ヤクルト、高津臣吾監督との思い出【山本萩子の6-4-3を待ちわびて】第182回
高津臣吾監督について語った山本キャスター
9月に入り、ヤクルトの高津臣吾監督が今季限りで監督を退任するというニュースが流れました。
2019年2月の宮崎県西都市、2軍監督時代のキャンプ取材でのこと。当時私はNHK BSの『ワースポ×MLB』のキャスター1年目で、実はこの日が最初のロケでした。
インタビュー終了後。その日はとても寒かったのですが、高津監督は遠くから練習を見ていた私に「こっちにおいで」と手招きしてくれました。そこには監督専用のストーブが置いてあり、「暖かいから」ということだったんです。
そこで、いろいろなお話をうかがうことができました。中でも、チームの未来を支える若手選手たちのことをたくさんお話しいただいたたことを覚えています。その時の顔はとても頼もしく映りました。今年の浦添キャンプにお邪魔した時も、「また来てくれてありがとう」と声をかけていただき、優しく笑いかけてくださいました。
高津監督といえば、現役時代から明るいキャラクターで人気者でした。NPBではヤクルトのクローザーとして素晴らしい成績を残して海外へと渡り、ホワイトソックスでは世界一を経験した偉大な投手です。
ヤクルト退団の経緯は、決して功労者に対するものとは言えなかったこともあり、「このままヤクルトとの縁が切れてしまうのかも......」と心配したファンもたくさんいたと記憶しています。
再びヤクルトの現場に戻ることになったのは、今年の2月にご逝去された衣笠剛代表の力が大きかったと言われています。衣笠さんが、どうしても戻ってきてほしいと頭を下げ、その思いを高津さんは正面から受け止めたと聞きます。
高津監督は投手コーチ、2軍監督を経て2020年シーズンから1軍監督を任され、翌年には日本一に輝きました。世界中が混沌としていたあの数年の間で、高津監督の言葉に何度救われたことでしょうか。
その瞬間を、スワローズファンの方が写真に収めてくださっていました。(Y氏@toda_swallowsのXより)
「絶対大丈夫」という言葉も話題になりましたが、選手はもちろん、私たちファンも勇気をもらいました。この言葉を積極的に用いた背景には、ヤクルトの現役時代の恩師・野村克也さんから「指導者は言葉の重さが大事だ」と学んだからと言われています。
21年の優勝は、チーム全体に高津監督の持つ明るい空気感が浸透したことが大きかったと思います。それが当時のチームにフィットしたのかなと。今の"明るいヤクルト"の礎を作ってきたのは、現役時代も指揮官時代も、常に高津監督だったのかもしれません。
翌年もリーグ優勝を果たしましたが、それ以降の成績は納得いくものではなかったと思います。特に今年は、開幕前に理解者である衣笠さんがお亡くなりになり、つば九郎が羽を休めることになり、主力選手の故障者が相次いでほとんどベストオーダーを組めませんでした。ベンチでの高津監督の表情を見ると、胸が締めつけられるようでした。
苦しいシーズンではありますが、今年のヤクルトの収穫のひとつは、伊藤琉偉選手、北村恵吾選手、赤羽由紘選手、岩田幸宏選手といった若手の成長でしょう。ケガの功名とは言えませんが、高津監督のもとで育った若手の成長はチームの希望になるはずです。
来季の監督については、池山隆寛2軍監督という噂も聞きますね。もし実現したら、ファームで一緒にやってきた若手がさらに花開きそうな気がします。
ただ、人事はチームから正式に発表されたわけではありませんし、何よりシーズンはまだ終わっていません。残りの試合を全力で戦って、選手も首脳陣も悔いなきシーズンにしてもらいたいと思います。
それでは、また来週。
構成/キンマサタカ 撮影/栗山秀作
記事提供元:週プレNEWS
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