漫画家・小田原ドラゴンが語る「初代担当編集者」【連載第10回】
小田原ドラゴン(おだわら・どらごん) 1970年、兵庫県生まれ。唯一無二の天才すぎる漫画家。『コギャル寿司』で第47回文藝春秋漫画賞受賞。代表作に『おやすみなさい』、ドラマ化された『チェリーナイツ』など。最新作に『今夜は車内でおやすみなさい。』
24年9月から週プレNEWS(集英社)でスタートした小田原ドラゴン渾身の新作漫画『堀田エボリューション』。果たして小田原ドラゴンという奇才はどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのか。ジックリ語っていきます。
新連載第10回は初めての担当編集者についてのお話です。
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98年3月。ヤンマガ(週刊ヤングマガジン・講談社)で、拙作『おやすみなさい。』(全8巻)の週刊連載が始まりました。
週刊連載を軌道に乗せられたのは初代担当のMさん抜きには語れません。いや、しがない高卒フリーターの僕を拾ってくれた人生の恩人です。冗談抜きに漫画家として30年近くやれたのはMさんのおかげ。ちなみに当時のMさんは30代だったと思います。
初めてふたりで打ち合わせを兼ねて食事をしたのは1997年12月です。場所は東京・池袋。僕が自宅兼仕事場探しのため上京したタイミングでした。もちろん、人生初の週刊連載(「おやすみなさい。」)に全力で立ち向かうためです。
Mさんに会うのは三宮(兵庫県神戸市の繁華街)で顔合わせをして以来です。僕のことを覚えているのか不安を抱きながら、池袋駅前に着き、わが目を疑いました。20代の若い男女が身を寄せ合い、途方に暮れた顔を浮かべ、地べたに座り込んでいたからです。僕には、その男女がホームレスのように見えました。
兵庫県では目にしたことのない光景です。ふたりから目が離せなくなった僕を見つけたMさんは、淡々とした感じでこう言いました。
「アレ、未来のキミの姿だから」
僕が身を投じようとしていたのは、精鋭が集う過酷な戦場(ヤンマガ)です。そこで僕はサバイブしなければいけない。戦いの備えを怠れば即、詰む世界です。正直、そのときは、なぜ希望に胸を膨らます若者にわざわざ冷や水を浴びせるのか理解に苦しみましたが(笑)、今ならMさんが、僕が浮つかないよう、愛ある喝を入れてくれたのだとわかります。
実際、ヤンマガの交流会へ行って驚きました。会う漫画家全員、本当にみんなクセが強く変人だらけ。果たして僕みたいな普通の感覚を持つ、ごくまともな人間がココ(ヤンマガ)でサバイブできるか不安になったのを今でも覚えています。
飲み屋でそんな悩みを吐露すると、Mさんは僕にこんな言葉を与えてくれました。
「この仕事で大きく売れなくてもいい。40代になってもこの仕事を続けられているのが幸せだと思う」
98年の年末。どうにかこうにか週刊連載をこなせた僕は、Mさんに連れられて、人生初のファッションヘルスを体験しました。
事を終え、ふたりで台湾料理屋へ。そこで今も忘れぬ事件が起きました。
僕は店の女のコから「挿れていいよ」とささやかれたのです。一方、Mさんは〝通常サービス〟だったようで......僕が女のコからささやかれた言葉を何度も口にしていると、Mさんはバーンと机を叩きこう叫んだのです。
「調子に乗ってんじゃねーよ!」
Mさんが怒ったのは、後にも先にもこのときだけでした(笑)。
そんなMさんですが、若い頃は相当な〝暴れん棒〟だったらしく、Mさんが担当する別の漫画家がそのエピソードを漫画にしていましたね(苦笑)。
ただ、出会いがあれば別れがあります。Mさんが僕の担当を外れたのです......。
《つづく》
『堀田エボリューション』(©小田原ドラゴン/集英社)は毎月第2/第4土曜日に更新。現在、全話無料配信中
記事提供元:週プレNEWS
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