M-1決勝で55点!優勝後も不遇の時期が続いたフットボールアワーの再挑戦
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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「あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分)1月29日(水)の放送は、フットボールアワー(岩尾望、後藤輝基)がご来店。「M-1グランプリ2003」で優勝しながら不遇の時期が!? 栄光と苦悩の歴史を語り尽くす!
【動画】M-1決勝で55点!優勝後も不遇の時期が続いたフットボールアワーの再挑戦
コンビ歴24年のフットボールアワー。芸人を目指すきっかけはダウンタウンで、2人で「酒も呑まずにずっとダウンタウンの話してた」というほど憧れていたという。
そんな憧れの松本人志が審査員を務める「M-1グランプリ」第1回目に出場。当時は、全国放送のゴールデンタイムで若手が漫才を披露する機会はなく、M-1は「芸人が生きる場所、そして辞める場所」として作られた大会だった。
今とは違って、スタジオのセットも暗く、審査員も笑いなく、出場する若手芸人もピリピリ。プレッシャーから後藤は「1日でタバコ1カートン吸った」、岩尾は「緊張して食べた弁当吐いた」そう。
そんな中、憧れの松本の前で、初めて漫才を披露したフットボールアワーだったが…
松本がつけた得点は、なんと55点! 当時は、今より採点が辛かったとはいえ、この点数に、後藤は「辞めなあかんねや」と思ったという。
しかし、すぐには辞められない状況だったため、どうせ劇場に出るならとネタの作り方を変え、2年後の「M-1グランプリ2003」で優勝。松本は「おもろい」、島田紳助も「あいつらがこんなんなったんか」と驚くほどの進化を評価され、後藤は「辞めんでよかったんや」と思ったそう。
M-1王者といえば、優勝した瞬間からオファーの電話が鳴り止まない! …というが、当時はそうでもなく、優勝後も不遇な日々が続く。東京でレギュラー番組が始まるも半年で終わり、コンビ間はギスギスした雰囲気に。
中でも、当時需要が多かった大人数のひな壇番組で苦戦。「前出なあかん!」と必死な後藤は、ここぞというタイミングで岩尾の背中を押すが、岩尾はグイグイいくタイプではなく、2人の間にギャップが生まれてしまう。
モヤモヤした日々を送る中、2005年のM-1でブラックマヨネーズの衝撃的な優勝を見て奮起。「V2誰も取ってないから」と、M-1に再挑戦したのだという。
2006年は決戦進出したが、チュートリアルが前代未聞の満票で優勝。自分たちが優勝した時とは違ってM-1の影響力が大きくなっていたこともあり、チュートリアルが大ブレイクするのを見て、後藤も「あれ?俺らの時ちゃうやん!」と。
今でこそMCに加え、「ゴッドタン」などでのイジられ役でも光る後藤だが、最初に注目されたのは岩尾で、後藤は「じゃない方芸人」だった。
当時は、ブサイクキャラでCMや番組に呼ばれていた岩尾だが、今は時代が変わり「全然言われへん」と。岩尾は、アインシュタイン稲田直樹、アンガールズ田中卓志と3人揃っているのに誰にもイジられないと、「言わんでええの?」と思ってしまうのだそう。
しかし、相方の後藤だけは「絶対やめへん」と宣言!
「『ハゲとるやないか!』は報告やから」という後藤に、一同爆笑!
この他、後藤からオードリーに報告したいことが!? オードリーの番組の影響で「生まれて初めてふるさと納税したわ」と後藤。さらに、地元での若林目撃情報も。岩尾は、かつて同じ"人見知り芸人"だった若林に思うことが!? 「TVer」、「ネットもテレ東」でチェック!
【動画】M-1決勝で55点!優勝後も不遇の時期が続いたフットボールアワーの再挑戦
「M-1」第1回目の苦い想い出
コンビ歴24年のフットボールアワー。芸人を目指すきっかけはダウンタウンで、2人で「酒も呑まずにずっとダウンタウンの話してた」というほど憧れていたという。
そんな憧れの松本人志が審査員を務める「M-1グランプリ」第1回目に出場。当時は、全国放送のゴールデンタイムで若手が漫才を披露する機会はなく、M-1は「芸人が生きる場所、そして辞める場所」として作られた大会だった。
今とは違って、スタジオのセットも暗く、審査員も笑いなく、出場する若手芸人もピリピリ。プレッシャーから後藤は「1日でタバコ1カートン吸った」、岩尾は「緊張して食べた弁当吐いた」そう。
そんな中、憧れの松本の前で、初めて漫才を披露したフットボールアワーだったが…
松本がつけた得点は、なんと55点! 当時は、今より採点が辛かったとはいえ、この点数に、後藤は「辞めなあかんねや」と思ったという。
しかし、すぐには辞められない状況だったため、どうせ劇場に出るならとネタの作り方を変え、2年後の「M-1グランプリ2003」で優勝。松本は「おもろい」、島田紳助も「あいつらがこんなんなったんか」と驚くほどの進化を評価され、後藤は「辞めんでよかったんや」と思ったそう。
M-1優勝後も不遇な日々!?
M-1王者といえば、優勝した瞬間からオファーの電話が鳴り止まない! …というが、当時はそうでもなく、優勝後も不遇な日々が続く。東京でレギュラー番組が始まるも半年で終わり、コンビ間はギスギスした雰囲気に。
中でも、当時需要が多かった大人数のひな壇番組で苦戦。「前出なあかん!」と必死な後藤は、ここぞというタイミングで岩尾の背中を押すが、岩尾はグイグイいくタイプではなく、2人の間にギャップが生まれてしまう。
モヤモヤした日々を送る中、2005年のM-1でブラックマヨネーズの衝撃的な優勝を見て奮起。「V2誰も取ってないから」と、M-1に再挑戦したのだという。
2006年は決戦進出したが、チュートリアルが前代未聞の満票で優勝。自分たちが優勝した時とは違ってM-1の影響力が大きくなっていたこともあり、チュートリアルが大ブレイクするのを見て、後藤も「あれ?俺らの時ちゃうやん!」と。
今でこそMCに加え、「ゴッドタン」などでのイジられ役でも光る後藤だが、最初に注目されたのは岩尾で、後藤は「じゃない方芸人」だった。
当時は、ブサイクキャラでCMや番組に呼ばれていた岩尾だが、今は時代が変わり「全然言われへん」と。岩尾は、アインシュタイン稲田直樹、アンガールズ田中卓志と3人揃っているのに誰にもイジられないと、「言わんでええの?」と思ってしまうのだそう。
しかし、相方の後藤だけは「絶対やめへん」と宣言!
「『ハゲとるやないか!』は報告やから」という後藤に、一同爆笑!
この他、後藤からオードリーに報告したいことが!? オードリーの番組の影響で「生まれて初めてふるさと納税したわ」と後藤。さらに、地元での若林目撃情報も。岩尾は、かつて同じ"人見知り芸人"だった若林に思うことが!? 「TVer」、「ネットもテレ東」でチェック!
記事提供元:テレ東プラス
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