伝説的ギタリスト、ジミー・ペイジになりきって全米スターになった日本人の物語
1月10日から、まさかのドキュメンタリー映画が公開されるジミー桜井
ギタリストのジミー・ペイジにほれ込み、彼になりきることに人生を懸け、ついには全米ツアーまで敢行した日本人、それがジミー桜井だ。そんな彼の半生を追ったドキュメンタリー映画が日本で公開される。その"狂気"はどのように生まれたのか。本人に直撃!
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■ジミー・ペイジ本人に認められた――まずは自己紹介をお願いします。
ジミー桜井(以下、桜井) 1970年代から80年代の音楽シーンを変えたスーパーバンドである「レッド・ツェッペリン」(以下、ツェッペリン)のギタリスト、ジミー・ペイジを完全再現することを目標としてギターをプレイしています。
10年ほど前まではサラリーマンとミュージシャンを兼業していましたが、現在はプロのギタリスト一本で生活しています。
――桜井さんのジミー・ペイジ歴は?
桜井 17歳から始めて今年で44年目。途中、ブランクもあるのでトータルで考えると40年くらいでしょうか。
ジミー・ペイジになりきって44年目。風格が漂う
――ツェッペリンの活動期間は10年程度ですから、ジミー・ペイジ本人よりも長く、「ツェッペリンのジミー・ペイジ」をやっている計算になりますね。
桜井 そうなんです(笑)。彼らの代表曲である『天国への階段』(71年)なんかは、おそらく本人よりも演奏した回数は多いと思いますね。
――しかも桜井さんの演奏はジミー・ペイジ本人の折り紙付きとか。
桜井 彼が2012年にプロモーションで来日した際、わざわざ僕のライブに足を運んでくれたんです。しかも2時間のライブを最後まで見てくれて、「話がしたい」とまでおっしゃってくれました。まさかこんな経験ができるとは想像もしてなかったですね。
――現在、桜井さんは日本のみならずアメリカでも活動なされています。
桜井 自分がやっているツェッペリンのトリビュートバンド「MR.JIMMY」は日本、アメリカなどで公演しています。アメリカではもう一組のバンドに在籍していて、それがジェイソン・ボーナムによるツェッペリンのトリビュートバンド「Jason Bonham's Led Zeppelin Evening(ジェイソン ボーナムズ レッド ツェッペリン イブニング)」(以下、JBLZE)です。
ジェイソンはツェッペリンのドラマーだった故ジョン・ボーナムの息子で、88年、07年のツェッペリン再結成ライブでドラムを担当していました。
――いわば本家ツェッペリンのメンバーと一緒に活動することになってしまった。
桜井 まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。昨年も11月中旬から1ヵ月ほどジェイソンと一緒にアメリカをツアーして回ったのですが、彼の横でギターを弾くのはすごく不思議な気分です。その立ち位置はかつてジミー・ペイジがプレイしていた場所ですからね。
■ギター、衣装、髪型。全部なりきる――ドキュメンタリー映画の中でも触れられていますが、桜井さんのジミー・ペイジに対する探究心は強烈ですね。まさかジミー・ペイジが使っていたのと同じ年代のビンテージ機材まで持っていらっしゃるとは。
桜井 僕はずうっとジミー・ペイジになりたい、ツェッペリンになりたいと思って生きてきた人間ですから、彼が使用していたものと同じ年代の機材を使わないと彼には近づけないと考えたんです。
ジミー・ペイジはギブソン社のレスポール・スタンダード59年製、ギターアンプはマーシャル社のスーパーリード100の69年製をメインで使用していたので、それと同年代のものを使用しています。
――ビンテージのレスポールは、今では郊外でマンションが買えてしまうほどの価値がありますね。
桜井 買った当時は今よりも安かったです。とはいえ、高額の品。僕はお金持ちではありません。新潟県の十日町(とおかまち)市出身の上京組ですし。だから長期のローンを組ませてもらって、どうにか手に入れたんです。
ただ、いざ弾いてみたら壁にぶち当たった。同じ機材なのにジミー・ペイジと同じ音が出ないんです。いまだに改造を繰り返していますよ。
ジミー・ペイジになりきって演奏するジミー桜井
――改造しちゃうと、ビンテージギターの価値が下がってしまうのでは?
桜井 でしょうね。でもこれはあくまでジミー・ペイジの音を出すための道具ですから。骨董(こっとう)品的価値は関係ありませんね。
自分のバンド「MR.JIMMY」では73年の米国マディソン・スクエア・ガーデン公演、75年の英国アールズ・コート公演など各年代のツェッペリンの演奏を再現しています。ジミー・ペイジのギターの弾き方は年代によって違うので、すべてのツェッペリンのアルバム、ライブアルバム、さらにライブ音源をすべて聴いて、彼のフレーズを詳細に研究していますよ。
――こだわりは衣装にも反映されているとか?
桜井 各年代のライブをやるということは、各年代の衣装も再現しなければならない。ジミー・ペイジのライブ映像や写真から衣装の形、生地の色や質感、刺繍(ししゅう)の技術を解析して、なるべくそっくりそのまま作ってもらっています。
――桜井さんの探究心は"狂気"ともいえますね。
桜井 僕はツェッペリンを映画や舞台のような総合芸術だと思っています。いわば僕はジミー・ペイジ役の俳優ですね。
俳優はその役になりきらないといけない。そのためには同じ髪型にして、同じ衣装を着て、同じギターと機材を持って、同じアクションで同じ演奏をしなければならない。これが僕の信念なんです。
――それが今のアメリカでの評価にもつながっている?
桜井 でしょうね。「まるでジミー・ペイジがよみがえったみたいだ!」と反響をくれるお客さまもいますし、JBLZEで一緒に演奏しているジェイソンが目頭を押さえるようなしぐさをしてくれたこともありました。ジミー・ペイジのプレイを完全再現することで、何かしらのマジックが生まれているのかもしれません。
■17歳のときからずっと変わっていない
1975年、英ロンドンのアールズ・コートで行なわれたツェッペリンの公演。若きジミー・ペイジ(当時31歳)はその超絶ギターで観客を沸かせた
――先ほど桜井さんは「10年ほど前まではサラリーマンとミュージシャンを兼業していた」とおっしゃっていました。サラリーマンを辞めたのは、アメリカのバンドから加入を要請されたことがきっかけだったそうですね。
桜井 誘われたのは、ちょうど50歳くらいの頃ですね。本業の仕事は順調でしたし、かなり迷いました。でもそんなとき、妻がこう言ってくれたんです。
「今のままでいいのか? アメリカのバンドから依頼が来るなんてことはめったにない。このチャンスを逃していいのか?」
その言葉が響きましてね。渡米の決意をしました。ま、英語はあまりしゃべれないんですけどね。
――それは今も?
桜井 ええ。向こうではあまりしゃべらないクールガイだと思われています(笑)。でも活動には特に支障は感じませんね。JBLZEのライブでジェイソンは、僕を紹介するときに必ずこう言うんです。
「彼は英語がしゃべれないんだ。だけど俺たちは音楽で会話をしている!」
音楽って本当に言葉は関係ないんです。僕らはツェッペリンという共通語を持っていますから。
――ミドルエイジになってから全米進出を果たしてしまった桜井さんの行動力はすごいですね。
桜井 僕は17歳のときからずっと変わらないんです。ずっとジミー・ペイジになりたいと思ってきたし、それは今も変わりません。
そう考えると、自分が少年のときにハマったものは一生手放さないほうがいいのかもしれません。車やバイク、スポーツでもなんでもいい。自分が没頭できることを諦めずやり続けていくことで、新しい道が開けていくのかもしれませんね。
●ジミー桜井 JIMMY SAKURAI
1963年生まれ、新潟県出身。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに深く影響を受け、そのギタープレイの完全再現を目指す孤高のギタリスト。1994年に「MR.JIMMY」を結成。2012年に渡米しバンド「Led Zepagain」(すでに脱退)や「JBLZE(Jason Bonham's Led Zeppelin Evening)」などで全米各地のツアーを実施する。現在はロサンゼルスを拠点に活動中
©One Two Three Films
●『MR. JIMMY ミスター・ジミー レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男』
監督:ピーター・マイケル・ダウド
出演:ジミー桜井
新潟県十日町市で育った桜井昭夫は高校時代にレッド・ツェッペリンと出会い、ジミー・ペイジのギターのとりこになる。やがて上京した彼は、昼は着物のセールスマンとして働きながら、夜はペイジのギタープレイを披露する「ジミー桜井」として活動。35年にわたり、東京の小さなクラブでレッド・ツェッペリンのビンテージコンサートを完璧に再現してきた男の人生は、ある男との出会いによって大きく動き始める
取材・文/尾谷幸憲 撮影/下城英悟
記事提供元:週プレNEWS
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