“ぴちぴち戦略”人口2万人の町に年間120万人来店のヒミツ:読んで分かる「カンブリア宮殿」
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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鮮度と安さで大行列!~年間120万人殺到の秘密
愛知・半田市の「回転鮨 魚太郎」半田店。入り口にはオープン前から長い行列ができ、約120席はすぐさま埋まった。客の目当ては三河湾や伊勢湾、近海の地魚だ。旬を迎えた天然真鯛は1皿380円(時価、以下同)。地元で揚がったワタリガニが980円。この値段ではなかなか食べられない。
この店の最大の売りが、鐘の音とともに到着した水揚げされたばかりの魚。
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この日のお薦めは太刀魚。鮮度が落ちやすく、寿司ネタではなかなか出回らない。さっそく板前がさばき始めると、その様子は客席のモニターに映し出される。
新鮮さをアピールし、客を楽しませているのだ。炙り太刀魚は1皿380円。脂が強いが、炙りだからあっさり楽しめる。
この回転寿司を手がける会社は愛知・知多半島の南部、美浜町にある鮮魚店の魚太郎。本店の駐車場には全国各地からの車が並ぶ。人口2万人の町の鮮魚店に年間120万人がやってくる。
売り場には地元・伊勢湾で獲れた本場の伊勢エビに、サワラ・カワハギ・黒鯛など、回転寿司店と同様、地物が勢揃いしている。
何より驚くのがその価格。女性客を仰天させていたのが、丸々と太った天然ハマチ1620円。高級魚、金目鯛の大きな干物は864円。だから遠くからも客がやってくる。
この店でも、鐘の音とともに始まるのが「ぴちぴち販売」。
魚を丸のまま売っているのも、鮮度を落としたくないからだ。さばけないという客には、その場で希望を聞いておろしてくれる。料理法も、珍しいヨシエビなら「さっと茹でて半生で」などとアドバイスする。
他とは違う鮮魚店は評判を呼び、売り上げは右肩上がり。この10年で2倍以上になり60億円を超えた。
仕掛けた魚太郎2代目社長・梶山美也は、「どこよりも新鮮な魚を一人でも多くのお客様に届けて、少しでもおいしい魚を食べてほしい」と言う。
水揚げから店までノンストップ~鮮度を極める!驚きの舞台裏
〇魚太郎のここがスゴイ①~セリから直送、ぴっちぴち
早朝4時。地元・知多半島の片名漁港にやってきたのは仕入れ担当の商品部・平岡孝幸。この道20年以上のベテランだ。
並んでいるのは水揚げされたばかりの魚。4時45分、セリが始まった。そこには市場の仲買人にまじって平岡の姿も。魚太郎は鮮魚店でありながら、愛知と三重の5つの漁港でセリの権利を持っているのだ。
競り落としたぴちぴちの魚をトラックに詰め込み、6時半に港を出発して店舗へ一直線。朝の7時には店に到着、7時半には店頭に並んだ。競り落として2時間で販売するから、鮮度は桁違いだ。
一般的に魚は、漁港で仲買人が買い付けて市場へ。翌日、そこからスーパーや鮮魚店が仕入れている。だから、店頭に並ぶまでには水揚げから1日半はかかってしまう。一方、魚太郎は港で直接競り落とし、水揚げから4~5時間で販売する。
「他の店にできないことをする。獲れたてをすぐに販売する。だからお客さんも求めてくれる」(平岡)
魚太郎は最大の売りである鮮度を守るため、出店場所にもこだわっている。現在、店舗は6軒。その場所はセリ権を持つ港から車で2時間以内と決めている。
「鮮度で全然、味が違う。うちは鮮度が命の魚屋なので、できるだけお客様の口に入る目での時間を短くしたいと思っています」(梶山)
さらに、魚太郎はセリ以外にも魚の仕入れルートを持っている。地元漁師10人と契約していて、漁師が揚げた獲れたての魚がそのまま店舗へ。時には水揚げから30分で来ることもある。
「歳もとって朝早く市場へ魚を持っていくのが大変なので、都合のいい時に持ってきていいというのは大助かりです」(84歳の漁師・竹内泰司さん)
「海のごちそう」続々~1日楽しめる「魚のテーマパーク」
〇魚太郎、ここがスゴイ2~鮮魚のテーマパーク!
その鮮度をより多くの人に味わってもらうためにさまざまな仕掛けも考えた。
魚太郎の週末の名物はマグロの解体ショーだ。その後、じゃんけん大会がスタート。勝った人は希少部位を格安で買える。
買った魚を手にして店を後にした家族は隣にある建物へ。そこは1000人が入れる巨大なバーベキュー場になっていた(入場料金・大人1000円、小学生450円。フリードリンク付き)。ここでは店舗で買った魚をそのまま焼いて食べることができる。ここが目的で遠方から来る客も多いという。
バーベキュー場の一角にある建物は販売スペース、バーベキュー用に用意した食材80種類以上が購入できる。鉄板マグロステーキ(1408円)など、すぐに焼けるように下ごしらえしてある。
大きな赤えび(132円)、天然の鯛(418円)は浜焼きスタイルで。エビやイカ、貝などを米の上に盛り付けてもらい、そこに自家製スープをかけるのはパエリア(1353円)だ。
鮮魚売り場、バーベキュー場の他にも海鮮丼の屋台や、食堂も併設。家族で一日中楽しめる、魚のテーマパークを作り上げた。
「何よりも魚を好きになってほしいので、そのためのスタッフの頑張りがあります。行って・見て・話して・教えてもらって。いろいろな楽しい体験をできる場所でありたいなと思っています」(梶山)
外資系ホテルから鮮魚店に~門外漢が仕掛けた鮮魚革命
魚太郎は2024年4月、名古屋市内の商業施設の中に新店舗・瑞穂店をオープンさせた。初となる大都市での出店だ。
ここの売りは鯛めし(1パック680円)など地魚を使った惣菜などの海鮮グルメ。その日の水揚げによって変わる料理ばかり、40種類以上が手作りされている。梶山のお薦めはマメダイ、小アジ、コショウダイ3種類の南蛮漬け。違った風味が楽しめる。
「私たちは、水揚げされるいろいろな魚を食べていただくのが仕事なので、いろいろな魚がいろいろな形で並びます」(梶山)
その梶山は昔、家業が嫌いだったと言う。父親の美智夫は漁師。やがて魚の卸や販売も行うようになり、母親や梶山もその仕事を手伝い、生計を立てていた。高校を卒業すると、反対する両親を押し切り、アメリカのウェストバージニア大学に留学する。
「夏休みに帰ってくると、たくさん獲れたイワシを干物にするので手伝わなくてはいけなくて、嫌がると『お前はイワシで大学に行かせてもらっているんだ』と。魚屋の娘であることは嫌でした」(梶原)
帰国後の1988年、東京の大手広告代理店に就職。マーケターとして5年間奮闘すると、日本に初上陸した5つ星ホテル、「パークハイアット」の目にとまり、ヘッドハンティングされ、転職。ここでも活躍し、販売戦略チームのトップにまで登りつめた。
だが、入社して12年後の2005年に転機が訪れる。
「ある時、父が体を壊し、『魚屋を継いでくれ』と言ってきたのがきっかけです」(梶山)
父親が1995年に作った鮮魚店、魚太郎は、当時、すでに30人ほどの従業員を抱えていた。梶山は「自分がやるしかない」と覚悟を決めて入社。2年後には社長に就任した。
しかし、そこは海の男たちが牛耳る現場。門外漢の女性、梶山の言葉に誰も耳をかさなかった。
「初めのうちはみんな反発しました。『女が社長だ』とか。女性に使われることが、私たちの時代だと抵抗があった」(入社21年・相川輝樹)
「『ここをこうしたらもっと売れるのではないか』と提案しても、『お前が右に行けというなら、俺たちは絶対、左に行く』と、そんな雰囲気が満載でした」(梶山)
梶山が入社した当時、売り場は薄暗く、倉庫のようだったと言う。魚は安い日に大量に買うため、日にちが経ったものも多かった。港から近く、セリ権を持っている魚太郎の武器が、全く生かされていなかった。
そこで梶山は社員たちに「仕入れた魚はできるだけ早く売りませんか?」と提案するが、「魚はもつんだ」と反対された。
「何が一番の強みかというと鮮度なのに、この町で生まれ育った人たちは、鮮度が宝物だとあまり思わない」(梶山)
梶山は競り落とした魚をその日のうちに売り切ることを徹底。すると客が違いに気づき始め、評判になる。
さらに、活きの良さを見せようと、店内の照明にもこだわった。ディスプレイも一つ一つ考え抜いた形に。以前はポップに値段しか出していなかったが、売りが一目で分かる、ポップ作りを徹底した。
「その商品の良さをできるだけ短く的確に伝えることをずっとマーケティングでやってきたので、その経験が生きているのかもしれません」(梶山)
やり合うこと約10年、結果が出ると、いつしか古参の社員たちも頼もしい味方になる。
「お客さんが身近に感じる店を作り上げてくれた」(入社21年・日比浩司)
「やはり実績。社長が言ったことが全部当たっていく。そうすればみんな、ついていく」(前出・相川)
店舗の増加に伴い、梶山はある仕組みも導入した。朝礼で入荷情報を発表すると、従業員はそれぞれスマホを取り出し、動画を再生している。タイトルは「魚太郎の学校」。
「ワタリガニのオスとメスの見分け方……」などと、対面接客に必要な情報をまとめた社員手作りの学習ツールだ。店舗増加で加わった若手従業員らが重宝している。
入社1年目の社員は「市場には1回しか行ったことがなく、ワタリガニは見たことがない。調理方法やむき方など、お客さんに説明できるように覚えました」と言う。
山あいの食卓が一変?~海無し県に新鮮届ける
岐阜県の南部に位置する山あいの町、可児市。漁港から車で2時間ではあるが、グループ店の中では最も山深い場所に魚太郎がある。産直市場「湯の華市場」の中にある可児店だ。
「(出店は)けっこう悩んだのですが、鮮度が一番喜ばれるのは、海から一番離れた場所じゃないかと」(梶山)
住人は獲れたての魚を大歓迎。今では年間60万人が詰め掛ける繁盛店になった。
月に2回は来るという常連客、野原さん一家は、海のないこの町に魚太郎がやって来てから、食卓に並ぶ物が変わったという。
この日はプリプリのスズキを刺身にし、鯛は豪快に煮付け。フグの唐揚げまで加わった。
「十何年前はあまり魚が得意ではなく、肉が多かったのですが、魚太郎を知ってから魚が多くなった。年末は恒例になりました」(野原さん)
※価格は放送時の金額・および時価です
~村上龍の編集後記~
ホテル「パークハイアット」は思い出が多い。坂本龍一はよく部屋に遊びに来た。車寄せから、部屋まで、2回エレベーターに乗る。長い廊下があり、スペースを抜けて、スタッフが極端に少ないフロントに着く。そのホテルに、12年間在籍し、セールスを統括した人が、魚屋になった。信じられない転職だ。だが、梶山さんは、根性ではなく、合理性で勝負をした。「魚のことなんか何も知らんくせに」と言われながらとにかく売上を伸ばすことを片っ端からやっていった。極めようとしたのが「鮮度」思い返せば、ホテルも鮮度に充ちていた。
<出演者略歴>
梶山美也(かじやま・みや)1964年、三重県生まれ、愛知県育ち。1987年、ウェストバージニア大学卒業。1988年、旭通信社(現ADK)入社。1993年、パークハイアット東京入社。2005年、魚太郎のグループ会社に入社。2007年、魚太郎社長就任。
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記事提供元:テレ東プラス
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