「俺のために生まれてきたんだ」余命わずかの妻に伝えた言葉…亡き妻に贈るラブソング:家、ついて行ってイイですか?
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イチオシスト
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1月18日(日)に放送した「家、ついて行ってイイですか?」(毎週日曜夜8時50分)では、北海道・小樽市で出会った浜林さん(68)の家について行きました。
【動画】「俺のために生まれてきたんだ」余命わずかの妻に伝えた言葉…亡き妻に贈るラブソングに涙

クリスマスの夜の小樽駅付近で、1人で歩いている男性を発見! 通称・小樽のハマちゃんこと浜林さんは、行きつけの店で飲んだ帰りで「家、ついて行ってイイですか?」と聞くと、「見てるよ! 時々つまんねーけどな!」と言いつつ、「構わないよ!」と快諾してくれました。ありがとうございます!

浜林さんは妻に先立たれ、アパートで1人暮らし。お家に到着すると、玄関にはごみ袋の山が。部屋には酒の空き缶が1年分置かれており、町内会のごみ投げの時にまとめて出すそう。

浜林さんは、かつて警察消防関係の集中管理装置の設置メンテナンスをする会社に勤務していましたが、10年以上前にリタイア。「58歳か59歳の時に妻が亡くなった。しょうがないから北海道に帰ってきた」と話します。以前は東京で暮らしていました。

「1つだけ自慢できるのはエレクトーンだよ」と話す浜林さん。立派なYAMAHAのエレクトーンを見せてくれました。大型スピーカーもあり、かなり本格的!
浜林さんは20年以上前から趣味で作詞作曲を行い、その数なんと1759曲! データを保存しているパソコンには「治美ちゃん関係」というフォルダが。
“治美”は亡くなった妻の名前で、愛妻に向けた曲が803曲も! 「作曲が俺の生き甲斐になってる…」と、曲を披露します。

治美さんについて、「人生、生きてきた中で、たった1つの俺の手柄!」と語る浜林さん。治美さんと2人暮らしでしたが、「本当は子どもが欲しかった」と本音がポロリ。ここで、治美さんが子宮がんで亡くなったことを明かします。

寝室にも治美さんの写真が飾られており、枕元には形見も。毎日、治美さんが好きだったフクロウグッズの側で寝ています。「俺が寂しいのかな…もしかしたら」。

浜林さんは生まれも育ちも小樽で、高校卒業後は上京して就職。治美さんとの出会いは、治美さんのお父さんのお葬式で、「寺に行く車の運転手をしてくれないか」と頼まれたそう。
取材Dが「どっちが先に好きになったんですか?」と聞くと、「それはやっぱり俺だろうな。間違いなく『いい女だ』と思ったから一目惚れみたいなもんだな。夫婦喧嘩もしたことない」と話します。
結婚して2〜3年経った頃、治美さんが貧血気味で検査を受けた時に子宮がんが発覚。余命数年と宣告されましたが、「頑張って10年生きた」。

余命宣告されてからは、2人で思い出を作るために日本全国を旅行。
亡くなる前、一時退院してアパートで年越しをしようとしていた時、治美さんは浜林さんに「私、何のために生まれてきたんだろう」と投げかけます。

「“俺のために生まれてきたんだ”って答えちゃダメか?」そう伝えた浜林さん。すると、治美さんは「なんとも言えない顔で笑いやがった」と振り返ります。

治美さんは弱音を吐かない女性だったそうで、ついに堪えていた浜林さんの目に涙が…。
飲みに行くのは、治美さんの月命日である25日だけと決めており、クリスマスに飲んでいたのはそのためでした。

形見についたホコリを掃除しない理由について聞くと、「ホコリも妻が重ねた年月の一部」。今も一緒に生きているかのように思いを馳せます。
小樽駅で浜林さんの家について行ったら…亡き妻への深い愛を通して小樽の人情を知る事ができました。
日曜夜8時50分からは、「家、ついて行ってイイですか?」を放送!
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クリスマスの夜の小樽駅付近で、1人で歩いている男性を発見! 通称・小樽のハマちゃんこと浜林さんは、行きつけの店で飲んだ帰りで「家、ついて行ってイイですか?」と聞くと、「見てるよ! 時々つまんねーけどな!」と言いつつ、「構わないよ!」と快諾してくれました。ありがとうございます!

浜林さんは妻に先立たれ、アパートで1人暮らし。お家に到着すると、玄関にはごみ袋の山が。部屋には酒の空き缶が1年分置かれており、町内会のごみ投げの時にまとめて出すそう。

浜林さんは、かつて警察消防関係の集中管理装置の設置メンテナンスをする会社に勤務していましたが、10年以上前にリタイア。「58歳か59歳の時に妻が亡くなった。しょうがないから北海道に帰ってきた」と話します。以前は東京で暮らしていました。

「1つだけ自慢できるのはエレクトーンだよ」と話す浜林さん。立派なYAMAHAのエレクトーンを見せてくれました。大型スピーカーもあり、かなり本格的!
浜林さんは20年以上前から趣味で作詞作曲を行い、その数なんと1759曲! データを保存しているパソコンには「治美ちゃん関係」というフォルダが。
“治美”は亡くなった妻の名前で、愛妻に向けた曲が803曲も! 「作曲が俺の生き甲斐になってる…」と、曲を披露します。

治美さんについて、「人生、生きてきた中で、たった1つの俺の手柄!」と語る浜林さん。治美さんと2人暮らしでしたが、「本当は子どもが欲しかった」と本音がポロリ。ここで、治美さんが子宮がんで亡くなったことを明かします。

寝室にも治美さんの写真が飾られており、枕元には形見も。毎日、治美さんが好きだったフクロウグッズの側で寝ています。「俺が寂しいのかな…もしかしたら」。

浜林さんは生まれも育ちも小樽で、高校卒業後は上京して就職。治美さんとの出会いは、治美さんのお父さんのお葬式で、「寺に行く車の運転手をしてくれないか」と頼まれたそう。
取材Dが「どっちが先に好きになったんですか?」と聞くと、「それはやっぱり俺だろうな。間違いなく『いい女だ』と思ったから一目惚れみたいなもんだな。夫婦喧嘩もしたことない」と話します。
結婚して2〜3年経った頃、治美さんが貧血気味で検査を受けた時に子宮がんが発覚。余命数年と宣告されましたが、「頑張って10年生きた」。

余命宣告されてからは、2人で思い出を作るために日本全国を旅行。
亡くなる前、一時退院してアパートで年越しをしようとしていた時、治美さんは浜林さんに「私、何のために生まれてきたんだろう」と投げかけます。

「“俺のために生まれてきたんだ”って答えちゃダメか?」そう伝えた浜林さん。すると、治美さんは「なんとも言えない顔で笑いやがった」と振り返ります。

治美さんは弱音を吐かない女性だったそうで、ついに堪えていた浜林さんの目に涙が…。
飲みに行くのは、治美さんの月命日である25日だけと決めており、クリスマスに飲んでいたのはそのためでした。

形見についたホコリを掃除しない理由について聞くと、「ホコリも妻が重ねた年月の一部」。今も一緒に生きているかのように思いを馳せます。
小樽駅で浜林さんの家について行ったら…亡き妻への深い愛を通して小樽の人情を知る事ができました。
日曜夜8時50分からは、「家、ついて行ってイイですか?」を放送!
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記事提供元:テレ東プラス
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
