【寺地拳四朗】終わりか、始まりか――すべては誇りのために。<第1話/元世界王者・寺地拳四朗、「終わったわ」からの再起>
イチオシスト

試合は行われなかった。
それが、リヤドの結末だった。
2025年12月27日、サウジアラビアの首都リヤドで開催されたボクシング興行、『The Ring V: Night of the Samurai(ナイト・オブ・ザ・サムライ)』。スーパーフライ級にステップアップし、3階級目の世界王座を目指した寺地拳四朗は、IBF世界スーパーフライ級王者、ウィリバリド・ガルシアの棄権により、"試合中止"というよもやの結末で、サウジを去ることになった。
2025年7月30日、リカルド・サンドバルに僅差判定で敗れ、世界王座から陥落してから、12月27日を迎えるまでの日々――。
人知れず積み重ねた準備と覚悟、仲間の支えと思いを胸にこの日を迎えた拳四朗にとって、150日間の日々はどんなものだったのか。そして、いま彼が胸中に抱くものはーー。*4回連載/第1回
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2025年10月21日――。高市早苗氏が初の女性総理に就任し、日本の政局は、新たな局面を迎えていた。
朝のニュースでは連立協議や今後の体制をめぐる報道が続き、どこか落ち着かない空気も漂う。世相が騒がしさを増す同日、"元"世界チャンピオンとなった拳四朗は、いつもと変わらずボクサーの熱気がこもる東京・三迫ジムのリングの片隅で、ひとり淡々とバンテージを巻いていた。
「判定結果のコールを聞いた瞬間は、『終わったわ』と思いました。悔しいけど仕方ない。『自分、負けたんや』って、意外と冷静な気持ちで受け止められました」
2025年7月30日、横浜BUNTAIで行われたWBA&WBC世界フライ級王座防衛戦。拳四朗は、WBC2位・WBA3位のリカルド・サンドバル(米国)に判定負け。世界王座から陥落した。
「負けた直後は、すぐには、気持ちの整理はつけられなくて。控室では『なんで負けてしまったんかな......』と現実を受け入れられずにいました。『やっぱ、反応が鈍ってるんかな』とか、『もう(現役は)無理なんかな』という気持ちもよぎりました。でも......」
「でも......」
と口にしたところで、拳四朗は言葉を止め、胸をわずかに膨らませて大きく息を吐いた。
「試合が終わって2日後には、自分自身が、『このままでは終われん。全然、納得できてへん』という気持ちでいることに気づきました。『プロボクサーとして、まだやり残したことがある。いまは辞める時やない』って」
世界王座陥落から数日後、拳四朗は、三迫貴志会長とトレーナーの加藤健太に、試合のサポートをしてくれたお礼を伝えるため三迫ジムを訪れた。
「拳四朗、どう?」
たわいない世間話を少し交わしたあと、加藤が声をかけた。顔にまだ赤らんだ腫れも残る拳四朗は、明るい声で答えた。
「自分、全然、やりますよ」と――。
不意を突かれたように顔を見合わせる三迫会長と加藤。以前と変わらぬ飄々とした笑みを浮かべる拳四朗に、三迫会長は、「おおっ、そうか」と微笑み返し、加藤は「わかった」と、一言だけ答えた。

2022年3月19日、矢吹正道に3回KO勝利でライトフライ級王座を奪還して以降、拳四朗は、フットワークを駆使した「打って」「離れて」を繰り返すヒット&アウェイのスタイルから、被弾覚悟で接近戦を挑むファイタースタイルへとモデルチェンジ。技巧派と呼ばれた評価は一転。観客の視線を釘付けにする戦いぶりで、存在感をさらに強めた。
ただし代償も大きかった。2024年1月23日のカルロス・カニサレス(ベネズエラ)戦の2日後には右拳を手術。以降も、身体のどこかに痛みを抱えたままリングに立つ機会が増え始めた。
じつはフライ級2団体統一王座を失ったサンドバル戦も、練習過程での負傷を抱えたまま迎えた。拳四朗自身は「別に言う必要もないかな、と思って」と語り、当時もいまも敗戦の理由にすることはない。しかし、左のパンチをイメージ通りに繰り出せなかったことは確かで、試合運びにも少なからず影響したに違いない。
プロ通算27戦――。しかも10戦目以降はすべて世界戦というキャリアを積めば、怪我を抱えて試合を迎えることは、ある種の当然と言える。トップボクサーとして戦い続けた証であり、宿命とも言えた。
ただ、もし以前のようなアウトボクシングを続けていたとすれば、現役生活はもう少し長く保てるかもしれない。拳四朗はしかし、自らのボクシングの完成形を追い求め、リスクの大きい道を選んだ。
「ボクシングは、体をボロボロにしてまで続けたくはない。次に負けた時が引退する時」
かつてそう話していた拳四朗は、2度目の敗戦を経ても現役続行を決めた。現在33歳、リヤドでの試合が終われば34歳になる。25歳で初めて世界王者となった頃とは、ボクシングに対する向き合い方、抱く感情も、大きく変わった。根底にあるのは「感謝」、そして「恩返し」の思いだった。
東京・三迫ジム――。
バンテージを巻き終えた拳四朗は、手のひらで拳を交互に叩いて感触を確かめると腰を上げ、ゆっくりとシャドーを始めた。
拳の軌道をひとつひとつ丁寧に確認。その様子からは、心の奥底に宿る情熱が確かに感じられた。

●寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)
1992年生1月6日生まれ、33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者。2025年3月、ユーリ阿久井政悟とのWBA&WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、2階級世界2団体統一王者。同年7月、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けし王座陥落。2025年12月27日、サウジアラビアの首都リヤドで開催されたスーパーフライ級転向初戦は、IBF世界同級王者、ウィリバルド・ガルシア(メキシコ)の棄権により直前で中止になった。通算戦績27戦25勝(16KO)2敗。
取材・文・写真/会津泰成
記事提供元:週プレNEWS
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