大竹しのぶインタビュー ~製糸工場の工女たちの青春を描く、感動の群像劇「あゝ野麦峠」~
1979年の公開時、日本中を感動の渦に巻き込んだ山本薩夫監督の「あゝ野麦峠」が、〈4Kデジタルリマスター版〉され、第37回東京国際映画祭で上映、さらに日本映画専門チャンネルにて1月12日(日)に4K化テレビ初放送される。この作品は山本茂実のノンフィクション作品を基に、明治時代後期の信州を舞台に、厳しい労働環境と苛烈な人間関係に耐えながら、製糸工場で働く工女たちの姿を描いた青春群像劇。ここでは主人公の工女・政井みねを演じた大竹しのぶに、撮影当時のエピソードを伺った。
亡くなるクライマックス場面から、撮影がスタート!
大竹しのぶにとって「あゝ野麦峠」は、「天保水滸伝 大原幽学」(1976)に続いての、山本薩夫監督との仕事だった。
「さっちゃん先生(山本監督)は優しい方で、最初から大好きだったんです。だからさっちゃん先生の作品なら、どんなものでもやろうと思っていましたが、私個人もこの題材に興味があって。中学か高校の時だと思いますが、詩を書く授業があったときに、私はこの原作を読んでいたんでしょうね。自分が製糸工場の工女になったつもりで書いた、詩を提出したんです。他のみんなは可愛らしい詩を書いていたんですけれど、『大竹は変わっているね』と言われたのを覚えています。でもそれくらい、原作に衝撃を受けたんです。だからこのお話をいただいた時には、やってみたいと思いました」
映画の撮影は1978年10月から翌年にかけて行われたが、山本監督は病気になって死んでいく政井みねのクライマックスを、紅葉の中で撮りたいとイメージしていたので、大竹は撮影当初にこのラストを演じなくてはいけなかった。
「まだ他の工女を演じる俳優さんたちとも芝居をしていませんし、みねがどんな生活を送ってきたのか、想像だけでしたので、『ああ飛騨が見える』って言いながら、お兄さん役の地井武男さんに背負われ、故郷を見て死んでいくシーンを撮ったので、正直少し不安でした」
忘れられない、浦山桐郎監督の助言
この映画では原田美枝子や古手川祐子、友里千賀子などが、仲間の工女を演じている。
「それぞれ、見せ場となる哀しいエピソードがあるんです。でもみねは優等生の工女ですから、ラスト以外はそういう見せ場がない。どう演じればいいのか悩んで、私の映画デビュー作『青春の門』(1975)を監督した浦山桐郎さんにお電話したんです。そうしたら『山を見て、風を感じて、大地の上に立って。そして相手が一番やりやすい芝居をしてあげなさい』と助言してくれました。だからいつも、相手役の俳優さんが本当にその気持ちになれるように、私もその場にいればいいんだなということを意識していました。浦山監督の助言を、さっちゃん先生の前で実践できたことは、とても大きかったですね」
大竹だけでなく、山本薩夫監督のことは参加した俳優、みんなが大好きだったという。
「本当に優しい方なんです。寒い中でのロケ撮影で、天気待ちをしている時にもいろんな話をしてくれるし、この人のために頑張ろうという気持ちになるんです。ただ午後5時を過ぎると、早くお酒が飲みたくなって、ちょっと不機嫌になるんですけれど(笑)。ある時撮影が終わってから、さっちゃん先生に何かプレゼントをしたいと工女役のみんなで先生のお部屋に押しかけて、歌を歌ったことがあります。私はさだまさしさんの歌を歌いました。先生はにこにこして聴いていましたね」
寒さとひもじさに耐えた、冬山ロケ!
映画の冒頭、いろんな村から集められた少女たちが冬山を越えて、岡谷にある製糸工場まで歩いていく場面がある。このシーンを撮るためには背景に雪があることが必須だったが、撮影した年は記録的な暖冬で雪が降らなかったという。
「だから雪を求めてロケ隊は北上していったんです。私と友里千賀子ちゃんが雪の中を転がり落ちるところは、北海道の十勝地方で撮りましたから。いろんな場所で撮影したので、エキストラを集めるのが大変でした。本当は若い娘が連なって歩くんですけれど、そういう子ばかりを集めるのが難しくて、おじいさんやおばあさんに若い子の格好をさせて、出てもらったんです。だからいろんな人たちの協力なしには、とてもできなかった作品なんですよ。とても感謝しています」
寒い中で工女役の俳優たちは、団結力が高まっていったという。
「寒くても道が狭くてその場から動けないので、みんなでピンク・レディーの歌とかを歌って、温まろうとしました。またロケ弁がいつも、おにぎり二つに沢庵二切れなんです。それでドライバーの方が街まで行って、サバとかマグロの缶詰を買ってきてくれると、『御馳走だ』と言ってみんなで取り合いをしていました。みんなでいるから、それも楽しかったですよ」
工女役の訓練は、臭いに悩まされた
製糸工場内部のシーンは、東宝撮影所で撮影された。実際、明治期に使われた機械を持ち込んで、工女役の俳優たちは繭から糸を取る訓練を行った。
「2週間くらいかな。段々、糸を取るコツがつかめてくると、みんなよりも早く糸を取りたいと思うようになりました。困ったのは、繭を茹でると独特の凄い臭いがするんです。その臭いが体に染みついて、みんなで帰りの電車に乗ると、他の乗客の方が眉をしかめるほど臭うんです。私たちは臭いになれていきましたけれど、二度と嗅ぎたくない臭いでした」
みんなで過酷な撮影を乗り越えたかいがあって、公開された作品はその年日本映画第2位の配給収入14億円の大ヒットを記録した。
「その映画を45年ぶりに、こういう形で観てもらえるのは、さっちゃん先生が本当に喜んでいると思います。また4Kになるとすごく映像がきれいで、工場の中の湯気までちゃんとわかってビックリしました。さっちゃん先生が本当に1カット1カット、心を込めて作った作品ですので、多くの方に楽しんでもらえたら嬉しいですね」
今回は山本薩夫監督の遺作になった続編「あゝ野麦峠 新緑篇」(1982)も〈4Kデジタルリマスター版〉でテレビ初放送される。三原順子(現・三原じゅん子)や中井貴惠、岡田奈々、石田えりらが工女を演じたこの作品と合わせて、山本監督が作り出した人間ドラマの醍醐味を味わってもらいたい。
文=金澤誠 制作=キネマ旬報社
【大竹しのぶ】
1957年7月17日生まれ。東京都出身。
1975年 映画「青春の門」ヒロイン役で本格的デビュー。その鮮烈さは天性の演技力と称賛され、気鋭の舞台演出家、映画監督の作品には欠かせない女優として圧倒的な存在感で常に注目を集め、映画,舞台,TVドラマ,音楽等ジャンルにとらわれず才能を発揮し、話題作に相次いで出演。作品毎に未知を楽しむ豊かな表現力は、主要な演劇賞を数々受賞して評価されると共に、世代を超えて支持され続けている名実ともに日本を代表する女優。2011年に紫綬褒章を受章。2021年に東京2020オリンピック閉会式に出演。著書に「ヒビノカテ まあいいか4」(幻冬舎)がある。NHK-R1「大竹しのぶの“スピーカーズコーナー”」(毎週水曜21:05~)が好評放送中。
●明治時代後期、飛騨の寒村の少女たちは、貧しいがゆえに僅かな契約金で野麦峠を越え、信州岡谷の製糸工場へと赴いた。そこでの厳しい労働と苛烈な人間関係に耐えながらも健気に生き抜いた工女たちの不屈の青春群像が、巨匠・山本薩夫監督によって描かれた。それが、1979年に公開され、日本中を涙で包んだ感動大作「あゝ野麦峠」である。
そして、時は流れて大正時代末期。近代化が進み、新たに導入された、繭から一度に多数の生糸を繰り取る機械の操作に悪戦苦闘しながら、以前と変わらず早朝から夜遅くまで働き詰めという過酷かつ不正な労働を強いられてきた工女たちは遂に、会社経営側に対して自分たちの労働組合加入の自由を認めさせようと、壮絶な闘いを繰り広げてゆく。そんな工女たちの死に物狂いな姿を描いた云わば「あゝ野麦峠」の続編的作品、それが、1982年に公開され、山本薩夫監督の遺作ともなった映画「あゝ野麦峠新緑篇」である。2025年1月の日本映画専門チャンネルでは、「あゝ野麦峠」と「あゝ野麦峠新緑篇」を、共にチャンネルで初めてお送りする。なお、両作品とも4Kデジタルリマスター版ではTV初放送となる。
※両作品とも、日本映画+時代劇4Kでは4K放送、日本映画専門チャンネルでは2Kダウンコンバートにて同時放送。
「あゝ野麦峠」「あゝ野麦峠 新緑篇」2作品連続放送!
1/12(日)よる9:00スタート
放送作品
「あゝ野麦峠」<4Kデジタルリマスター版>
●1979年/日本/本編155分
監督:山本薩夫 原作:山本茂実 脚本:服部佳
出演:大竹しのぶ、原田美枝子、友里千賀子、古手川祐子、地井武男、三国連太郎、森次晃嗣、西村晃ほか
©1979 株式会社教育産業振興会
「あゝ野麦峠 新緑篇」<4Kデジタルリマスター版>
●1982年/日本/本編137分
監督:山本薩夫 原作:山本茂實 脚本:山内久
出演:三原順子(現・三原じゅん子)、中井貴惠、岡田奈々、石田えり、江藤潤、なべおさみ、風間杜夫、神山繁ほか
©1982 TOHO CO., LTD.
記事提供元:キネマ旬報WEB
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