやすみスイッチ」(3500円)の効果を検証していた。
指先が開いていて熱がこもりにくい設計で、三陰交に加え、足の裏にも発熱繊維が編み込まれている。これをはいたら睡眠がどう変わるのか、データをとる。布団の中で睡眠に入るまでの時間などをチェックし、改善ポイントを探っていく。
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こうして岡本は靴下で生活を豊かに変えようとしている。
「自称『靴下の可能性の中心だ』と言っています。靴下の可能性を広げていきたいです。日本から世界にどこまでできるか、挑戦したいと思っています」(岡本)
非情なファックスが届いた~こたつソックス誕生秘話
創業者は岡本の祖父にあたる久太郎。母を手伝いたいと、1934年、納屋で手回しの編み機を使い靴下を製造したのが始まりだった。
会社を大きく発展させたのが父の哲治。分業をやめ、一貫生産にして納期を3分の1に短縮。大手ブランドがこぞって依頼してくる引く手あまたのメーカーに変えたのだ。
そんな創業家に1979年、岡本は生まれる。跡取り息子としてのレールが敷かれていたのだが、「そこに生まれたから社長になるというレールに乗るが嫌で、レールからはみ出そうとしていました」(岡本)。
岡本は高校を中退し、「自分探しの旅」と称して海外へ。キューバやモルディブなど20カ国以上を回ったが、やりたいことは見つからず、失意のまま帰国した。
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「外に自分らしさを探したけれど、いつまでも見つからない。自分の存在意義が感じられない。情けなかったですね」(岡本)
岡本はアルバイトをしながら悶々とした日々を過ごした。だが、25歳の時に転機が訪れる。父から「岡本に入ってくれ。会社にお前が必要だ」と切り出された。
「本当に助けてもらった。それがなかったら今はない」(岡本)
行き場をなくしていた自分に手を差し伸べてくれた父の思いに報いたいと、岡本は入社を決意。必死に働こうと心に誓った。
当時、経営は深刻な状況にあった。中国などの安い靴下が台頭し、価格競争が激化。追い打ちをかけるように、海外ブランドから突然、契約を打ち切られた。最終的にファックス一枚の通達で年間20億円の売り上げが吹き飛んだ。
このままでは生き残れない。先代の父は全社員に「Change, or Die」と告げた。
「変わらなければ死ぬ。いつか契約がなくなるかもしれないというリスクが常にある。だから自社ブランドをつくらないといけない」(岡本)
2012年、自社ブランドを本格的に推進する新規事業本部が立ち上がり、岡本は責任者を任された。これまでの試作品などを見直し、自社ブランドでやってみようと思ったのが、三陰交を温める靴下だった。
「今まで温めるというと、外側だけを温める、だった。体の中から改善するというのは今までと違う。可能性が広がりそうだと感じました」(岡本)
2013年、「三陰交をあたためる あったか厚手靴下」が完成。
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繊維の特性や編み方を大きな文字でアピールし、1500円で売り出した。しかし、まったく売れず、初年度に1億円の赤字を出し、岡本に批判が集まった。
「みんなが稼いでくれた収益を僕が浪費している。お荷物的な部署に見られていたと思います」(岡本)
岡本は売り方のヒントを求め、薬局や雑貨店などさまざまな売り場を観察して回った。
そしてある家電量販店のデジカメコーナーで、客が店員に「どれも何万画素とか書いてあるけど、どれがいいですかね?」と聞くのを目にする。メーカーは画素数などの性能をアピールしていたが、それでどんな写真が撮れるのか、客には伝わっていなかったのだ。
「ふと違う業界を見た時に、靴下業界と一緒だと思った。新しい技術ができても、売り場でぱっと見た時にどれがすごいのか、よく分からない」(岡本)
岡本は「あったか厚手靴下」の売り方を見直すことにした。まず若手社員と共にネーミングから練り直すと、そこで出た案の一つが「まるでこたつソックス」だった。技術的なことより、はいた時の体感をアピールする方向に転換したのだ。
さらに、肌ざわりが重要な靴下は袋に入れずに販売するのが常識だったが、「今までの靴下の常識は無視した。靴下と思われるとダメだと思いました。値段も違うから、いかに常識からはみ出すか」(岡本)。
試行錯誤すること2年、ネーミングもパッケージも一新した「まるでこたつソックス」の販売を開始。中身はまったく同じ商品だったが、小売店の反応が変わった。
「『こたつソックス』はかわいいし、デザインが良くて伝わりやすいと感じます。間違いなく売れます」(福岡・久留米市のスーパー「ゆめタウン久留米」・永満政宏さん)
こうして「こたつソックス」の快進撃がスタート。今では会社の利益の半分を自社ブランドが生み出すようになった。
前向きな失敗は美しい~編み物の歴史を変える発明?
岡本の社長室には、子どもの算数のテストの答案が飾ってある。間違った答えも懸命に書き込んでいる。
「前向きな失敗は美しいと思っていて、守りに入る時もあり、そういう時はこれを見て『あかん、挑戦していこう』と」(岡本)
岡本の研究所の一角に、20年以上にわたって挑み続けているものが置かれている。それは「ロータリー編み機」。セットされていたのは糸ではなく銅線。スイッチを入れると、機械が銅線を編み始めた。開発に挑んでいるのは、糸以外も編んでしまう編み機だ。
「柔らかいものから硬いものまで、いろいろな繊維状のものが編める。根本的に編む原理が違います」(岡本)
一般的な編み機は、針が上下に動き糸を引っ掛けて編んでいく。しかし、硬いものを編もうとすると、引っ張った時に折れてしまうことがある。
そこで開発したのが歯車のような針。円盤のくぼみに糸をかけ、強く引っ張らずに編めるようにしたのだ。
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これが完成すれば、アパレル以外の産業繊維も編み込めるようになる。
現状はまだ筒状の物しか作れないが、この先、編み物の歴史を塗り替える大発明が生まれるかもしれない。
「今までの靴下のものづくりとは違う発想でアイデアが出せる。可能性が大きく広がります」(岡本)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
岡本久太郎が、昭和9年に創業した。女手1つで家計をささえる母を何とか手伝ってあげたいという思いで、自宅裏の納屋を工場に改造、手回し編機を備え靴下の生産を始めた。現在も同じ地域に工場と研究開発拠点がある。「変革か、死か」岡本社長の先代が、言った。独自開発の素材による温熱刺激で爪先までの暖かさを実現。「ココピタ」は浅い丈の靴下は脱げやすいという問題を解決。「足もとから、ひとりひとりの幸せを共に創る」というミッションは代々続いている。足もとが快適だと全身がうれしくなる、岡本はそれをやり続けている。
<出演者略歴>
岡本隆太郎(おかもと・りゅうたろう)1979年、奈良県生まれ。2007年、岡本株式会社入社。2018年、代表取締役副社長就任。2021年、代表取締役社長就任。
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記事提供元:テレ東プラス
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