瞑想するお釈迦様にいざなわれるように瞑想に入った観音菩薩が完成した修業とは?【般若心経】
瞑想するお釈迦様にいざなわれるように瞑想に入った観自在菩薩。それは、深遠な「般若波羅蜜多」という修行でした。「その深い修行をしているときに」というのがこの部分の意味です。
文字列の意味はそれだけですが、続く部分(照見=明らかに見極める)が、ここで起きた出来事を示しています。実は、この瞑想のなかで、観自在菩薩はある修行を完成するのです。
「見晴らしのよい高み」に到達した観自在菩薩が到達したのは、「見晴らしのよい高みからの眺望(ちょうぼう)(ヴィジョン)」とでもいうべき境地でした。「観ること自在」という名前が象徴する到達点といえます。
般若心経の大本では、この少しあとに舎利子(しゃりし)というお釈迦様の弟子が、「あなたの得たヴィジョンはどのようなものか」と尋ねるシーンが出てきます。舎利子は、お釈迦様の一番弟子ですが、ここでは観自在菩薩に質問する役として登場します。
観自在菩薩が到達したのは、どんな境地だったのでしょうか。それは以後の般若心経で語られていきますが、ここでは4階建ての建物にたとえておきましょう。
観自在菩薩が到達した境地は、この建物の最上階である4階からの眺望でした。舎利子は3階におり、普通の大人は2階におり、自己形成のできていない幼児は1階にいます。1〜3階にいる者には観られないヴィジョンを、観自在菩薩は観たのです。次の言葉からは、そのヴィジョンの説明になります。4階建ての話は、後ほどまた出てきますので、イメージだけ覚えておいてください。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。
記事提供元:ラブすぽ
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