鯉のぼりを愛するアメリカ人がニッポンの“鯉のぼり祭り”に大興奮!:世界!ニッポン行きたい人応援団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。
今回は、アメリカ人の初来日の様子をお届けします。
【動画】ニッポンに行きたい外国人を応援!そこには大きな感動が!最新回
紹介するのは、アメリカに住む「鯉のぼり」を愛するボニーさん。
江戸時代に揚げるようになったという鯉のぼり。端午の節句には、武士が子どもの厄除けとして兜や鎧などを飾る習わしが。それとともに、武家の間で幟(のぼり)や旗を揚げ、男の子の立身出世を祈る風習になりました。
この風習が庶民に広まると、幟の家紋や旗印の代わりに縁起物を描くように。中でも、急流を登って龍となる鯉の滝登りが出世の象徴として人気の絵柄となり、現在の鯉のぼりへと発展しました。
家中に70匹以上の鯉のぼりを飾るほど、鯉のぼりを愛するボニーさん。ニッポンにはまだ一度も行ったことがなく、8歳の時、ロサンゼルスの日本人街で初めて鯉のぼりを買って以来、虜になったそう。
鯉のぼりと出会って30年。ボニーさんがここまで鯉のぼりに夢中なのには、ある理由がありました。実は14歳の時に大病を患い、大手術と1年間の入院を経験。病室に鯉のぼりを飾って、つらい闘病生活を乗り越えたそう。「鯉のぼりは私の命の恩人でもあり、人生を変えてくれた存在なんです」と話します。
そんなボニーさん、鯉のぼりが好きすぎるあまり、4年前から鯉飾りを自作するように。早速、作るところを見せてもらいます。
まずは、生地に下書きします。実はボニーさん、世界的映画製作会社「ドリームワークス」でアニメーターを務めていた経歴が。それでも鯉を描くのは簡単ではないそう。
続いて取り出したのは、メインの生地。地元の手芸店で見つけた和柄の布を、下書きに合わせて切り抜いては縫い合わせます。
半日かけて出来上がったパーツに綿を詰め、縫い合わせること1時間。40種類の布を使い、延べ13時間かけたボニーさんの鯉飾りが完成! 作った鯉飾りは、ニッポンの鯉のぼりを広めたいと、近所に住む子どもたちに配っています。
「鯉のぼり祭りに行って本物の鯉のぼりをたくさん見たい。職人さんに会って鯉のぼり作りの技術を学びたい」と願うボニーさんを、4年前、ニッポンにご招待! しかしこの直後、新型コロナが世界的に流行し、残念ながら来日は延期に……。
ということで、新型コロナが5類に移行して初めての端午の節句を迎える今年、今度こそニッポンにご招待! 端午の節句に合わせて、初めてニッポンにやって来ました。
日本中で鯉のぼりが泳ぐ新緑の候、全国各地で鯉のぼりを揚げるお祭りやイベントが開催されますが、まずはボニーさん、群馬県館林市の「こいのぼりの里まつり」へ。たくさんの鯉のぼりが川の上を舞い泳ぐ様子に「アメージング!」と感動。
さらに、茨城県常陸太田市の竜神峡へ。「竜神峡 鯉のぼりまつり」で、高さ100メートルの吊り橋の隣にずらりと並ぶ、鯉のぼりを見ることができました。
各地の鯉のぼりを見てきたボニーさんですが、「一番行きたいのは、埼玉で開催される日本一の鯉のぼり祭り」と話します。
そこで向かったのが埼玉県加須市。全国でも有数の鯉のぼりの生産地で、35年前から開かれている「加須市民平和祭」で、特別に鯉のぼりを揚げるお手伝いをさせていただけることに。
朝8時、利根川の河川敷へ。アルミパイプをつないだ輪をクレーンで移動させると、花火を合図に、巻かれた状態の鯉のぼりが登場。ボニーさんを含め、大人13人で広げていきます。
現れたのは、全長100メートル、重さ330キロの超巨大鯉のぼり! この鯉のぼりを大空に揚げるのが、お祭りのメインイベント。
ジャンボ鯉のぼりの遊泳には、風速5メートル以上の風が必要。風を待ち、クレーンで引っ張り上げると尾ビレが浮き始め、ジャンボ鯉のぼりが大空に舞い上がりました。
第二次大戦前には、鯉のぼりの生産量日本一になった加須市。その伝統を受け継ぎ、1988年に長さ100メートル、重さ600キロのジャンボ鯉のぼり1世を製作。以来、5月3日に行われる「加須市民平和祭」で揚げるのが恒例行事に。現在の4世は、約3400人の市民の協力により7カ月かけて作られました。
現場の激励に訪れた加須市長と握手をさせていただいたボニーさん。「とても大きくて美しい鯉のぼりに感動しました」と伝えると、お手伝いのお礼にと、ミニ鯉のぼりと手拭いのお土産をくださいました。
加須市の皆さん、本当にありがとうございました!
続いては、岡山県和気町へ。鯉のぼりの製造技法は、大きく分けて手捺染(型染め)と手描きの2つがあり、現在作られている鯉のぼりの9割以上が手捺染によるもの。中でも、国内シェア日本一を誇る工房が、創業77年「徳永こいのぼり」です。こちらで、鯉のぼりについて学ばせていただくことに。
ニッポンの鯉のぼり生産の3分の1を請け負う「徳永こいのぼり」には、120種類の鯉のぼりが。家の中で飾れる置き型の鯉のぼりも作っており、スーパーなどにある「おもちゃミニ鯉」の大半は「徳永こいのぼり」が製作しています。
早速、手捺染の鯉のぼりの作り方を見せていただきます。染めを教えてくださる藤巻優樹さんが見せてくださったのは、一番大きい染め型。10メートルの鯉のぼりの染め型4枚のうちの1枚で、尾ビレだけで2メートル40センチも。
特別に、創業者で日本画家の徳永春穂さんが描いた、日本画から起こした型の原版も見せていただきました。手捺染職人にとって、この型は命ともいえるものです。
模様を染めるのに使う色は、1メートルの場合7色+金で8色。1枚の染め型で1色ずつ色を重ねていくことで、色彩の明暗や濃淡などが変化し、空に映える色鮮やかな鯉に。
まずは、胴体の鱗やエラなどの輪郭から。職人の樋口正さんがお手本を見せてくださいました。一見、簡単そうに見えますが、ボニーさんが挑戦させていただくと、染料がムラになっています。力加減を均一にして滑らかな動きで染めないと、失敗の原因に。
「理解しているんだけど難しいです」。藤巻さんから「力を抜いた方がやりやすい」とアドバイスをいただきましたが、糊を多く含んだ染料は粘り気が強く、慣れるまではとても重く感じるそう。それでも回数を重ねるうちに、スケージと呼ばれるゴム製のヘラの動きもスムーズになり、ムラなく染められるようになりました。
同じ型を横に移動させることで次々と同じ部分を染めたら、型を替え、違う色を重ねていきます。少ないもので8枚、多いと50枚以上の型を使うことも。型と染料を替えて重ね塗りをすることでだんだんと色がつき、鮮やかな鯉に。
最後は一番大事な、黒目を入れる作業。黒目を入れることによって、生きているように見えるのです。
これで色染めは完了と思いきや、今度は生地の染色した部分がくっつかないように吊るし、高圧蒸し器の中へ。30分蒸して15分乾燥させると、色が鮮やかに! 高温の蒸気で染料が化学反応を起こし、不純物も取り除かれるため、よりはっきりと発色するのです。
この発色の良さが、手捺染の魅力のひとつ。遠くからでも模様が鮮明に見え、空を泳いだ時に映えるよう考えられています。「手捺染の鯉のぼりが広く愛されている理由が分かった気がします」とボニーさん。
その後ボニーさんは、専務取締役・永宗洋さんのご自宅でニッポンの子どもの日の風習を体験。室内には兜と菖蒲が飾られ、端午の節句を祝う料理がずらり! 郷土料理のばら寿司や、西日本では古くからこどもの日のお菓子として欠かせない、ちまきに舌鼓を打ちました。
ニッポンの子どもの日を堪能したボニーさんは、いよいよ仕上げの工程へ。染め上がった生地を電動カッターで裁断します。丸みを帯びた流線形にするため、あえて線は引かずに感覚で裁断。
指導を受けながら、チャレンジします。尻尾のカーブの裁断も、縫い代の余白だけ意識して、あとは感覚で。小さなヒレは、小回りの利く裁ちバサミを使ってカットします。永宗さんによると、裁断で大切なポイントはくびれが綺麗なこと。流れるようなラインで、泳ぐ姿が美しくなるそう。
裁断した生地を縫ったら出来上がり! ボニーさんがお手伝いして完成した鯉のぼりに、永宗さんは120点をつけてくださいました。
そして別れの時。ボニーさんは「皆さんから教えてもらった技術をこれから活かしていくつもりです。皆さんと過ごした時間と徳永こいのぼりのことは一生忘れません」と手紙を読み上げます。
「日本人以外でこんなに鯉のぼりが好きな人は人生で初めてだったので、本当に嬉しかったです」と、代表取締役の徳永夕子さん。永宗さんも「引き続き日本の美しい文化を世界に発信していただきたい」と伝えました。
最後に、ボニーさんがお手伝いした4メートルの真鯉をプレゼント! さらに、ボニーさんの名前が入ったミニ鯉のぼりも。ボニーさんも「これで私のことを思い出してください」と、自作の鯉飾りをプレゼント。皆さんに喜んでいただけました。
「徳永こいのぼり」の皆さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、千葉県市川市。実はボニーさん、「伝統的な手描きで鯉のぼりを作っている職人さんから技術を学びたいです」と話していました。
元々は、和紙や木綿に手描きで描かれていた鯉のぼり。しかし昭和40年代、ベビーブームの需要に応えるため、合成繊維にプリントしたものが主流に。手描きは高度な技術と膨大な手間暇がかかるため、職人は次々と姿を消し、今では全国で10人ほどになってしまいました。
その中でも、ニッポンにたった一人という「江戸手描き鯉のぼり」の職人が市川市に。ボニーさんの熱意を伝えたところ、端午の節句直前の時期にもかかわらず、快く受け入れてくださいました。
お世話になるのは、「秀光人形工房」の三代目金龍、金田鈴美さん。初代は、江戸発祥の歴史ある鯉のぼりの気風を現代に残した、江戸手描き鯉のぼりの名工です。
吹き流しといえば5色のものしかなかった時代、初代が初めて龍を描いた「昇龍門の滝のぼり」を考案。さらに、紫やピンクの鯉のぼりを考案するなど、鯉のぼり文化の発展に大きく貢献しました。
その後は鈴美さんの父が二代目を継いだものの、時代は型染めが主流に。一度途絶えてしまった江戸手描き鯉のぼりを35年ぶりに復活させたのが、三代目金龍の鈴美さん。ボニーさんがインターネットで見ていた憧れの職人さんです。
早速見せてくださったのは、鯉のぼりの一番上を泳ぐ吹き流しという部分。三代目が復元した、昇龍門の滝のぼりを描いた吹き流しです。金龍さんが「鯉のぼりのルーツ」と話すように、江戸時代、武家や特権階級の人々が揚げていた魔除けの吹き流しにならい、町人が縁起物を描いて揚げるようになったのが鯉のぼりの始まり。
ボニーさんが作った鯉飾りを見ていただくと、「この顔(金龍さんの鯉のぼり)にすごく似てる」と金龍さん。比べてみると、顔の輪郭やヒゲ・エラなどがそっくり! ボニーさんによると、金龍さんの鯉のぼりを参考にさせていただいたそう。
そしていよいよ、江戸手描き鯉のぼり作りを見せていただくことに。使うのは、現代では珍しくなった木綿。重みがあるため、風を受けるとゆったり大らかな動きになるのが魅力です。
まずは、色作りから。にじみを防ぐタンパク質と顔料を独自の比率で糊に混ぜ、にじまず、色落ちしないよう調整します。木綿は染料が深く浸透するため、濃くはっきりとした鮮やかな仕上がりに。
金龍さんが修業の時に一番苦労したという染料づくり。かつては専門の染料業者さんがいたものの、現在、鯉のぼり市場は最盛期の30分の1程度ともいわれ、廃業した店も多いそう。
端切れに試し塗りをするのは、にじみを見るため。同じ配合でも、天気や気温、湿度でにじみ方が変わるため、職人の経験と勘で微調整。1匹の鯉を描くのに、最大12色の染料を作成します。糊が固まると使えなくなるため、その都度使い切る量だけ調合するそう。
染料が出来上がったところで取り出したのは、円を描く「ぶんまわし」という道具。これで、江戸鯉のぼりの特徴の一つ、円が重なった目玉の輪郭を描いていきます。
手描きの名の通り、下書きなしの一発勝負。ボニーさんは「下書きもせずにいきなり描くなんて信じられません」とびっくり! 円の左右を引く時は、右手と左手を巧みに使い分ける必要が。
続いて、ウロコの輪郭もぶんまわしで。鯉のぼりのサイズごとに鱗の配置や大きさ、数に決まりがあり、感覚だけで描いていきます。ボニーさんも作業着をお借りして、赤鯉の鱗を描かせていただくことに。
金龍さんによると、筆さばきにはコツがあり、捺染は輪郭を同じ太さで描くのに対して、手描きは太さに強弱をつけることで力強さを強調。太くなると格好よく見える部分を意識すると、上手に見えるそう。
こうして40分かけて、片面の鱗の輪郭が完成! 「80点くらい」と高得点をいただき「嬉しいです!」とボニーさん。
休憩時間は、職人の皆さんが料理を持ち寄り、歓迎会を開いてくださいました。鯉のぼりに見立てた海老の春巻やお赤飯の他、東日本で端午の節句に食べる柏餅が並びます。ボニーさんは「みなさんのおもてなしに感動しています」と喜びを伝えました。
ここでボニーさんは、金龍さんが作った鯉のぼりを毎年揚げている方を訪ねることに。
受け入れてくださったのは、江戸時代から約160年続く「石川酒造」。十八代目当主の石川彌八郎さんは、金龍さんが作った鯉のぼりを最初に購入したお客さんです。
特別に、鯉のぼりを揚げるお手伝いをさせていただいたボニーさん。「雄大な鯉のぼりが見られて感激です」。石川さんによると、空に揚がってたなびくことで、手描きの良さ、木綿の良さが発揮されるそう。「石川酒造」のお酒をいただきながら、金龍さんの鯉のぼりが泳ぐ姿を目に焼き付けたボニーさんでした。
工房に戻り、尾ビレを描く工程へ。金龍さんの筆さばきを見せていただくと、濃淡がつくように筆を動かすことで、まるで生きているかのように見えます。尾ビレのポイントは鋭角的な先端、濃淡を生むかすれ、1本1本のヒレに立体感を与える盛り上がり。この3つが揃うことで、抜群の躍動感が出るそう。
ボニーさんも挑戦しますが、金龍さんのようにはいきません。比べてみると、その違いは歴然。筆をはねた時に先端が幅広になってしまいました。
「染料の溜まりはいい感じですね」と金龍さん。色の溜まりが光を反射することで、遠くから見ても美しい立体感に。手直ししていただくと、鋭角でかすれと溜まりが整った、綺麗なヒレになりました、
続いて、鱗の模様を描く工程。鱗の模様にはハネやハライを多用するため、程よい弾力のイタチの毛の筆を使います。筆が密集しすぎると鱗の線が上手く表現できないため、わざとすいているそう。
さらに、グレーの上に黒をのせ、水墨画のような味わいのある濃淡に。尾ビレとは対照的に針のような細い線で、泳いだ時の鱗の輝きを表現しています。
扇型の輪郭に向けて放射状に描くのが美しく見えるポイント。ボニーさんも挑戦させていただくと、金龍さんから「いいね、出来てる。いい感じ」と嬉しい言葉が。イタチの筆が扱いやすかったのか、コツをつかんだようです。
続いて、大空で鯉を目立たせる、金色の使い方を見せていただきます。金色を巧みに入れていくことで、鯉が水の中でキラキラと反射し、光り輝く様を表現。江戸流の匠の技を目の当たりにしたボニーさんは、「色を塗り重ねていく技術に目が釘付けになりました。アメージング!」と感動。
最後に、鯉のぼりに命を吹き込むために目玉を描き、2日にわたる絵付けが終了。この後、染料を一旦乾かし、仕上げの工程へと進みます。
この日は、朝8時半に待ち合わせをして、地元の鯉のぼり祭り「国分川鯉のぼりフェスティバル」へ。「秀光人形工房」も毎回出店しています。
ボニーさんも、工房の皆さんと出店のお手伝い。さらに、能登半島で起きた地震の被災者の方々に寄付をしたいと、自作の鯉飾りを出品して募金活動をすることに。
鯉飾りを並べると、お客さんが次々と訪れ、あっという間に完売! お預かりしたお金は、能登半島地震災害義援金として寄付させていただきました。
募金に協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
工房に戻り、いよいよ仕上げ。裁断では、鯉のぼりの姿が崩れず美しく見えるよう、縫いしろを広めにしています。腹の部分は切断せずにつなげたままなのも、長持ちさせる知恵。
続いて、ボニーさんが自分で描いた鯉のぼりの縫製に挑戦。縫いしろの補強には、布目に対して45度の角度で切った、弾力と耐久性のあるテープ状の生地を使います。尾の部分は風になびいて傷みやすいため、長持ちさせるために考えられたひと手間です。
カーブの一番厳しいところも乗り切り、ボニーさんの手描き鯉のぼりが完成! 少しつってしまった部分もありましたが、それもご愛嬌。金龍さんの鯉のぼりと一緒に揚げることができました。
別れの時。ボニーさんが金龍さんへの感謝の手紙を読み上げます。「アメリカに戻って鯉飾りを作る時に、教えてもらった技術を試すのが楽しみです」と伝えると、「鯉のぼりって素敵だなという気持ちをボニーさんと一緒に共有できて、本当に良かった」と金龍さん。
ボニーさんの名前が入った小さな鯉のぼりと、金龍さん自ら型染めの型を作った鯉のぼり、数日間使った筆、ぶんまわしをプレゼントしていただき、ボニーさんは「これは私の宝物になります」と大感激! ボニーさんからも、これまで作った中で一番大きい鯉飾りをプレゼント。金龍さんは鯉飾りにハグをして喜んでくださいました。
「秀光人形工房」の皆さん、本当にありがとうございました!
鯉のぼりを通じてさまざまな出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にボニーさんは、「ニッポンでのさまざまな経験によって、私の鯉のぼり愛はさらに大きくなりました。アメリカに戻ったら学んだことを実践して、お世話になったみなさんに恩返ししたいです。私は鯉のぼりのように滝をのぼります」と語ってくれました。
そして、ボニーさんが帰国して1カ月。金龍さんからいただいたぶんまわしと筆を使って、手描きの鯉飾りを作ったとの報告が。「これからもっともっと手描きの腕を磨いていきます。本当にありがとうございました」と、改めて感謝を伝えてくれました。
ボニーさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼“七宝焼き”を学びたい!
銀や銅製の素地に色ガラスを原料とした釉薬を塗り、銀線で装飾を施して焼いた伝統工芸品“七宝焼き”を作るハンガリーのイルディコさん。約200年の歴史を受け継ぐ愛知県名古屋市の「加藤七宝」へ。“尾張七宝”の伝統工芸士のもとで壺の曲面に1センチ以下…銀線を貼り絵柄をデザインする超繊細な匠の技を目の当たりに! イルディコさんも作品作りに挑戦! 果たして、出来栄えはいかに…!?
▼“陶磁胎七宝”を見たい!
金属製の素地の代わりに“陶磁器”に七宝を施す“陶磁胎七宝”。幻の七宝ともいわれるこの技法を復活させた、水野このみさんのもとを訪れるため愛知県瀬戸市へ。「せともの」という陶芸の街として知られ、水野このみさんの父&弟は「練り込み」という1300年の歴史を持つ技法で作品を生み出す陶芸家。“陶磁胎七宝”の作品作りをさせてもらえることに!
今回は、アメリカ人の初来日の様子をお届けします。
【動画】ニッポンに行きたい外国人を応援!そこには大きな感動が!最新回
日本一のジャンボ鯉のぼりに感動!
紹介するのは、アメリカに住む「鯉のぼり」を愛するボニーさん。
江戸時代に揚げるようになったという鯉のぼり。端午の節句には、武士が子どもの厄除けとして兜や鎧などを飾る習わしが。それとともに、武家の間で幟(のぼり)や旗を揚げ、男の子の立身出世を祈る風習になりました。
この風習が庶民に広まると、幟の家紋や旗印の代わりに縁起物を描くように。中でも、急流を登って龍となる鯉の滝登りが出世の象徴として人気の絵柄となり、現在の鯉のぼりへと発展しました。
家中に70匹以上の鯉のぼりを飾るほど、鯉のぼりを愛するボニーさん。ニッポンにはまだ一度も行ったことがなく、8歳の時、ロサンゼルスの日本人街で初めて鯉のぼりを買って以来、虜になったそう。
鯉のぼりと出会って30年。ボニーさんがここまで鯉のぼりに夢中なのには、ある理由がありました。実は14歳の時に大病を患い、大手術と1年間の入院を経験。病室に鯉のぼりを飾って、つらい闘病生活を乗り越えたそう。「鯉のぼりは私の命の恩人でもあり、人生を変えてくれた存在なんです」と話します。
そんなボニーさん、鯉のぼりが好きすぎるあまり、4年前から鯉飾りを自作するように。早速、作るところを見せてもらいます。
まずは、生地に下書きします。実はボニーさん、世界的映画製作会社「ドリームワークス」でアニメーターを務めていた経歴が。それでも鯉を描くのは簡単ではないそう。
続いて取り出したのは、メインの生地。地元の手芸店で見つけた和柄の布を、下書きに合わせて切り抜いては縫い合わせます。
半日かけて出来上がったパーツに綿を詰め、縫い合わせること1時間。40種類の布を使い、延べ13時間かけたボニーさんの鯉飾りが完成! 作った鯉飾りは、ニッポンの鯉のぼりを広めたいと、近所に住む子どもたちに配っています。
「鯉のぼり祭りに行って本物の鯉のぼりをたくさん見たい。職人さんに会って鯉のぼり作りの技術を学びたい」と願うボニーさんを、4年前、ニッポンにご招待! しかしこの直後、新型コロナが世界的に流行し、残念ながら来日は延期に……。
ということで、新型コロナが5類に移行して初めての端午の節句を迎える今年、今度こそニッポンにご招待! 端午の節句に合わせて、初めてニッポンにやって来ました。
日本中で鯉のぼりが泳ぐ新緑の候、全国各地で鯉のぼりを揚げるお祭りやイベントが開催されますが、まずはボニーさん、群馬県館林市の「こいのぼりの里まつり」へ。たくさんの鯉のぼりが川の上を舞い泳ぐ様子に「アメージング!」と感動。
さらに、茨城県常陸太田市の竜神峡へ。「竜神峡 鯉のぼりまつり」で、高さ100メートルの吊り橋の隣にずらりと並ぶ、鯉のぼりを見ることができました。
各地の鯉のぼりを見てきたボニーさんですが、「一番行きたいのは、埼玉で開催される日本一の鯉のぼり祭り」と話します。
そこで向かったのが埼玉県加須市。全国でも有数の鯉のぼりの生産地で、35年前から開かれている「加須市民平和祭」で、特別に鯉のぼりを揚げるお手伝いをさせていただけることに。
朝8時、利根川の河川敷へ。アルミパイプをつないだ輪をクレーンで移動させると、花火を合図に、巻かれた状態の鯉のぼりが登場。ボニーさんを含め、大人13人で広げていきます。
現れたのは、全長100メートル、重さ330キロの超巨大鯉のぼり! この鯉のぼりを大空に揚げるのが、お祭りのメインイベント。
ジャンボ鯉のぼりの遊泳には、風速5メートル以上の風が必要。風を待ち、クレーンで引っ張り上げると尾ビレが浮き始め、ジャンボ鯉のぼりが大空に舞い上がりました。
第二次大戦前には、鯉のぼりの生産量日本一になった加須市。その伝統を受け継ぎ、1988年に長さ100メートル、重さ600キロのジャンボ鯉のぼり1世を製作。以来、5月3日に行われる「加須市民平和祭」で揚げるのが恒例行事に。現在の4世は、約3400人の市民の協力により7カ月かけて作られました。
現場の激励に訪れた加須市長と握手をさせていただいたボニーさん。「とても大きくて美しい鯉のぼりに感動しました」と伝えると、お手伝いのお礼にと、ミニ鯉のぼりと手拭いのお土産をくださいました。
加須市の皆さん、本当にありがとうございました!
続いては、岡山県和気町へ。鯉のぼりの製造技法は、大きく分けて手捺染(型染め)と手描きの2つがあり、現在作られている鯉のぼりの9割以上が手捺染によるもの。中でも、国内シェア日本一を誇る工房が、創業77年「徳永こいのぼり」です。こちらで、鯉のぼりについて学ばせていただくことに。
ニッポンの鯉のぼり生産の3分の1を請け負う「徳永こいのぼり」には、120種類の鯉のぼりが。家の中で飾れる置き型の鯉のぼりも作っており、スーパーなどにある「おもちゃミニ鯉」の大半は「徳永こいのぼり」が製作しています。
早速、手捺染の鯉のぼりの作り方を見せていただきます。染めを教えてくださる藤巻優樹さんが見せてくださったのは、一番大きい染め型。10メートルの鯉のぼりの染め型4枚のうちの1枚で、尾ビレだけで2メートル40センチも。
特別に、創業者で日本画家の徳永春穂さんが描いた、日本画から起こした型の原版も見せていただきました。手捺染職人にとって、この型は命ともいえるものです。
模様を染めるのに使う色は、1メートルの場合7色+金で8色。1枚の染め型で1色ずつ色を重ねていくことで、色彩の明暗や濃淡などが変化し、空に映える色鮮やかな鯉に。
まずは、胴体の鱗やエラなどの輪郭から。職人の樋口正さんがお手本を見せてくださいました。一見、簡単そうに見えますが、ボニーさんが挑戦させていただくと、染料がムラになっています。力加減を均一にして滑らかな動きで染めないと、失敗の原因に。
「理解しているんだけど難しいです」。藤巻さんから「力を抜いた方がやりやすい」とアドバイスをいただきましたが、糊を多く含んだ染料は粘り気が強く、慣れるまではとても重く感じるそう。それでも回数を重ねるうちに、スケージと呼ばれるゴム製のヘラの動きもスムーズになり、ムラなく染められるようになりました。
同じ型を横に移動させることで次々と同じ部分を染めたら、型を替え、違う色を重ねていきます。少ないもので8枚、多いと50枚以上の型を使うことも。型と染料を替えて重ね塗りをすることでだんだんと色がつき、鮮やかな鯉に。
最後は一番大事な、黒目を入れる作業。黒目を入れることによって、生きているように見えるのです。
これで色染めは完了と思いきや、今度は生地の染色した部分がくっつかないように吊るし、高圧蒸し器の中へ。30分蒸して15分乾燥させると、色が鮮やかに! 高温の蒸気で染料が化学反応を起こし、不純物も取り除かれるため、よりはっきりと発色するのです。
この発色の良さが、手捺染の魅力のひとつ。遠くからでも模様が鮮明に見え、空を泳いだ時に映えるよう考えられています。「手捺染の鯉のぼりが広く愛されている理由が分かった気がします」とボニーさん。
その後ボニーさんは、専務取締役・永宗洋さんのご自宅でニッポンの子どもの日の風習を体験。室内には兜と菖蒲が飾られ、端午の節句を祝う料理がずらり! 郷土料理のばら寿司や、西日本では古くからこどもの日のお菓子として欠かせない、ちまきに舌鼓を打ちました。
ニッポンの子どもの日を堪能したボニーさんは、いよいよ仕上げの工程へ。染め上がった生地を電動カッターで裁断します。丸みを帯びた流線形にするため、あえて線は引かずに感覚で裁断。
指導を受けながら、チャレンジします。尻尾のカーブの裁断も、縫い代の余白だけ意識して、あとは感覚で。小さなヒレは、小回りの利く裁ちバサミを使ってカットします。永宗さんによると、裁断で大切なポイントはくびれが綺麗なこと。流れるようなラインで、泳ぐ姿が美しくなるそう。
裁断した生地を縫ったら出来上がり! ボニーさんがお手伝いして完成した鯉のぼりに、永宗さんは120点をつけてくださいました。
そして別れの時。ボニーさんは「皆さんから教えてもらった技術をこれから活かしていくつもりです。皆さんと過ごした時間と徳永こいのぼりのことは一生忘れません」と手紙を読み上げます。
「日本人以外でこんなに鯉のぼりが好きな人は人生で初めてだったので、本当に嬉しかったです」と、代表取締役の徳永夕子さん。永宗さんも「引き続き日本の美しい文化を世界に発信していただきたい」と伝えました。
最後に、ボニーさんがお手伝いした4メートルの真鯉をプレゼント! さらに、ボニーさんの名前が入ったミニ鯉のぼりも。ボニーさんも「これで私のことを思い出してください」と、自作の鯉飾りをプレゼント。皆さんに喜んでいただけました。
「徳永こいのぼり」の皆さん、本当にありがとうございました!
ニッポンでただ一人! 江戸手描き鯉のぼりの職人に学ぶ
続いて向かったのは、千葉県市川市。実はボニーさん、「伝統的な手描きで鯉のぼりを作っている職人さんから技術を学びたいです」と話していました。
元々は、和紙や木綿に手描きで描かれていた鯉のぼり。しかし昭和40年代、ベビーブームの需要に応えるため、合成繊維にプリントしたものが主流に。手描きは高度な技術と膨大な手間暇がかかるため、職人は次々と姿を消し、今では全国で10人ほどになってしまいました。
その中でも、ニッポンにたった一人という「江戸手描き鯉のぼり」の職人が市川市に。ボニーさんの熱意を伝えたところ、端午の節句直前の時期にもかかわらず、快く受け入れてくださいました。
お世話になるのは、「秀光人形工房」の三代目金龍、金田鈴美さん。初代は、江戸発祥の歴史ある鯉のぼりの気風を現代に残した、江戸手描き鯉のぼりの名工です。
吹き流しといえば5色のものしかなかった時代、初代が初めて龍を描いた「昇龍門の滝のぼり」を考案。さらに、紫やピンクの鯉のぼりを考案するなど、鯉のぼり文化の発展に大きく貢献しました。
その後は鈴美さんの父が二代目を継いだものの、時代は型染めが主流に。一度途絶えてしまった江戸手描き鯉のぼりを35年ぶりに復活させたのが、三代目金龍の鈴美さん。ボニーさんがインターネットで見ていた憧れの職人さんです。
早速見せてくださったのは、鯉のぼりの一番上を泳ぐ吹き流しという部分。三代目が復元した、昇龍門の滝のぼりを描いた吹き流しです。金龍さんが「鯉のぼりのルーツ」と話すように、江戸時代、武家や特権階級の人々が揚げていた魔除けの吹き流しにならい、町人が縁起物を描いて揚げるようになったのが鯉のぼりの始まり。
ボニーさんが作った鯉飾りを見ていただくと、「この顔(金龍さんの鯉のぼり)にすごく似てる」と金龍さん。比べてみると、顔の輪郭やヒゲ・エラなどがそっくり! ボニーさんによると、金龍さんの鯉のぼりを参考にさせていただいたそう。
そしていよいよ、江戸手描き鯉のぼり作りを見せていただくことに。使うのは、現代では珍しくなった木綿。重みがあるため、風を受けるとゆったり大らかな動きになるのが魅力です。
まずは、色作りから。にじみを防ぐタンパク質と顔料を独自の比率で糊に混ぜ、にじまず、色落ちしないよう調整します。木綿は染料が深く浸透するため、濃くはっきりとした鮮やかな仕上がりに。
金龍さんが修業の時に一番苦労したという染料づくり。かつては専門の染料業者さんがいたものの、現在、鯉のぼり市場は最盛期の30分の1程度ともいわれ、廃業した店も多いそう。
端切れに試し塗りをするのは、にじみを見るため。同じ配合でも、天気や気温、湿度でにじみ方が変わるため、職人の経験と勘で微調整。1匹の鯉を描くのに、最大12色の染料を作成します。糊が固まると使えなくなるため、その都度使い切る量だけ調合するそう。
染料が出来上がったところで取り出したのは、円を描く「ぶんまわし」という道具。これで、江戸鯉のぼりの特徴の一つ、円が重なった目玉の輪郭を描いていきます。
手描きの名の通り、下書きなしの一発勝負。ボニーさんは「下書きもせずにいきなり描くなんて信じられません」とびっくり! 円の左右を引く時は、右手と左手を巧みに使い分ける必要が。
続いて、ウロコの輪郭もぶんまわしで。鯉のぼりのサイズごとに鱗の配置や大きさ、数に決まりがあり、感覚だけで描いていきます。ボニーさんも作業着をお借りして、赤鯉の鱗を描かせていただくことに。
金龍さんによると、筆さばきにはコツがあり、捺染は輪郭を同じ太さで描くのに対して、手描きは太さに強弱をつけることで力強さを強調。太くなると格好よく見える部分を意識すると、上手に見えるそう。
こうして40分かけて、片面の鱗の輪郭が完成! 「80点くらい」と高得点をいただき「嬉しいです!」とボニーさん。
休憩時間は、職人の皆さんが料理を持ち寄り、歓迎会を開いてくださいました。鯉のぼりに見立てた海老の春巻やお赤飯の他、東日本で端午の節句に食べる柏餅が並びます。ボニーさんは「みなさんのおもてなしに感動しています」と喜びを伝えました。
ここでボニーさんは、金龍さんが作った鯉のぼりを毎年揚げている方を訪ねることに。
受け入れてくださったのは、江戸時代から約160年続く「石川酒造」。十八代目当主の石川彌八郎さんは、金龍さんが作った鯉のぼりを最初に購入したお客さんです。
特別に、鯉のぼりを揚げるお手伝いをさせていただいたボニーさん。「雄大な鯉のぼりが見られて感激です」。石川さんによると、空に揚がってたなびくことで、手描きの良さ、木綿の良さが発揮されるそう。「石川酒造」のお酒をいただきながら、金龍さんの鯉のぼりが泳ぐ姿を目に焼き付けたボニーさんでした。
工房に戻り、尾ビレを描く工程へ。金龍さんの筆さばきを見せていただくと、濃淡がつくように筆を動かすことで、まるで生きているかのように見えます。尾ビレのポイントは鋭角的な先端、濃淡を生むかすれ、1本1本のヒレに立体感を与える盛り上がり。この3つが揃うことで、抜群の躍動感が出るそう。
ボニーさんも挑戦しますが、金龍さんのようにはいきません。比べてみると、その違いは歴然。筆をはねた時に先端が幅広になってしまいました。
「染料の溜まりはいい感じですね」と金龍さん。色の溜まりが光を反射することで、遠くから見ても美しい立体感に。手直ししていただくと、鋭角でかすれと溜まりが整った、綺麗なヒレになりました、
続いて、鱗の模様を描く工程。鱗の模様にはハネやハライを多用するため、程よい弾力のイタチの毛の筆を使います。筆が密集しすぎると鱗の線が上手く表現できないため、わざとすいているそう。
さらに、グレーの上に黒をのせ、水墨画のような味わいのある濃淡に。尾ビレとは対照的に針のような細い線で、泳いだ時の鱗の輝きを表現しています。
扇型の輪郭に向けて放射状に描くのが美しく見えるポイント。ボニーさんも挑戦させていただくと、金龍さんから「いいね、出来てる。いい感じ」と嬉しい言葉が。イタチの筆が扱いやすかったのか、コツをつかんだようです。
続いて、大空で鯉を目立たせる、金色の使い方を見せていただきます。金色を巧みに入れていくことで、鯉が水の中でキラキラと反射し、光り輝く様を表現。江戸流の匠の技を目の当たりにしたボニーさんは、「色を塗り重ねていく技術に目が釘付けになりました。アメージング!」と感動。
最後に、鯉のぼりに命を吹き込むために目玉を描き、2日にわたる絵付けが終了。この後、染料を一旦乾かし、仕上げの工程へと進みます。
この日は、朝8時半に待ち合わせをして、地元の鯉のぼり祭り「国分川鯉のぼりフェスティバル」へ。「秀光人形工房」も毎回出店しています。
ボニーさんも、工房の皆さんと出店のお手伝い。さらに、能登半島で起きた地震の被災者の方々に寄付をしたいと、自作の鯉飾りを出品して募金活動をすることに。
鯉飾りを並べると、お客さんが次々と訪れ、あっという間に完売! お預かりしたお金は、能登半島地震災害義援金として寄付させていただきました。
募金に協力してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
工房に戻り、いよいよ仕上げ。裁断では、鯉のぼりの姿が崩れず美しく見えるよう、縫いしろを広めにしています。腹の部分は切断せずにつなげたままなのも、長持ちさせる知恵。
続いて、ボニーさんが自分で描いた鯉のぼりの縫製に挑戦。縫いしろの補強には、布目に対して45度の角度で切った、弾力と耐久性のあるテープ状の生地を使います。尾の部分は風になびいて傷みやすいため、長持ちさせるために考えられたひと手間です。
カーブの一番厳しいところも乗り切り、ボニーさんの手描き鯉のぼりが完成! 少しつってしまった部分もありましたが、それもご愛嬌。金龍さんの鯉のぼりと一緒に揚げることができました。
別れの時。ボニーさんが金龍さんへの感謝の手紙を読み上げます。「アメリカに戻って鯉飾りを作る時に、教えてもらった技術を試すのが楽しみです」と伝えると、「鯉のぼりって素敵だなという気持ちをボニーさんと一緒に共有できて、本当に良かった」と金龍さん。
ボニーさんの名前が入った小さな鯉のぼりと、金龍さん自ら型染めの型を作った鯉のぼり、数日間使った筆、ぶんまわしをプレゼントしていただき、ボニーさんは「これは私の宝物になります」と大感激! ボニーさんからも、これまで作った中で一番大きい鯉飾りをプレゼント。金龍さんは鯉飾りにハグをして喜んでくださいました。
「秀光人形工房」の皆さん、本当にありがとうございました!
鯉のぼりを通じてさまざまな出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にボニーさんは、「ニッポンでのさまざまな経験によって、私の鯉のぼり愛はさらに大きくなりました。アメリカに戻ったら学んだことを実践して、お世話になったみなさんに恩返ししたいです。私は鯉のぼりのように滝をのぼります」と語ってくれました。
そして、ボニーさんが帰国して1カ月。金龍さんからいただいたぶんまわしと筆を使って、手描きの鯉飾りを作ったとの報告が。「これからもっともっと手描きの腕を磨いていきます。本当にありがとうございました」と、改めて感謝を伝えてくれました。
ボニーさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼“七宝焼き”を学びたい!
銀や銅製の素地に色ガラスを原料とした釉薬を塗り、銀線で装飾を施して焼いた伝統工芸品“七宝焼き”を作るハンガリーのイルディコさん。約200年の歴史を受け継ぐ愛知県名古屋市の「加藤七宝」へ。“尾張七宝”の伝統工芸士のもとで壺の曲面に1センチ以下…銀線を貼り絵柄をデザインする超繊細な匠の技を目の当たりに! イルディコさんも作品作りに挑戦! 果たして、出来栄えはいかに…!?
▼“陶磁胎七宝”を見たい!
金属製の素地の代わりに“陶磁器”に七宝を施す“陶磁胎七宝”。幻の七宝ともいわれるこの技法を復活させた、水野このみさんのもとを訪れるため愛知県瀬戸市へ。「せともの」という陶芸の街として知られ、水野このみさんの父&弟は「練り込み」という1300年の歴史を持つ技法で作品を生み出す陶芸家。“陶磁胎七宝”の作品作りをさせてもらえることに!
記事提供元:テレ東プラス
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