「なぜ流行を知っている人はイケているのか?」 壮大な謎に挑んだ"鈍器本"の著者にせまる
「現代は文化ではなくお金がステイタスに直結する時代になった。本を書いたひとつの動機はそれに異を唱えたかったからです」と語るデーヴィッド・マークス氏
初めは毛嫌いされたビートルズの髪型「マッシュルームカット」は、どうやってクールになったのか? 90年代の日本を席巻したコギャルたちは、なぜガングロに進化したのだろうか?
文化にまつわるそんな変化を、人々の「ステイタス」への欲望に着目して解説した本が 『STATUS AND CULTURE 文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学――感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』(筑摩書房)だ。
まずアメリカで出版されたこの本だが、今年8月には邦訳され、一部で話題を呼んでいる。
著者のデーヴィッド・マークスさんはアメリカ生まれだが、実は東京在住。日本の音楽やファッションに詳しいマークスさんは、なぜ500ページを超える本を書こうと思ったのか?
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――文化にまつわるステイタスって、例えばどういうものがありますか?
デーヴィッド・マークス(以下マークス) 都内を中心に展開している紀ノ国屋という高級スーパーがありますが、あそこの紙袋がちょっとしたお土産を渡すときに使われたりしますよね。
それは「紀ノ国屋で買い物をすること」がステイタスで、それを他人に示したいから。僕は業務スーパーが大好きなんですが、業務スーパーのレジ袋はそういう使われ方をしないでしょう? 紀ノ国屋と業務スーパーにはステイタスの差があるからです。
――なるほど。文化的に平等といわれる日本にも事例があるんですね。
マークス もちろんです。日本にも社会階層はあるし、ちゃんと観察すれば、階層ごとの美学の差はすごく大きいですよ。
例えば都内の偏差値の高い高校には、特攻服を着て日の丸をつけたバイクに乗る少年はいませんよね。そういう子が多いのは、地方のやんちゃな学校です。それは階層によってステイタスの示し方は違うということです。
さらに重要なのは、ステイタスとカルチャーは常に変化し続けているということです。例えば、今話した暴走族との抗争が問題になったチーマーは、実はもともと東京の名門高校に通う若者たちでした。
でも、時代が下るにつれ、東京以外のやんちゃな若者たちも流入してきて、今のアンダーグラウンドなカルチャーに変わっていきます。
――文化は変化し続けるんですね。
マークス そうです。そして変化は必ずしも独立して起こるわけではなく、ほかのカルチャーの影響を受けたり、対抗したりした結果であることも多いんです。
例えば現代的な暴走族って、特攻服に日の丸や旭日旗がトレードマークですよね。別に政治信条が右翼的とは限らないのに、どうしてあんな格好なのか知ってますか?
――言われてみると不思議ですね......。なんでだろう?
マークス それは、当時の若者の間ではやっていた左翼的なヒッピー文化に対抗して、右翼的なモチーフを選んだからです。
ヒッピー自体が既存のカルチャーへのカウンターカルチャーだったわけですが、暴走族はさらにそのカウンターなんです。私はそれを「カウンター・カウンターカルチャー」と呼んでいますが、カルチャーやステイタスは、こうやって互いに関係しながら変化していくんです。
――本の中では、お金ではなく文化でステイタスを示す「文化資本」の価値が下がっていると書いていますね。
マークス 文化的なステイタスは主に情報ですが、ネットの普及で誰もが情報を手に入れられるようになったから、価値が下がったんです。昔だったら一部の人しか知らない音楽や文学の教養やコアな知識も、今はネットで検索したら簡単に手に入ってしまいますよね。
――でも、紀ノ国屋の紙袋みたいな文化的なステイタスは今もあるのでは?
マークス それもネットの影響で価値が下がっています。以前は紀ノ国屋に行ける都市部の人しか持てなかったからステイタスだったのですが、今はメルカリがあるから、地方の人でも簡単に買えますよね。すると、紀ノ国屋の紙袋の価値は下がっていきます。
その代わりに現代人のステイタスを示す手段として存在感を増しているのが、お金です。難しい本やアートの知識じゃなくて、「ニセコで泊まるならやっぱりハイアットだよね」とか「夕べ行った会員制のレストランがさあ......」みたいに、お金持ちじゃないとシグナルを示せない時代になってきているんですよ。
――それって成金じゃ......。
マークス そうかもしれません。でも、日本にいると見えにくいかもしれないけど、世界は変わったんです。僕がハーバード大学の学部を卒業した頃は、金融業界に行く学生は30代で年収1億円くらいを夢見ていましたが、今の若いエリートの感覚だとそんな収入では恥ずかしい。
フェイスブックを立ち上げて億万長者になったマーク・ザッカーバーグが出てきてからは「起業して何十億も稼がないとクールじゃない」という雰囲気になっています。
日本だって同じですよ。東大を出て官僚になったり伝統的な日本企業に就職するより、グーグルに入ったり起業したりして伝統的なエリートの何倍も稼いで虎ノ門ヒルズに住むほうがずっとクールだと若者は思っています。
逆に、教養を武器にする昔ながらの文化的エリートには全然存在感がない。今のステイタスは文化じゃなくてお金なんです。
――でも、マークスさんはそれでいいんですか?
マークス いいえ、まったくそうは思いません。こんなに分厚い本を書いた動機のひとつはそれです。お金ばかりがステイタスになっていて、金持ちじゃないとステイタスの競争に参加できない今のアメリカがいい国だとは思えないんですね。
何千万円もする超高級腕時計とか、アート性がゼロのポップスばかりヒットさせて大金持ちになっているミュージシャンとか、あんなものは文化と呼ぶに値しないですよ。
だから私は、文化資本の価値を復活させるべきだと思う。そしてそのためには、お金は稼げているけれど文化的にはダサいものに対して、ちゃんと「ダサい」と言うことが大事だと思いますね。
ダサいものにダサいと言い続けていれば、やがてそれがステイタス&カルチャーを変えていくはずですから。
●デーヴィッド・マークス(W. David Marx)
1978年生まれ、アメリカ出身。東京在住。2001年、ハーバード大学東洋学部卒業。2006年、慶應義塾大学大学院修士課程修了。日本の音楽、ファッション、アートについて『THE NEW YORKER』『POPEYE』『The New Republic』などで執筆。著書に『AMETORA――日本がアメリカンスタイルを救った物語』(DU BOOKS)がある
■『STATUS AND CULTURE 文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学―感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』
デーヴィッド・マークス 著、黒木章人 訳
筑摩書房 3630円(税込)
ページ数は500ページ超、参考文献リストも80ページあるという鈍器本。しかしそこで説かれていることは、極めてシンプルだ。ひとつは「なぜ時間が経過すると流行は変化するのか」、そしてもうひとつは「なぜ流行はステイタスに結びつくのか」である。社会学、歴史学、人類学、経済学など分野横断的な知見を総動員して、この壮大な謎に挑む。もともとは英語で書かれた訳書だが、ガングロなど日本の例も出てくる
取材・文/佐藤 喬
記事提供元:週プレNEWS
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