白河天皇が突然、上皇となり「北面の武士」を設置した理由とは?【日本史】
更新日:
イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
注目の旬ニュースを編集部員が発信!「イチオシ」は株式会社オールアバウトが株式会社NTTドコモと共同で開設したレコメンドサイト。毎日トレンド情報をお届けしています。
藤原道長の子、頼通(よりみち)の時代に移り、初めて摂政・関白を外戚としない天皇が出現します。後三条天皇です。藤原氏を外戚としない天皇は宇多天皇以来、実に百七十年振り。即位年齢が三十五歳というのも異例でした。
後三条天皇は「宣旨枡(せんじます)」という枡の大きさを決めた他、記録荘園券契所を設置。荘園所有者から証拠書類を提出させ、厳しく審査しました。しかし、荘園を削って公領を回復し律令制再建に向かうのではなく、自分の支配する荘園を確保するだけでした。
続く白河天皇も荘園獲得に熱心で、突然、堀河天皇に譲位するや、上皇となり、天皇でもなく、摂政関白でもなく、第三の権力となります。そして「北面の武士」を設置する等、武士団の組織化にも熱心だったので、安定した財源確保=荘園支配ができたのです。
この後、鳥羽上皇、後白河上皇と百年余も院政が継続し、大きな力を振るいます。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭
記事提供元:ラブすぽ
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。