ひろゆきが睡眠学者・柳沢正史に聞く、眠りについての本当の話⑨「睡眠に重要な物質『オレキシン』とはそもそも何か?」【この件について】
「ギリシャ語で食欲を意味する『orexis』にちなんで『オレキシン』と命名しました」と語る柳沢正史先生
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。睡眠学者の柳沢正史先生を迎えての9回目です。柳沢先生は睡眠に重要な「オレキシン」を発見して世界的に有名になりました。でもオレキシンのことがいまいちよくわかりません。ということで、詳しく聞いてみました。
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ひろゆき(以下、ひろ) 柳沢先生は睡眠に重要な「オレキシン」の発見者として世界的に有名ですが、そもそもオレキシンとはなんなのか教えていただけますか?
柳沢正史(以下、柳沢) はい。まず、私たちの体では細胞同士が情報を伝え合うためにさまざまな化学物質が働いています。そして、その化学物質は細胞間のコミュニケーションにおける「鍵」のような役割を果たしているんです。
ひろ 鍵、ですか?
柳沢 ええ。ある神経細胞が放出する鍵(リガンド)には、その鍵にぴったり合う「鍵穴(受容体)」が存在します。鍵が鍵穴にはまることで情報が伝わる。これが細胞間コミュニケーションの基本です。
ひろ はいはい。
柳沢 オレキシン発見のきっかけは、1995年頃です。当時はまだ「ヒトゲノム解読(ヒトの遺伝子情報解読)」は完了していませんでしたが、遺伝子からタンパク質を作るときの設計図のコピーとなる「メッセンジャーRNA(mRNA)」のデータベースは充実し始めていました。
ひろ コロナワクチンで聞いたmRNAですね。
柳沢 そのmRNAのデータベースを見ると、配列構造から「これは鍵穴だろう」と考えられる分子がたくさん見つかったんです。特に私たちが注目したのは「Gタンパク質共役型受容体(GPCR)」でした。これは感覚情報からホルモン、神経伝達物質の受容まで、非常に多様な役割を担っています。しかし、問題は多くの鍵穴候補に対して、結合するはずの鍵がまったくわからなかったことです。
ひろ 鍵穴は見つかったけど、合う鍵がわからない状態だったと。
柳沢 こうした相手のわからない鍵穴を、「みなしご受容体(オーファン受容体)」と呼んでいました。このみなしご受容体の相手となる鍵を見つければ、未知の細胞間コミュニケーション経路が発見できるかもしれないと考えたのが研究の出発点です。
ひろ それで、どうやって未知の鍵を探したんですか?
柳沢 まず、みなしご受容体の遺伝子を培養細胞に入れて受容体を作らせます。これが「検出器(ディテクター)」になります。そして、対応する鍵が来て鍵穴に結合すれば、シグナルが出るようにしておきます。
ひろ でも、見つける鍵候補はどう準備したんですか? 何百種類も試すのは大変そうですけど。
柳沢 そこが工夫のしどころでした。既知の物質では新発見になりにくい。そこで、まずネズミや牛などの脳をすり潰して抽出した未知の物質も含む「ごった煮スープ」を用意しました。その抽出液を100個ほどの画分(混合物質を成分に分けること)にします。そして、その100個の画分を特定の鍵穴を持つ細胞にひとつずつ順番に振りかけていくんです。
ひろ 地道な作業ですね(笑)。
柳沢 そうなんですよ。「100個の画分×何十種類の受容体」というマトリックスで、どの組み合わせで反応が起こるか、しらみ潰しに探しました。すると幸運なことにプロジェクト開始からわずか数ヵ月で、特定のみなしご受容体に非常に強いシグナルを引き起こす画分が見つかったんです。
ひろ その物質の正体ってなんだったんですか?
柳沢 質量分析計で分析した結果、アミノ酸が約30個つながったまったく新しい「ペプチド」であることが判明しました。ペプチドはいわばミニチュアのタンパク質です。そのアミノ酸配列は既知のどの物質とも異なっていました。「これは新しい脳内物質とその受容体を発見したぞ」とチーム一同、非常に興奮しましたね。
ひろ 未知の鍵と鍵穴がついにわかったと。でも、その時点で機能はまだ不明だったんですよね?
柳沢 ええ。あくまで分子レベルの関係性が見つかっただけで、生体内での役割はまったく不明でした。ただ、鍵も鍵穴も脳に存在することはわかりました。そして、次にこのペプチドが脳のどこで作られているのかを調べました。すると驚いたことに脳の中でも非常に限られた領域である「視床下部のごく一部の神経細胞」だけで作られていたのです。
ひろ 視床下部は本能的な行動や自律機能をつかさどる中枢ですよね?
柳沢 そうです。生命維持に不可欠な非常に重要な役割を担っています。「体温調節」「血圧・心拍制御」「ホルモン分泌」「食欲や睡眠・覚醒」などをコントロールします。その視床下部の中でも、特に「外側野」と呼ばれる領域のごく限られた神経細胞だけが、このペプチドを作っていました。当時の神経解剖学の教科書を調べると、この外側視床下部は古くから「摂食中枢」、つまり食欲の制御に深く関わることが知られていたんです。
ひろ ほう、食欲ですか。
柳沢 当時、外側視床下部を破壊された動物は食欲を失い、餓死することもあるという報告がありました。つまり食欲を感じたり摂食行動を起こしたりするセンターだと考えられていたわけです。それで「新しい脳内物質は食欲に関係しているかもしれない」と興奮しました。当時、食欲制御メカニズムの解明は大きな課題でしたから。
ひろ 肥満や生活習慣病が問題になっていたわけですもんね。
柳沢 で、発見した鍵穴であるペプチドを実験用ネズミの脳内に直接注射すると、注射後30分から1時間ほどでネズミが普段より明らかにたくさん餌を食べるようになったんです。さらに、ネズミを一時的に絶食させて空腹状態にすると、このペプチドの設計図であるmRNAの量が脳内で増加することもわかりました。つまり、空腹になるとこのペプチドの生産量が増えるということです。
ひろ 投与すると食べ、空腹だと作られる。これは食欲を増進する物質と考えてよさそうですね。
柳沢 ええ。それで、これは大発見だということで論文にまとめ、ギリシャ語で「食欲」を意味する「orexis」にちなんで「オレキシン(Orexin)」と命名したんです。
ひろ でも、今ではオレキシンはもっぱら「睡眠」に関わる物質として知られていますよね?
柳沢 そこが次の大きな転換点です。ある物質の機能を本当に知るには「与えたらどうなるか」だけでなく、「なくなったらどうなるか」を見る逆のアプローチが重要です。そこで私たちはオレキシンをまったく作れないマウスの作製に着手しました。
ひろ オレキシンが食欲増進物質なら、オレキシンを作れないマウスは食欲が低下して痩せるだろうと予想されますよね?
柳沢 そのとおりです。「食べる量が減るか」「体重が減るか」「高脂肪食でも太りにくいのではないか」と期待していました。ところが、毎日マウスの体重と摂食量を測定し、観察を続けた私たちを待っていたのは、予想を完全に裏切るまったく予期せぬ結果でした。それは「絶望」と言ってもいいほどのものでした。
ひろ 絶望ですか!? すみません、文字数の関係で今号はここまでみたいです(笑)。次回、続きを聞かせてください!
柳沢 はい(笑)。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■柳沢正史(Masashi YANAGISAWA)
1960年生まれ、東京都出身。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長・教授。1998年に睡眠・覚醒を制御する物質「オレキシン」を発見。監修した本に『今さら聞けない 睡眠の超基本』(朝日新聞出版)などがある
構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾
記事提供元:週プレNEWS
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