"史上最悪の麻薬"フェンタニル汚染急拡大にトランプはどう立ち向かう?
オピオイド系鎮痛剤の依存問題が深刻化しているアメリカ・フィラデルフィアのケンジントン通り。依存症や栄養失調などが原因で、まともに立つことができない人が多くいる
大統領の座に返り咲いたトランプが直面する大きな課題のひとつ。それがアメリカ国内のフェンタニル汚染だ。多くの依存者・死者を出す"史上最悪の麻薬"を、トランプは止められるのか? そもそもフェンタニルとはなんなのか? 薬物問題に詳しい精神科医と、アメリカの外交問題に詳しい国際ジャーナリストに聞いた。
■フェンタニルとはいったいなんなのか?ついに幕を開けたアメリカのトランプ劇場「第2幕」。そのトランプ政権が内政で直面する重要な課題のひとつが、この10年ほど、アメリカ社会に深刻な影響を与えている合成麻薬「フェンタニル」汚染の問題だ。
アメリカでは一昨年、フェンタニルの乱用が原因で約7万3000人が死亡したといわれており、単純計算で1日に約200人以上がこの薬物によって命を落としていることになる。
2016年に57歳の若さでこの世を去ったミュージシャン、プリンスの死因もフェンタニルの過剰摂取だった。
フェンタニル依存症患者は都市部の貧困層にも広がっており、深刻な薬物汚染で知られるペンシルベニア州フィラデルフィアのケンジントン地区では、多くの薬物依存症患者が街中をゾンビのように徘徊することから、通称「ゾンビタウン」と呼ばれているという。
こうした中、トランプ新大統領は違法なフェンタニルが中国から、メキシコやカナダを経由してアメリカ国内に密輸されているとして「メキシコとカナダが違法移民と薬物の流入に有効な対策を取るまで、25%の関税を課すことを検討している」と発言。
フェンタニルの原料となる化学物質の供給源といわれる中国に対しても、密輸を食い止めるまで10%の追加関税を課す方針を示している。
長年アメリカに深刻な社会問題をもたらし、外交や通商問題にも発展しているフェンタニルとは、そもそも、どのような薬物なのか?
「フェンタニルはいわゆる『オピオイド系鎮痛剤』の中でも最も強力な薬物のひとつです」と語るのは、薬物依存の問題に詳しい国立精神・神経医療研究センター・精神保健研究所薬物依存研究部部長の松本俊彦医師だ。
「オピオイド系鎮痛剤とはアヘンやモルヒネ、ヘロインなども含む麻薬・鎮痛剤の総称です。ケシの実の樹液から作られるアヘンに始まり、19世紀に入るとその有効成分を抽出した鎮痛剤のモルヒネが開発され、さらに化学構造を少し変化させて、より強力なヘロインが生まれました。
その後、オキシコドンなど強力なオピオイド系鎮痛剤が次々と登場する中、1960年代の終わりに登場したのが、天然のケシ由来ではなく完全な化学合成で作られるフェンタニルです。その効果は実にモルヒネの100倍以上、ヘロインの40~50倍ともいわれていますから、メチャクチャ強い麻薬であることは間違いありません」
■フェンタニル汚染がアメリカで広がった理由松本氏によれば、アメリカがこれほど深刻なフェンタニル汚染に陥った背景には、主にふたつの要因があるという。
「まず、オピオイド系鎮痛剤の安易な処方の問題です。
フェンタニルなどのオピオイド系鎮痛剤は手術の際や、がん患者などの疼痛(痛み)緩和のためには欠かせない重要な薬です。しかし、適切に使用しないと微量で呼吸停止による死を招きますし、日常的に使用すると非常に高い依存性を引き起こします。
ところが、アメリカでは90年代頃から、製薬会社の誤ったプロモーションなどにより、オピオイド系鎮痛剤のオキシコドンが日常的なケガや歯痛などの鎮痛剤として安易に処方され、薬局で買える『合法的な医薬品』として広く使われるようになってしまったのです。
医療保険制度が脆弱で医療費の高いアメリカでは、経済的な理由で十分な医療を受けられない人も少なくない。
そういう人たちが、比較的安価なオピオイド系鎮痛剤を日常的に使用することでいつしか依存状態となり、本来の使い方を外れて乱用する人が出てきたり、さらに強力な鎮痛剤のフェンタニルを使ったりするようになったのです。
もちろん、その後、オピオイド系鎮痛剤の問題が深刻化して、オキシコドンもフェンタニルも安易な処方は禁止されましたが、これらは極めて強力な麻薬だけに依存性もメチャクチャ高く、基本的にはやめられない......。
その結果、闇で売買されるフェンタニルに手を出したり、ほかの薬物にフェンタニルの成分を混ぜたさまざまな違法薬物が出回ったりするようになって、アメリカ社会に深刻なオピオイド・クライシス(危機)を招いたのです」
もうひとつは「社会的」な要因だ。アメリカで長年「違法薬物」として厳しく取り締まられてきた大麻やコカインなどと違い、オピオイド系鎮痛剤は「合法的な医薬品」として広まった。そのアクセスのしやすさから、それまで薬物依存問題がそれほど深刻でなかった白人の間でも、依存症患者が広がることになった。
「特に90年代以降、アメリカの製造業が衰退すると、トランプの支持者も多い『ラストベルト』(さびついた工業地帯)を中心に、貧しい白人社会でフェンタニル汚染が深刻な問題になっています。
こうした地域では自殺率も増えているのですが、フェンタニルのようなオピオイド系の薬物は『体の痛み』だけでなく、生きづらさを抱えた人たちの『心の痛み』にも効くので、こうした薬物に依存する人が増えてしまうのです。
ちなみに、アメリカのフェンタニル危機の話題でよく『ゾンビタウン』みたいな写真が紹介されますが、薬物依存の専門家から見ると、ああいう『ゾンビ状態』が典型的なフェンタニル依存の症状だとは思えません。
そうした地域には、フェンタニル依存だけでなく、ほかの薬物依存や精神疾患、栄養状態の不良などの病気を抱えている人も多く、『ゾンビ状態の人々』は多分にステレオタイプ的なイメージなのではないかと思います」
■「外交交渉のカード」としてのフェンタニルこうして、世界で最も深刻なフェンタニル汚染が進んでしまった北米だが、この問題は今に始まったものではない。
10年代に入りオキシコドンやフェンタニルの安易な処方が禁じられた後も、中国で製造された「前駆体」と呼ばれる原料をメキシコの麻薬カルテルが密輸し、違法に製造した安価なフェンタニルがアメリカに流れ込んだことで過剰摂取による死者が急増。
ほかの薬物にフェンタニルの成分を加えた「不純物」も数多く流通し、フェンタニルが含まれていることを知らずに使用して命を落とすケースも少なくないという。
第1次トランプ政権時代の18年に行なわれた米中首脳会談では、当時のトランプ大統領が中国政府に対してフェンタニルの規制を強く要望。翌19年には、オピオイドの不正取引に関与する外国人への制裁を強化する「フェンタニル制裁法」が制定された。
さらに21年にはバイデン大統領が「国家緊急事態」を宣言。24年には新たに「フェンタニル撲滅・麻薬抑止法」を制定して、メキシコを拠点とする「シナロア・カルテル」など8つの国際犯罪組織への制裁措置や不法な薬物取引に関するマネーロンダリング対策を強化したが、大きな成果は上がっていない。
果たしてトランプ政権はこの難問を解決できるのか?
「トランプ自身は、ああ見えてたばこもお酒も薬物もやらない潔癖な人ですし、フェンタニル汚染の問題がトランプ政権にとって重要な内政課題であることは事実です。ただ、それと同時にこの問題は外交や通商の駆け引きの大切なカードでもある」と指摘するのは、国際ジャーナリストの山田敏弘氏だ。
「トランプ自身も国内のフェンタニル問題の解決は簡単ではないことはわかっているはずですが、それを『メキシコやカナダ、中国の責任だ』と主張すれば支持者の目を外に向けることができますし、トランプが大好きな『関税引き上げ』の口実にしながら、相手国に対して強いプレッシャーをかけられる。ただ、実はこれは中国にとっても同じです。
22年、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長(当時)が中国政府の反対を押し切って台湾訪問を強行した際には、中国側が『米国とのフェンタニル問題に関する協議を停止する』と通告しました。
中国政府はこれまでも一貫して『わが国は麻薬を厳しく取り締まっている』と、アメリカ国内のフェンタニル汚染に対する責任を否定してきましたが、こうした中国政府の対応を見ると、彼らもまた薬物問題を『外交交渉のカード』として使っているのは明らかです。
『中国が麻薬取り締まりの手を緩めれば、フェンタニルの蔓延によってアメリカ社会に大きなダメージを与えることもできますよ』と圧力をかけているのです」
歴史を振り返れば、19世紀のアヘン戦争では、イギリスがインドで製造した大量のアヘンを清(中国)で蔓延させて、事実上の植民地支配を進めるきっかけとなった。
また、近年でもアフガニスタンでは、01年から約20年にわたる米軍駐留の間に国内でのケシの栽培と麻薬の密造が急増。一部には「米軍が裏でアフガンでの麻薬の生産と密売に関与していた」との指摘もあるという。
第2次トランプ政権は、国内のフェンタニル汚染にどう立ち向かうのか?
まずはお手並み拝見というところだが「史上最悪の麻薬」フェンタニルによる深刻な薬物依存に苦しみ、命を落とす人たちがいる一方で、この危険な薬物をある種の「戦略物資」として利用する国家間の「見えない戦争」が、今も世界の裏舞台で繰り広げられているのかもしれない。
取材・文/川喜田研 写真/時事通信社
記事提供元:週プレNEWS
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