“肩から肩”で始まったスイング改造と片山晋呉の助言 片岡尚之が4年ぶり2勝目でうれし泣き「マスターズまで死ぬ気で努力する」
<日本オープン 最終日◇19日◇日光カンツリー倶楽部(栃木県)◇7238ヤード・パー70>
予期せぬプレーオフだった。最終18番パー4でピン奥からの7メートルのパーパットを沈めて、何度も右腕を振った。「これで2位だ」――。
首位と7打差から出た片岡尚之は、首位の清水大成が崩れてくることは想像もしていなかった。原敏之と並び、トータル3アンダーでホールアウトする。雨が降り始めクラブハウスで雨宿りをしていると、清水が17番パー4でダブルボギーをたたいてトータル2アンダーに後退。「プレーオフだ」とすぐに気持ちを切り替えた。
プレーオフは1ホール目で決着。原がティショットを右の林に曲げるなどボギーとし、片岡がパーセーブ。終わってみれば7打差をひっくり返した。日本オープン史上では2019年のチャン・キム(米国)の8打差に次ぐ歴代2番目の逆転劇だった。
自他ともに認めるシルバーコレクター。4年ぶり通算2勝目が決まると涙腺が緩む。初優勝の後、何度も優勝争いを経験した。「2位を7回もやっていると本当に…やっと勝てた」とうれし涙が止まらなかった。
プロキャリアは順調にスタートした。ツアー出場4戦目の2021年の「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP byサトウ食品」で最終日に4打差を逆転して初優勝を遂げる。同年には「ブリヂストンオープン」と「ダンロップフェニックス」で2位。安定した上位の戦いとうい見方もできるが、「緊張する場面でミスが多くて…。いま思えば(2勝目を)しなければいけなかった。ちょっと負け癖がついてしまった」。
2季目の2022年は賞金ランキング23位に入っているが、「ショットが曲がる」極度の不調に陥った。フェアウェイキープ率は86位(48.945%)。もともとドローヒッターだが、ボールコントロールができなくなるとフェード打ちにする。「カットが強すぎて引っかけとかミスが多かった」。平均パット数1位の経験もあるショートゲームでスコアメイクしていたが、スイングは八方塞がり。同年秋に片山晋呉らのコーチである谷将貴氏の門を叩いた。
「フェースコントロールを抑えてボールをつかまえてドローを打つ」スイングに着手。オフはスイング固めのため、フルスイングは禁止で“肩から肩”の振り幅で徹底的に体に染み込ませた。開幕前は“肩から肩”の振り幅でツアー外競技に出たこともあった。
新しいスイング臨んだ23年は、開幕から3戦は100位台で予選落ちするなど、7戦して予選通過したのは1試合のみで70位が最高。「夏頃には一度結果が出ると思う」と開幕前からの谷コーチの言葉を信じて取り組み続け、7月の「セガサミーカップ」で優勝争いを演じて2位タイに食い込んだ。
スイングの礎ができると24年のフェアウェイキープ率は47位(58.609%)と数字にも現れる。同年も「中日クラウンズ」、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で2位と“シルバーコレクター”は返上できなかった。
ラストピースはツアー通算31勝のレジェンドだった。「今季は優勝争いすらできていなくて、予選落ちもあってすごく苦しかった」。オープンウィークの前週、片山晋呉のもとを訪れてアドバイスをもらった。
「晋呉さんのアドバイスを試して、今回はチャレンジという気持ちで入った。練習ラウンドでは予選通過できるのかという状態でしたが、日に日にショットがよくなっていきました。晋呉さんのおかげで今週優勝できたと思います」。
4日間オーバーパーがなかったのが片岡だけだ。日光攻略のポイントは「フェアウェイキープ」と片山の助言をいかしたが、「最終日は全然フェアウェイにいかなかった。厳しいパーパットが訪れますけど、ほぼほぼ入ってくれました」。片岡の“生命線”でもあるパットとショットがかみ合って、シルバーコレクター返上どころか“日本一”の称号を手にした。
この優勝で来年の海外メジャー「マスターズ」と「全英オープン」の出場権を手に入れ「本当に夢の舞台でうれしい」と声を大にして喜びを表す。「その2試合は出る選手のなかで僕が一番下手だし、技術もないし、力もない。死ぬほど努力をして(マスターズ開催の)4月までに準備して戦えるように頑張りたい」と話す。
初優勝から今大会まで116試合連続出場と歴代3位の記録になる“令和の鉄人”であり、努力をし続けられる才能を持つ。マスターズへの挑戦がここから始まる。(文・小高拓)
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