希少な本簀栽培の抹茶に感動!ドイツ人が「碾茶」を学ぶ:世界!ニッポン行きたい人応援団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。
今回は、ドイツ人の来日の様子をお送りします。
【動画】希少な本簀栽培の抹茶に感動!ドイツ人が「碾茶」を学ぶ
紹介するのは、ドイツに住む抹茶を愛するフローラさん。
今や世界の共通言語となったニッポンの「抹茶」。飲むのはもちろん、アイスやチョコレート、ケーキなどの抹茶味としても高い人気を誇っています。その起源は800年以上前。臨済宗の開祖・栄西が広めたといわれ、当時は二日酔いを治す薬として飲まれていたとか。
紅茶や緑茶は茶葉を湯に浸して成分を抽出したものを飲むのに対し、抹茶は茶葉を挽いて、お湯に溶かしてそのまま飲むもの。そのため、茶葉に含まれる食物繊維やビタミンの多くを摂取でき、欧米では美と健康に良いスーパーフードとして注目されています。
フローラさんの部屋には、抹茶の他にも茶道具の数々や、お手製の茶室まで。幼い頃からニッポンの侍に興味を持っていたフローラさんは、侍が「闘茶」という遊びをしていたことを知り、飲んでみたいと思ったそう。
闘茶とは、鎌倉時代から武士などの間で流行した、お茶を飲んで産地を当てる遊び。ドイツで剣術道場に通うほど侍に興味を持っていたフローラさんは、憧れの侍が愛した抹茶とはどんなものなのか知りたいと16年前から抹茶を飲み始め、虜に。
抹茶について語り出すと止まらないフローラさん。一番の夢は、京都の宇治に行くことで、「宇治で抹茶がどんな風に作られるか、一から学びたいんです」と願っています。とはいえ当時はコロナ禍だったため、ニッポンへの入国には制限が。
そこで、ご招待できないフローラさんの希望を叶えるため、2年前、スタッフが代わりに京都・宇治へ。抹茶の原料である碾茶を300年にわたって生産している「茶園清水屋」に協力していただきました。
十代目を務める“碾茶ブラザーズ”こと清水太嗣さん、康平さん兄弟と、九代目の父・幹央さんにフローラさんのVTRを見ていただくと、「抹茶が好きなのが伝わってきて嬉しい気持ちになりました」と幹央さん。
抹茶作りの工程を撮影させていただいたビデオレターをドイツへ。さらに後日、抹茶も送っていただきフローラさんは大感激! 「ニッポンに行けたら、清水さん一家と一緒に抹茶を飲んで、碾茶ブラザーズと一緒にお茶摘みもしたいです! それに、碾茶の工場へも行ってみたい!」と話していました。
あれから2年。コロナが5類に移行し、再び新茶の季節が来たので、フローラさんをニッポンにご招待! 念願の来日を果たしました。
向かったのは、高級抹茶の産地、京都府宇治市。650年ほど前、足利三代将軍・義満が「宇治七茗園」という茶園を作ったことから栽培が盛んに。徳川家光の時代には、宇治から江戸城まで新茶を運ぶ「お茶壺道中」が恒例となり、静岡と埼玉の狭山に並び、日本三大茶と呼ばれています。
早速、「清水屋」の碾茶ブラザーズの元へ。弟・康平さんと父・幹央さんは別の場所で作業中とのことで、兄・太嗣さんに茶畑を見せていただきます。
茶畑というとかまぼこ状のイメージですが、これは機械で茶葉を刈りとるのでこのような形に。対して「清水屋」の茶畑は、全て手で摘み取るため不揃いな形。この茶畑は一昨年、管理状態の良さを競う宇治市茶園品評会において、1等の京都府知事賞を受賞しています。
どのように抹茶が作られているのか教えていただくことに。まず行われるのが、覆下栽培。15世紀頃に宇治で始まったといわれ、寒冷紗という黒い布で茶園を覆い、太陽の光を遮る栽培方法です。
お茶の旨味成分であるテアニンは、日光が当たるとカテキンという渋みの成分に。そこで新芽が出る4月に覆いをかけ、旨味成分がより多く残るようにしています。
その新芽を摘み、蒸して乾燥させたものを碾茶といい、石臼で細かく挽いたものが抹茶。この日は、覆下栽培で育った新茶の収穫を行います。
全ての新芽は一枚一枚手摘み。機械で一気に刈り取ると、新芽が途中で切れるなど、古い葉が混ざって雑味が入る原因に。品質を守るため、300年前から続けられている方法です。
フローラさんも、生まれて初めての茶摘みを体験。摘むのは、4月に芽吹いた新芽だけ。太嗣さんによると新芽は硬くなっていくそうで、収穫できるのは新芽が柔らかい1カ月の間のみ。この期間は、総勢40人のお茶摘みさんと呼ばれる方が新芽を手で摘んでいきます。
茶摘みは、新芽だけを1日10時間近く摘む根気のいる作業。2時間ほど経ったところで摘んだ新芽を計ります。その重さは、お茶摘みさんたちへの報酬額に反映されるそう。
新人は1時間に1キロほどが目安だそうで、約30分新芽を摘んだフローラさんは0.78キロと好記録。一方、茶摘み歴20年のお茶摘みさんは、なんと6.82キロ。その重さにフローラさんはびっくり!
午後も茶摘みを続け、量り終わった新芽は光が当たらないようトラックに積み込み、碾茶を作る工場へ。新芽は摘んだ瞬間から酸化が始まるため、そのままにしておくと品質が劣化してしまうのです。
工場へ向かうと、幹央さんと康平さんが出迎えてくださいました。新芽の鮮度を落とさないよう、急いでコンテナに移して計量。約2時間で摘んだ新芽の重さは47.6キロ。「この中に私が摘んだ分も入っていると思うと光栄です」とフローラさん。
続いて蒸す作業へ。新芽を蒸して酸化を止めると同時に、香りを引き立たせます。その日の天候や気温によって新芽の状態は違うため、常に人が蒸し具合を確認し、温度を調整。きれいに蒸された状態のお茶は、鮮やかな緑に。
高温のままだと色や香りが悪くなってしまうので、次は散茶機と呼ばれる装置へ。風で吹き上げて茶葉を冷ますと同時に、重なり合った葉をバラバラにします。
バラバラになった茶葉が運ばれるのは碾茶炉。約180度に熱せられた炉の中でじっくり乾燥させ、香りと甘みを凝縮します。高温の炉がある工場内は「一番涼しいところで45度ぐらい」と太嗣さん。
乾燥させた新芽は、葉と茎に分けられます。茎だけを集めた茎茶は、爽やかで甘味があるのが特徴。これを焙煎すると茎ほうじ茶になり、石川県などで広く親しまれています。
新芽の旨みを碾茶に閉じ込め、その成分を損なわないようにじっくり石臼で挽くと、世界に名高い宇治抹茶の出来上がり。
翌日、案内していただいたのは、お茶摘みの時期はお休みしている清水屋直営の「伍町カフェ」。本簀栽培で育てた抹茶「あさひ」を点てていただきます。
実は昨日、フローラさんは本簀栽培を見学させていただきました。本簀栽培とは、藁とヨシを屋根に敷き詰めることで遮光する昔ながらの方法。「寒冷紗の下の『あさひ』とこっちでは全然違う」と太嗣さん。
光を一定方向に遮る寒冷紗に比べ、藁とヨシによる遮光は光が乱反射し、より多くの紫外線を遮ります。そのため、新芽には旨味成分のテアニンが多く蓄えられ美味しい抹茶に。
しかし、屋根を踏み外したら大変という理由もあり、続けるのは難しいのが現状。「清水屋」でも茶園の一角だけでしか栽培できない、希少なものなのです。
抹茶の飲み方は、茶碗に抹茶を入れて約70度のお湯を注ぎ、茶筌でかき混ぜるのが一般的。しかし、どうしてもダマになってしまい、本来の味を引き出すのは難しいもの。そこで、太嗣さんが美味しく簡単に飲める方法を教えてくださいました。
まず、抹茶にペットボトルのキャップ1杯分の水を入れ、茶筌でよく混ぜます。最初に水を入れて練ると、ダマになりにくいそう。ここに70度のお湯を入れて再びかき混ぜると泡が立ち、美しいコントラストに。しっかり泡立つと口当たりも良く、香りの広がり方も良くなります。希少な本簀栽培の抹茶を味わったフローラさんは「最高に美味しい!」と感動。
続いて、氷水で点てた抹茶も堪能します。抹茶の旨味のもとであるアミノ酸は、低温の方がより感じやすくなるため、冷たい水で点てると抹茶本来の香りや味が楽しめるのだとか。
さらに、昨日フローラさんが摘んだ碾茶を一晩じっくり水につけて抽出したお茶も。お茶摘みのシーズンが終わると碾茶は全部抹茶になるため、この季節だけのスペシャルなドリンクです。他にも抹茶クレープや、自家製抹茶チョコを挟んだクロワッサンに舌鼓を。
お土産として、一般には出回らない貴重な碾茶と本簀栽培の「あさひ」、フローラさんが摘んだ「さみどり」もいただき、「本当にありがとうございます! ドイツに帰ってから飲むのが本当に楽しみです!」と感謝を伝えました。
別れの時。清水さん一家に手紙を書いたフローラさんは、「2年越しに皆さんと会うことができ、本当に幸せな時間でした。皆さんと出会えたことは何にも変え難い人生の宝です。きっとまた会いましょう」と読み上げます。
「また来てください」と太嗣さん。再会を約束しました。
「茶園清水屋」の皆さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、奈良県生駒市高山町。良質な竹が広く自生していたことで、さまざまな茶道具が生産されてきました。中でも専門の茶筌師によって作られる「高山茶筅」は500年の歴史を持ち、茶筌として唯一、国の伝統的工芸品に指定されています。
その誕生は室町時代、それまでお茶は匙で混ぜられていましたが、茶道に相応しい道具として、高山城主の次男・高山宗砌が考案したとされ、製法は16名の家臣だけが受け継ぎました。
「本物の茶筌を作っているところに行ってみたいです」と希望していたフローラさん。熱意を伝えたところ、「久保駒吉商店」七代目の久保建裕さんが受け入れてくださいました。
久保さんは、現在、高山茶筌を製造している18軒の中で最年少。母・智美さん、妻・幸子さんの家族3人で作る茶筌の品質は高い評価を得ています。
早速、久保さんの茶筌を試したフローラさんは、「お茶を点てている時に、雲を混ぜているような軽い感覚がしました」と感想を。普段使っている茶筌は、もっと引っかかるような感じがすると話します。
抹茶を点てるのに欠かせない茶筌。先の曲がった茶筌で点てるときめ細かい泡が立ち、飲んだ時に苦味を緩和してまろやかな風味に。久保さんの茶筌は「味削り」と呼ばれる削り方で穂先に行くほど薄く削られ、点てる感触だけでなく味までも変えるそう。
久保さんの茶筌で点てた抹茶をいただいたフローラさんは、「泡立ちがとてもきめ細やかで、抹茶の甘味を強く感じました」。実はこの抹茶、フローラさんがいつも飲んでいるメーカーのものですが、泡立ちが全く違うことで別の味に感じたそう。
1本が1ミリ以下という極細の穂先で、抹茶の味を変えてしまう茶筌。その作り方を見せていただきます。
材料は、繊維が細やかで茶道具作りに適した淡竹(はちく)。約2カ月かけて冬場の寒風にさらし、蔵で2〜3年かけて水分を抜いたものを使います。亀裂や虫食いの跡があるものは使えないため、蔵にある約3000本のうち、使えるのは半分ほど。
選び抜いた竹を12センチに切断し、しなやかな穂先を作るため、硬い表皮の部分だけを剥いていきます。皮があると、茶筌を最後に曲げる時、外側が破れてしまうそう。
フローラさんも皮剥きに挑戦。最初は包丁が上手く使えませんでしたが、徐々に削れるように。深く削ってしまったところは久保さんが手直ししてくださいました。
次に、竹が繊維にそって割れる性質を利用し、穂先の部分を作ります。手に伝わる感覚で割け具合を調整しながら、16に割った竹を外側に開き、さらに手で折っていきます。しっかり折らないと、お茶を点てた後に茶筅がしぼむ原因に。
「全て手の感覚で感じて作業しないと」と久保さん。包丁と指先の感覚だけでそのほとんどを行うことから「指頭(しとう)芸術」ともいわれています。
外側に開いた1本1本の穂先に包丁を入れ、皮と身を分け、根元まで割いたら皮の部分を残して中身を取り除きます。こうして、ものの30分で茶筌の原型が出来上がり。割いた皮は、ほぼ同じ厚みです。
続いて、茶筌の最大の特徴である、滑らかな泡を産む160本の穂先を作ります。一片がおよそ4ミリの穂先を8等分していく「小割り」という作業には、茶筌の完成を決定づける繊細な技が。
太い方は0.4ミリ、細い方は0.1ミリに分割し、切れ目から指で竹を割いていきます。160本の穂先に分かれた先端を見ると、太い穂と細い穂が交互に並んでおり、太い穂は外側の「上がり穂」、細い穂は芯の部分の「下がり穂」になります。この2つが対流を作ることで抹茶を攪拌し、きめ細かい泡に。
細く割いた穂先をまとめるため、湯に5分ほどつけたら、抹茶の味を最も左右するといわれる重要な工程「味削り」へ。穂先を数十本まとめ、先に行くほど薄くなるように削っていきます。包丁が透けるほど薄く削ることで穂先は適度な弾力を持ち、きめ細かい泡立ちを作り出すのです。
削り終えた穂先は、包丁の背でしごいて内側に曲げます。お茶を混ぜる性能はもちろん、泡立ちもより良くなるそう。
作業の後は、久保家の定番メニュー、串カツで歓迎会。近くの山で採れたたけのこの串カツは、特製の抹茶塩でいただきます。ご家族の皆さんとも話が弾み、楽しいひとときを過ごしました。
味削りを終えた茶筌、お次は妻の幸子さんが面取りを行います。太く割った上がり穂の角を削る作業で、幸子さんによれば、面取りをすると、お茶を点てた時に抹茶がつきにくくなるとのこと。
全ての面取りを終え、続いて行うのが下編み。細い下がり穂を内側に押し込み、太い上がり穂だけを、2本の木綿糸を使って交互に編み込んでいきます。
穂の根本を外側に折り曲げながら編むことで癖をつけ、茶筌特有の外に開いた形に。しかし、強く折り曲げると穂は折れ、逆に弱いと内側に戻ってしまいます。1本でも欠ければ、これまでの作業は全て台無しになってしまうのです。
下編みの後は、上がり穂を固定するために、上編みを。フローラさんも、幸子さんの指導を受けながら体験させていただきました。
下編みと上編みの糸を寄せて整え、ヘラで内側に残った下がり穂をまとめたら、いよいよ仕上げの工程へ。久保さんの母・智美さんがヘラを使い、歪んだ穂を1本1本丁寧に修正し、高山茶筌が完成!
フローラさんは美しい茶筌を眺め「見ているだけで喜びを感じます。抹茶もきっとこの茶筌で混ぜられたら絶対に嬉しいはずです!」と話しました。
別れの時。久保家の皆さんに手紙を書いたフローラさんは、「本当に大変な仕事だということを実感しました。茶筌は私の中でただ抹茶を混ぜるだけの道具ではなくなり、特別なものになりました」と読み上げます。
すると、久保さんから茶道具一式と、幸子さんがドイツの国旗カラーで編んでくださった茶筌のプレゼントが! 大感激のフローラさんに「これからも日本の抹茶をよろしくお願いします」と久保さん。フローラさんも「ベストを尽くします!」と伝えました。
「久保駒吉商店」の皆さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、栃木県佐野市。この地で作られる「天命釜」で沸かしたお湯で抹茶を点てると、味が格段に美味しくなるそう。ニッポンの茶釜を見たいというフローラさんの熱意を伝えたところ、創業178年の「若林鋳造所」の皆さんが受け入れてくださることに。
次期六代目の鋳物師・若林美延さんは、佐野に1000年伝わる鋳物作りを今に受け継ぎ、千利休が使用したといわれる四方釜を修復。五代目の父・秀真さんは、京都・三千院の鐘を製作するなど、親子で佐野を代表する職人です。
早速、釜を見せていただきます。天命釜の特徴は荒れた肌。野趣に富んだ素朴な作風として、茶人はもとより名だたる武将も愛したといいます。
豊臣秀吉が好んで使ったとされる、天命釜の代表的な形の一つが「責紐釜(せめひもがま)」。釜を上げ下ろしする際に取っ手の金輪を通す鐶付に紐をかけ、蓋を縛れるようになっています。その理由は、毒を盛られないため。紐を切ってから中のお湯を使ったそう。
続いて作業場へ。普段仕上げを行っている部屋に案内していただくと、室町時代に作られた天命釜が。錆びて水漏れしていましたが、美延さんが修復したのです。フローラさんは「実際に使われている様子を見ることができてすごく光栄です!」と感動。
この室町時代の茶釜と、ポットで沸かしたお湯を飲み比べて当てるクイズをすると、フローラさんは見事大正解! ポットのお湯は何も味がせず、茶釜のお湯はミネラルを感じる味だったそう。
茶釜の鉄は、水に含まれるカルキなどの不純物を吸着。そのお湯で抹茶を点てると、口当たりが柔らかくまろやかな味わいになるとか。
ここで、普段は見せない釜作りの工程を特別に見せていただくことに。実は、作業場の足元には、釜を作るための鋳型の材料になる川砂が深さ2メートル近くも。そのため、靴を履き替えてから作業場へ入ります。この川砂は、創業当時のものだそう。
まずは上型と尻型という2つの砂の型、さらに中子という釜の内側部分を作ります。それを合わせ、尻型の方から鉄を流すと釜の形に。
型を壊して取り出すため、鋳型として使えるのは一度きり。「若林鋳造所」では、その型を作業場の足元に戻し、ふるいにかけて再利用しています。
鋳型作りを見せていただくと、取り出したのは茶釜の木型。この木型の軸を固定して型を回し、余分な砂を落としながら徐々に形を作っていきます。
焼いた時の割れを防ぐため、最初は荒めの砂、その後だんだんと細かい砂を使用。接着のために溶いた粘土を塗り、砂を乗せて型を回します。これを繰り返すこと1時間。乾かした後、さらに細かい砂を塗る作業を計4回行い、鋳型が完成!
この後、砂を使って模様をつけます。天命釜の表面の凹凸は、実は職人自らがつけたもの。砂をつけ過ぎず、自然な風合いにするのも職人の腕。
こうしてできた鋳型に鉄を流し、できた釜に着色をして仕上げたら完成です。
フローラさんが「天命釜は沢山の手間暇をかけて作っていることがよく分かりました」と伝えると、美延さんは「ご理解してくださって嬉しいです」と笑顔に。
最後に、美延さんの母・典子さんが天命釜のお湯で抹茶を点ててくださいました。茶筌は生駒のものを使用。フローラさんは「このような歴史のある茶釜でお茶をいただけて本当に感激しています」と伝えました。
「若林鋳造所」の皆さん、本当にありがとうございました!
抹茶を通じてさまざまな出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にフローラさんは、「ニッポンに来られたことを感謝しています。ドイツに帰ったら、ニッポンで学んだことを活かして抹茶を点てるのが楽しみです!」と語ってくれました。
フローラさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼ニッポンの“そうめん”が大好き!
“そうめん”を自ら作るアメリカのミランダさんを約7年前ご招待! 天然真鯛の漁獲量兵庫県一位を誇る家島諸島で“鯛そうめん”をいただく。そして熊本県南関町で約250年続く「雪の糸素麺 猿渡製麺所」へ。手作業で0.2ミリの超極細そうめんにする職人技を目の当たりに!
あれから7年…お世話になった製麺所は…いま当時教わった職人の姿はなく10代目として伝統を継ぐ孫の姿が!
▼ニッポンで“足袋”作りを学びたい!
ミシンで“足袋”を作り続けるアメリカのアマンダさんを約6年前ご招待!東京・四谷の「むさしや」へ。3代目・大橋信彦さんのもとで抜群のフィット感を生む“足袋”づくりを学ぶ。中でも、最難関のつま先の縫製には膨らみをもたすための職人の細やかな心遣いが!
あれから約6年…大橋さんからアマンダさんに伝えたい事があると中継を結ぶことに! そこで思いもよらない報告が…。
今回は、ドイツ人の来日の様子をお送りします。
【動画】希少な本簀栽培の抹茶に感動!ドイツ人が「碾茶」を学ぶ
京都で300年続く茶農家でお茶摘みを体験
紹介するのは、ドイツに住む抹茶を愛するフローラさん。
今や世界の共通言語となったニッポンの「抹茶」。飲むのはもちろん、アイスやチョコレート、ケーキなどの抹茶味としても高い人気を誇っています。その起源は800年以上前。臨済宗の開祖・栄西が広めたといわれ、当時は二日酔いを治す薬として飲まれていたとか。
紅茶や緑茶は茶葉を湯に浸して成分を抽出したものを飲むのに対し、抹茶は茶葉を挽いて、お湯に溶かしてそのまま飲むもの。そのため、茶葉に含まれる食物繊維やビタミンの多くを摂取でき、欧米では美と健康に良いスーパーフードとして注目されています。
フローラさんの部屋には、抹茶の他にも茶道具の数々や、お手製の茶室まで。幼い頃からニッポンの侍に興味を持っていたフローラさんは、侍が「闘茶」という遊びをしていたことを知り、飲んでみたいと思ったそう。
闘茶とは、鎌倉時代から武士などの間で流行した、お茶を飲んで産地を当てる遊び。ドイツで剣術道場に通うほど侍に興味を持っていたフローラさんは、憧れの侍が愛した抹茶とはどんなものなのか知りたいと16年前から抹茶を飲み始め、虜に。
抹茶について語り出すと止まらないフローラさん。一番の夢は、京都の宇治に行くことで、「宇治で抹茶がどんな風に作られるか、一から学びたいんです」と願っています。とはいえ当時はコロナ禍だったため、ニッポンへの入国には制限が。
そこで、ご招待できないフローラさんの希望を叶えるため、2年前、スタッフが代わりに京都・宇治へ。抹茶の原料である碾茶を300年にわたって生産している「茶園清水屋」に協力していただきました。
十代目を務める“碾茶ブラザーズ”こと清水太嗣さん、康平さん兄弟と、九代目の父・幹央さんにフローラさんのVTRを見ていただくと、「抹茶が好きなのが伝わってきて嬉しい気持ちになりました」と幹央さん。
抹茶作りの工程を撮影させていただいたビデオレターをドイツへ。さらに後日、抹茶も送っていただきフローラさんは大感激! 「ニッポンに行けたら、清水さん一家と一緒に抹茶を飲んで、碾茶ブラザーズと一緒にお茶摘みもしたいです! それに、碾茶の工場へも行ってみたい!」と話していました。
あれから2年。コロナが5類に移行し、再び新茶の季節が来たので、フローラさんをニッポンにご招待! 念願の来日を果たしました。
向かったのは、高級抹茶の産地、京都府宇治市。650年ほど前、足利三代将軍・義満が「宇治七茗園」という茶園を作ったことから栽培が盛んに。徳川家光の時代には、宇治から江戸城まで新茶を運ぶ「お茶壺道中」が恒例となり、静岡と埼玉の狭山に並び、日本三大茶と呼ばれています。
早速、「清水屋」の碾茶ブラザーズの元へ。弟・康平さんと父・幹央さんは別の場所で作業中とのことで、兄・太嗣さんに茶畑を見せていただきます。
茶畑というとかまぼこ状のイメージですが、これは機械で茶葉を刈りとるのでこのような形に。対して「清水屋」の茶畑は、全て手で摘み取るため不揃いな形。この茶畑は一昨年、管理状態の良さを競う宇治市茶園品評会において、1等の京都府知事賞を受賞しています。
どのように抹茶が作られているのか教えていただくことに。まず行われるのが、覆下栽培。15世紀頃に宇治で始まったといわれ、寒冷紗という黒い布で茶園を覆い、太陽の光を遮る栽培方法です。
お茶の旨味成分であるテアニンは、日光が当たるとカテキンという渋みの成分に。そこで新芽が出る4月に覆いをかけ、旨味成分がより多く残るようにしています。
その新芽を摘み、蒸して乾燥させたものを碾茶といい、石臼で細かく挽いたものが抹茶。この日は、覆下栽培で育った新茶の収穫を行います。
全ての新芽は一枚一枚手摘み。機械で一気に刈り取ると、新芽が途中で切れるなど、古い葉が混ざって雑味が入る原因に。品質を守るため、300年前から続けられている方法です。
フローラさんも、生まれて初めての茶摘みを体験。摘むのは、4月に芽吹いた新芽だけ。太嗣さんによると新芽は硬くなっていくそうで、収穫できるのは新芽が柔らかい1カ月の間のみ。この期間は、総勢40人のお茶摘みさんと呼ばれる方が新芽を手で摘んでいきます。
茶摘みは、新芽だけを1日10時間近く摘む根気のいる作業。2時間ほど経ったところで摘んだ新芽を計ります。その重さは、お茶摘みさんたちへの報酬額に反映されるそう。
新人は1時間に1キロほどが目安だそうで、約30分新芽を摘んだフローラさんは0.78キロと好記録。一方、茶摘み歴20年のお茶摘みさんは、なんと6.82キロ。その重さにフローラさんはびっくり!
午後も茶摘みを続け、量り終わった新芽は光が当たらないようトラックに積み込み、碾茶を作る工場へ。新芽は摘んだ瞬間から酸化が始まるため、そのままにしておくと品質が劣化してしまうのです。
工場へ向かうと、幹央さんと康平さんが出迎えてくださいました。新芽の鮮度を落とさないよう、急いでコンテナに移して計量。約2時間で摘んだ新芽の重さは47.6キロ。「この中に私が摘んだ分も入っていると思うと光栄です」とフローラさん。
続いて蒸す作業へ。新芽を蒸して酸化を止めると同時に、香りを引き立たせます。その日の天候や気温によって新芽の状態は違うため、常に人が蒸し具合を確認し、温度を調整。きれいに蒸された状態のお茶は、鮮やかな緑に。
高温のままだと色や香りが悪くなってしまうので、次は散茶機と呼ばれる装置へ。風で吹き上げて茶葉を冷ますと同時に、重なり合った葉をバラバラにします。
バラバラになった茶葉が運ばれるのは碾茶炉。約180度に熱せられた炉の中でじっくり乾燥させ、香りと甘みを凝縮します。高温の炉がある工場内は「一番涼しいところで45度ぐらい」と太嗣さん。
乾燥させた新芽は、葉と茎に分けられます。茎だけを集めた茎茶は、爽やかで甘味があるのが特徴。これを焙煎すると茎ほうじ茶になり、石川県などで広く親しまれています。
新芽の旨みを碾茶に閉じ込め、その成分を損なわないようにじっくり石臼で挽くと、世界に名高い宇治抹茶の出来上がり。
翌日、案内していただいたのは、お茶摘みの時期はお休みしている清水屋直営の「伍町カフェ」。本簀栽培で育てた抹茶「あさひ」を点てていただきます。
実は昨日、フローラさんは本簀栽培を見学させていただきました。本簀栽培とは、藁とヨシを屋根に敷き詰めることで遮光する昔ながらの方法。「寒冷紗の下の『あさひ』とこっちでは全然違う」と太嗣さん。
光を一定方向に遮る寒冷紗に比べ、藁とヨシによる遮光は光が乱反射し、より多くの紫外線を遮ります。そのため、新芽には旨味成分のテアニンが多く蓄えられ美味しい抹茶に。
しかし、屋根を踏み外したら大変という理由もあり、続けるのは難しいのが現状。「清水屋」でも茶園の一角だけでしか栽培できない、希少なものなのです。
抹茶の飲み方は、茶碗に抹茶を入れて約70度のお湯を注ぎ、茶筌でかき混ぜるのが一般的。しかし、どうしてもダマになってしまい、本来の味を引き出すのは難しいもの。そこで、太嗣さんが美味しく簡単に飲める方法を教えてくださいました。
まず、抹茶にペットボトルのキャップ1杯分の水を入れ、茶筌でよく混ぜます。最初に水を入れて練ると、ダマになりにくいそう。ここに70度のお湯を入れて再びかき混ぜると泡が立ち、美しいコントラストに。しっかり泡立つと口当たりも良く、香りの広がり方も良くなります。希少な本簀栽培の抹茶を味わったフローラさんは「最高に美味しい!」と感動。
続いて、氷水で点てた抹茶も堪能します。抹茶の旨味のもとであるアミノ酸は、低温の方がより感じやすくなるため、冷たい水で点てると抹茶本来の香りや味が楽しめるのだとか。
さらに、昨日フローラさんが摘んだ碾茶を一晩じっくり水につけて抽出したお茶も。お茶摘みのシーズンが終わると碾茶は全部抹茶になるため、この季節だけのスペシャルなドリンクです。他にも抹茶クレープや、自家製抹茶チョコを挟んだクロワッサンに舌鼓を。
お土産として、一般には出回らない貴重な碾茶と本簀栽培の「あさひ」、フローラさんが摘んだ「さみどり」もいただき、「本当にありがとうございます! ドイツに帰ってから飲むのが本当に楽しみです!」と感謝を伝えました。
別れの時。清水さん一家に手紙を書いたフローラさんは、「2年越しに皆さんと会うことができ、本当に幸せな時間でした。皆さんと出会えたことは何にも変え難い人生の宝です。きっとまた会いましょう」と読み上げます。
「また来てください」と太嗣さん。再会を約束しました。
「茶園清水屋」の皆さん、本当にありがとうございました!
極細の穂先を持つ「高山茶筌」と戦国武将も愛した「天命釜」
続いて向かったのは、奈良県生駒市高山町。良質な竹が広く自生していたことで、さまざまな茶道具が生産されてきました。中でも専門の茶筌師によって作られる「高山茶筅」は500年の歴史を持ち、茶筌として唯一、国の伝統的工芸品に指定されています。
その誕生は室町時代、それまでお茶は匙で混ぜられていましたが、茶道に相応しい道具として、高山城主の次男・高山宗砌が考案したとされ、製法は16名の家臣だけが受け継ぎました。
「本物の茶筌を作っているところに行ってみたいです」と希望していたフローラさん。熱意を伝えたところ、「久保駒吉商店」七代目の久保建裕さんが受け入れてくださいました。
久保さんは、現在、高山茶筌を製造している18軒の中で最年少。母・智美さん、妻・幸子さんの家族3人で作る茶筌の品質は高い評価を得ています。
早速、久保さんの茶筌を試したフローラさんは、「お茶を点てている時に、雲を混ぜているような軽い感覚がしました」と感想を。普段使っている茶筌は、もっと引っかかるような感じがすると話します。
抹茶を点てるのに欠かせない茶筌。先の曲がった茶筌で点てるときめ細かい泡が立ち、飲んだ時に苦味を緩和してまろやかな風味に。久保さんの茶筌は「味削り」と呼ばれる削り方で穂先に行くほど薄く削られ、点てる感触だけでなく味までも変えるそう。
久保さんの茶筌で点てた抹茶をいただいたフローラさんは、「泡立ちがとてもきめ細やかで、抹茶の甘味を強く感じました」。実はこの抹茶、フローラさんがいつも飲んでいるメーカーのものですが、泡立ちが全く違うことで別の味に感じたそう。
1本が1ミリ以下という極細の穂先で、抹茶の味を変えてしまう茶筌。その作り方を見せていただきます。
材料は、繊維が細やかで茶道具作りに適した淡竹(はちく)。約2カ月かけて冬場の寒風にさらし、蔵で2〜3年かけて水分を抜いたものを使います。亀裂や虫食いの跡があるものは使えないため、蔵にある約3000本のうち、使えるのは半分ほど。
選び抜いた竹を12センチに切断し、しなやかな穂先を作るため、硬い表皮の部分だけを剥いていきます。皮があると、茶筌を最後に曲げる時、外側が破れてしまうそう。
フローラさんも皮剥きに挑戦。最初は包丁が上手く使えませんでしたが、徐々に削れるように。深く削ってしまったところは久保さんが手直ししてくださいました。
次に、竹が繊維にそって割れる性質を利用し、穂先の部分を作ります。手に伝わる感覚で割け具合を調整しながら、16に割った竹を外側に開き、さらに手で折っていきます。しっかり折らないと、お茶を点てた後に茶筅がしぼむ原因に。
「全て手の感覚で感じて作業しないと」と久保さん。包丁と指先の感覚だけでそのほとんどを行うことから「指頭(しとう)芸術」ともいわれています。
外側に開いた1本1本の穂先に包丁を入れ、皮と身を分け、根元まで割いたら皮の部分を残して中身を取り除きます。こうして、ものの30分で茶筌の原型が出来上がり。割いた皮は、ほぼ同じ厚みです。
続いて、茶筌の最大の特徴である、滑らかな泡を産む160本の穂先を作ります。一片がおよそ4ミリの穂先を8等分していく「小割り」という作業には、茶筌の完成を決定づける繊細な技が。
太い方は0.4ミリ、細い方は0.1ミリに分割し、切れ目から指で竹を割いていきます。160本の穂先に分かれた先端を見ると、太い穂と細い穂が交互に並んでおり、太い穂は外側の「上がり穂」、細い穂は芯の部分の「下がり穂」になります。この2つが対流を作ることで抹茶を攪拌し、きめ細かい泡に。
細く割いた穂先をまとめるため、湯に5分ほどつけたら、抹茶の味を最も左右するといわれる重要な工程「味削り」へ。穂先を数十本まとめ、先に行くほど薄くなるように削っていきます。包丁が透けるほど薄く削ることで穂先は適度な弾力を持ち、きめ細かい泡立ちを作り出すのです。
削り終えた穂先は、包丁の背でしごいて内側に曲げます。お茶を混ぜる性能はもちろん、泡立ちもより良くなるそう。
作業の後は、久保家の定番メニュー、串カツで歓迎会。近くの山で採れたたけのこの串カツは、特製の抹茶塩でいただきます。ご家族の皆さんとも話が弾み、楽しいひとときを過ごしました。
味削りを終えた茶筌、お次は妻の幸子さんが面取りを行います。太く割った上がり穂の角を削る作業で、幸子さんによれば、面取りをすると、お茶を点てた時に抹茶がつきにくくなるとのこと。
全ての面取りを終え、続いて行うのが下編み。細い下がり穂を内側に押し込み、太い上がり穂だけを、2本の木綿糸を使って交互に編み込んでいきます。
穂の根本を外側に折り曲げながら編むことで癖をつけ、茶筌特有の外に開いた形に。しかし、強く折り曲げると穂は折れ、逆に弱いと内側に戻ってしまいます。1本でも欠ければ、これまでの作業は全て台無しになってしまうのです。
下編みの後は、上がり穂を固定するために、上編みを。フローラさんも、幸子さんの指導を受けながら体験させていただきました。
下編みと上編みの糸を寄せて整え、ヘラで内側に残った下がり穂をまとめたら、いよいよ仕上げの工程へ。久保さんの母・智美さんがヘラを使い、歪んだ穂を1本1本丁寧に修正し、高山茶筌が完成!
フローラさんは美しい茶筌を眺め「見ているだけで喜びを感じます。抹茶もきっとこの茶筌で混ぜられたら絶対に嬉しいはずです!」と話しました。
別れの時。久保家の皆さんに手紙を書いたフローラさんは、「本当に大変な仕事だということを実感しました。茶筌は私の中でただ抹茶を混ぜるだけの道具ではなくなり、特別なものになりました」と読み上げます。
すると、久保さんから茶道具一式と、幸子さんがドイツの国旗カラーで編んでくださった茶筌のプレゼントが! 大感激のフローラさんに「これからも日本の抹茶をよろしくお願いします」と久保さん。フローラさんも「ベストを尽くします!」と伝えました。
「久保駒吉商店」の皆さん、本当にありがとうございました!
続いて向かったのは、栃木県佐野市。この地で作られる「天命釜」で沸かしたお湯で抹茶を点てると、味が格段に美味しくなるそう。ニッポンの茶釜を見たいというフローラさんの熱意を伝えたところ、創業178年の「若林鋳造所」の皆さんが受け入れてくださることに。
次期六代目の鋳物師・若林美延さんは、佐野に1000年伝わる鋳物作りを今に受け継ぎ、千利休が使用したといわれる四方釜を修復。五代目の父・秀真さんは、京都・三千院の鐘を製作するなど、親子で佐野を代表する職人です。
早速、釜を見せていただきます。天命釜の特徴は荒れた肌。野趣に富んだ素朴な作風として、茶人はもとより名だたる武将も愛したといいます。
豊臣秀吉が好んで使ったとされる、天命釜の代表的な形の一つが「責紐釜(せめひもがま)」。釜を上げ下ろしする際に取っ手の金輪を通す鐶付に紐をかけ、蓋を縛れるようになっています。その理由は、毒を盛られないため。紐を切ってから中のお湯を使ったそう。
続いて作業場へ。普段仕上げを行っている部屋に案内していただくと、室町時代に作られた天命釜が。錆びて水漏れしていましたが、美延さんが修復したのです。フローラさんは「実際に使われている様子を見ることができてすごく光栄です!」と感動。
この室町時代の茶釜と、ポットで沸かしたお湯を飲み比べて当てるクイズをすると、フローラさんは見事大正解! ポットのお湯は何も味がせず、茶釜のお湯はミネラルを感じる味だったそう。
茶釜の鉄は、水に含まれるカルキなどの不純物を吸着。そのお湯で抹茶を点てると、口当たりが柔らかくまろやかな味わいになるとか。
ここで、普段は見せない釜作りの工程を特別に見せていただくことに。実は、作業場の足元には、釜を作るための鋳型の材料になる川砂が深さ2メートル近くも。そのため、靴を履き替えてから作業場へ入ります。この川砂は、創業当時のものだそう。
まずは上型と尻型という2つの砂の型、さらに中子という釜の内側部分を作ります。それを合わせ、尻型の方から鉄を流すと釜の形に。
型を壊して取り出すため、鋳型として使えるのは一度きり。「若林鋳造所」では、その型を作業場の足元に戻し、ふるいにかけて再利用しています。
鋳型作りを見せていただくと、取り出したのは茶釜の木型。この木型の軸を固定して型を回し、余分な砂を落としながら徐々に形を作っていきます。
焼いた時の割れを防ぐため、最初は荒めの砂、その後だんだんと細かい砂を使用。接着のために溶いた粘土を塗り、砂を乗せて型を回します。これを繰り返すこと1時間。乾かした後、さらに細かい砂を塗る作業を計4回行い、鋳型が完成!
この後、砂を使って模様をつけます。天命釜の表面の凹凸は、実は職人自らがつけたもの。砂をつけ過ぎず、自然な風合いにするのも職人の腕。
こうしてできた鋳型に鉄を流し、できた釜に着色をして仕上げたら完成です。
フローラさんが「天命釜は沢山の手間暇をかけて作っていることがよく分かりました」と伝えると、美延さんは「ご理解してくださって嬉しいです」と笑顔に。
最後に、美延さんの母・典子さんが天命釜のお湯で抹茶を点ててくださいました。茶筌は生駒のものを使用。フローラさんは「このような歴史のある茶釜でお茶をいただけて本当に感激しています」と伝えました。
「若林鋳造所」の皆さん、本当にありがとうございました!
抹茶を通じてさまざまな出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にフローラさんは、「ニッポンに来られたことを感謝しています。ドイツに帰ったら、ニッポンで学んだことを活かして抹茶を点てるのが楽しみです!」と語ってくれました。
フローラさん、またの来日をお待ちしています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼ニッポンの“そうめん”が大好き!
“そうめん”を自ら作るアメリカのミランダさんを約7年前ご招待! 天然真鯛の漁獲量兵庫県一位を誇る家島諸島で“鯛そうめん”をいただく。そして熊本県南関町で約250年続く「雪の糸素麺 猿渡製麺所」へ。手作業で0.2ミリの超極細そうめんにする職人技を目の当たりに!
あれから7年…お世話になった製麺所は…いま当時教わった職人の姿はなく10代目として伝統を継ぐ孫の姿が!
▼ニッポンで“足袋”作りを学びたい!
ミシンで“足袋”を作り続けるアメリカのアマンダさんを約6年前ご招待!東京・四谷の「むさしや」へ。3代目・大橋信彦さんのもとで抜群のフィット感を生む“足袋”づくりを学ぶ。中でも、最難関のつま先の縫製には膨らみをもたすための職人の細やかな心遣いが!
あれから約6年…大橋さんからアマンダさんに伝えたい事があると中継を結ぶことに! そこで思いもよらない報告が…。
記事提供元:テレ東プラス
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