清少納言も通っていた?清水寺や石山寺が平安女性に人気だった理由とは?【眠れなくなるほど面白い仏教】
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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宮仕えが息苦しかったから
平安時代の女流文学を読んでいると、清水寺や石山寺、長谷寺といった観音の霊場に参籠〈*〉する場面がしばしば出てきます。たとえば、清少納言は『枕草子』に清水寺参籠の思い出を記しており、本堂内に局という参籠用の半個室がいくつも設しつらえてあったことなどを細々と述べた後、読経を終えた僧がやってきて、「こんな方も参籠にお見えになってますよ」と教えたり、火桶や果物を運んできたりしたことを楽しげに述べています。『源氏物語』「玉鬘」には長谷寺参籠の場面があり、世慣れた女房が初参籠でいい場所の局がとれなかった姫様を世話する様子が描かれています。このほか『蜻蛉日記』や『更級日記』には石山寺参籠の次第が述べられています。
これらの記述を読むと、これらの寺院は多くの参詣者で賑わっていたことがわかります。その中には身分の低い者もいましたが、多くは貴族の妻や娘、それに仕える女房たちでした。彼女たちはどうして観音霊場を参詣したのでしょうか。1つには、観音は男性より罪が深く往生が難しいとされた女性を救ってくれると信じられたことがあります。観音の女性的な姿にも心惹かれたのでしょう。
それと同時に息が詰まる宮仕えからの解放ということもあるようです。先に触れた「玉鬘」の女房は、中途半端な奉公の身の上が息苦しくなり、しばしば長谷寺を参拝するようになったのだと述べられています。一方、『蜻蛉日記』の作者・右大将道綱の母は、夫の女性関係に疲れ果て石山寺参詣を思い立っています。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博
記事提供元:ラブすぽ
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