兵法で有名な「孫氏」は実は二人いたってホントなのか?【孫氏の兵法】
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イチオシスト
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兵法で有名な「孫氏」は実は二人いたってホントなのか?
知られざる孫氏の歩みとは?
孔子や荘子の「子」と同じく、孫子の「子」も敬称であって名前ではない。前漢時代の歴史家司馬遷は『史記』のなかで、二人の孫子を取り上げている。一人は春秋時代末に呉ご王闔閭に仕えた孫武で、もう一人は戦国時代中期に斉の威王に仕えた孫臏である。
現存する『孫子』十三篇の著者はどちらの孫子なのか。司馬遷は闔閭の発した「おぬしの著書十三篇を、私は残らず読んだ」という言葉を紹介しているが、これが現存する『孫子』十三篇と同一のものという確証はない。
孫武と孫臏の関係についても、司馬遷は孫臏を孫武の子孫としているが、これを傍証する史料はほかにない。山東省広饒県に現存する孫武祠には、孫臏を孫武の六代目の子孫とする系図が掲げられているが、これまた傍証する史料はなく後世の創作である可能性が高い。同系図では、孫武の八代の先祖を斉の王室を乗っ取った田氏の祖である田完とし、孫武の祖父の代に孫姓を賜ったとしているが、これも右に同じである。
孫武と孫臏の生きた時期には百年のずれがあり、孫というのもありふれた姓である。遠縁であった可能性までは否定しないが、直系の子孫というのはさすがにできすぎである。ともに兵法家として名をなした人物であるから、血縁者に仕立てたい気持ちはわからないではないが。肝心の『孫子』の著者だが、現在では孫武であることが定説となっている。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 孫氏の兵法』 監修:島崎晋
記事提供元:ラブすぽ
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