離婚、廃業、余命宣告…倒れて気づいた“家族への思い”2カ月後に再取材:家、ついて行ってイイですか?
更新日:
イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
注目の旬ニュースを編集部員が発信!「イチオシ」は株式会社オールアバウトが株式会社NTTドコモと共同で開設したレコメンドサイト。毎日トレンド情報をお届けしています。
9月29日(日)に放送した「家、ついて行ってイイですか?」(毎週日曜夜8時50分)では、東京・江戸川区で出会った、歯医者さんのジョニー(ひろし)さん(57)の家について行きました。
【動画】離婚、廃業、余命宣告…倒れて気づいた“家族への思い”2カ月後に再取材&衝撃!10円玉サイズのミニチュア食堂
夜の新小岩駅で、「地元で飲んでた」と粋に語るワイルドなジョニーさん。次はめっちゃうまいお蕎麦屋さんに行くとのことで取材交渉すると、「全然構わないよ」と快くOKしてくれました!
まずはおすすめのお蕎麦屋さんに寄り、「天抜き」を注文。するとテーブルには、麺なしの「天ぷら蕎麦」が到着しました。「天抜き」とは「天ぷら蕎麦」の蕎麦抜きを略した江戸っ子流メニュー。「つゆに浸ってクタクタになった、これが好きなのよ!」と箸を進める中、「俺、こう見えて歯医者さんなんだよ」と職業を明かします。
自宅へ向かう途中、「部屋も全部処分しちゃったから、住むとこねぇんだよ」と話し、案内してもらった先は、立派な歯科医院。
中に入ると一見普通の自宅のようですが、台所にはさまざまな治療器具が。ジョニーさんは院長室で寝泊まりしています。
診察室の電気をつけると、そこは完全に歯科医院で、多い時はスタッフが10人ほどいたそう。診察台などを設置し、歯科医院を作るためにかかった費用は5500万円! 実は5月いっぱいで閉院しています。
「ホントはお医者さんになりたかった。何か人の役に立てれば、人を助けられれば…そういう気持ちだけ。来られなくなったおじいちゃんおばあちゃんのとこに往診に行ってた。それはもう金儲けとかじゃなくて…往診に行くと喜ぶんだよね。自由気ままにずっとやってきた」と話すジョニーさん。1日に60人診ていたこともあると話します。
「コンビニエンスストアができるくらいの勢いで歯科医院を立ち上げたかった」。
若かりし頃は、とにかく仕事に励んだジョニーさん。しかし途中で後ろを振り返ると、「誰もついてきてない…」。
当時のジョニーさんは子どもの学校行事に全く参加しておらず、元妻に「あなたはどんどん病院を増やすことを目指していたかもしれないけど、私たちは普通の生活がしたかった」と言われたそう。「最後は結局ひとりぼっち…」と、離婚したことを明かします。
離婚した時、ジョニーさんは30代半ばでしたが、小学2年生、4年生、6年生の子どもを引き取ることに。「子育てと歯医者の両立は大変だったのでは?」と聞くと、「キツくはないよ。お母さんの方が大変。お母さんが酒飲んで子どもに飯食わせてたら、何言われる? でも俺は、酒飲んでても、“子どもに飯食わせて偉いね”って言われる」と、世の中のお母さんに対する深い理解を示します。
歯科医院の診療時間は夜9時まででしたが、ジョニーさんは育ち盛りの子どもたちのために、ご飯もしっかり用意。「(家事に追われて)何時に寝て、何時に起きたかとか考えたこともない」と振り返ります。離婚後は運動会も参観日も全て出席し、「次女が応援団長として大活躍した」と、誇らしげに話してくれました。
男手一つで3人の子どもを育てるのは簡単なことではありませんでしたが、四つ木生まれ四つ木育ちの仲間がみんなで助けてくれたそう。そしてジョニーさんは、家族が一番大事だと気づきます。
こうして子どもたちを育て上げた矢先、医師から「肝硬変で肝臓がんに移行する。早くて余命1年、長くて3年」と余命宣告を受けたジョニーさん。あれから5年経過していますが、「俺は俺でこれでいいんだよね…」とつぶやきます。
ジョニーさんはこれを機に、歯科医を辞めて沖縄への移住を決意。すでにそのための部屋も借りていました。
最後に「この光景(院内)を見て、寂しくないですか?」と聞くと、ここでジョニーさんの表情が一変。「27年やってきて全部が思い出だろ?」と涙声になり、「でもしょうがねぇだろ。辞めざるを得ないんだよ。だって俺も江戸っ子だぜ。中途半端なことやりたくねぇ」と本音を明かします。
そして、この取材から2カ月後、移住先の沖縄を訪ねると、驚きの変化を遂げたジョニーさんの姿が! 続きはぜひ、「TVer」「ネットもテレ東」で。
日曜夜8時50分からは「家、ついて行ってイイですか?」【タワマンに住むラーメン店主&衝撃リフォーム家族】を放送!
▼北千住の銭湯…亡き夫を想う悲しい嘘
▼家系ラーメン店主のタワマン下剋上物語
▼戦国時代を生き抜く!地下アイドル
▼肝っ玉母に届け!リフォーム大作戦
【動画】離婚、廃業、余命宣告…倒れて気づいた“家族への思い”2カ月後に再取材&衝撃!10円玉サイズのミニチュア食堂
夜の新小岩駅で、「地元で飲んでた」と粋に語るワイルドなジョニーさん。次はめっちゃうまいお蕎麦屋さんに行くとのことで取材交渉すると、「全然構わないよ」と快くOKしてくれました!
まずはおすすめのお蕎麦屋さんに寄り、「天抜き」を注文。するとテーブルには、麺なしの「天ぷら蕎麦」が到着しました。「天抜き」とは「天ぷら蕎麦」の蕎麦抜きを略した江戸っ子流メニュー。「つゆに浸ってクタクタになった、これが好きなのよ!」と箸を進める中、「俺、こう見えて歯医者さんなんだよ」と職業を明かします。
自宅へ向かう途中、「部屋も全部処分しちゃったから、住むとこねぇんだよ」と話し、案内してもらった先は、立派な歯科医院。
中に入ると一見普通の自宅のようですが、台所にはさまざまな治療器具が。ジョニーさんは院長室で寝泊まりしています。
診察室の電気をつけると、そこは完全に歯科医院で、多い時はスタッフが10人ほどいたそう。診察台などを設置し、歯科医院を作るためにかかった費用は5500万円! 実は5月いっぱいで閉院しています。
「ホントはお医者さんになりたかった。何か人の役に立てれば、人を助けられれば…そういう気持ちだけ。来られなくなったおじいちゃんおばあちゃんのとこに往診に行ってた。それはもう金儲けとかじゃなくて…往診に行くと喜ぶんだよね。自由気ままにずっとやってきた」と話すジョニーさん。1日に60人診ていたこともあると話します。
「コンビニエンスストアができるくらいの勢いで歯科医院を立ち上げたかった」。
若かりし頃は、とにかく仕事に励んだジョニーさん。しかし途中で後ろを振り返ると、「誰もついてきてない…」。
当時のジョニーさんは子どもの学校行事に全く参加しておらず、元妻に「あなたはどんどん病院を増やすことを目指していたかもしれないけど、私たちは普通の生活がしたかった」と言われたそう。「最後は結局ひとりぼっち…」と、離婚したことを明かします。
離婚した時、ジョニーさんは30代半ばでしたが、小学2年生、4年生、6年生の子どもを引き取ることに。「子育てと歯医者の両立は大変だったのでは?」と聞くと、「キツくはないよ。お母さんの方が大変。お母さんが酒飲んで子どもに飯食わせてたら、何言われる? でも俺は、酒飲んでても、“子どもに飯食わせて偉いね”って言われる」と、世の中のお母さんに対する深い理解を示します。
歯科医院の診療時間は夜9時まででしたが、ジョニーさんは育ち盛りの子どもたちのために、ご飯もしっかり用意。「(家事に追われて)何時に寝て、何時に起きたかとか考えたこともない」と振り返ります。離婚後は運動会も参観日も全て出席し、「次女が応援団長として大活躍した」と、誇らしげに話してくれました。
男手一つで3人の子どもを育てるのは簡単なことではありませんでしたが、四つ木生まれ四つ木育ちの仲間がみんなで助けてくれたそう。そしてジョニーさんは、家族が一番大事だと気づきます。
こうして子どもたちを育て上げた矢先、医師から「肝硬変で肝臓がんに移行する。早くて余命1年、長くて3年」と余命宣告を受けたジョニーさん。あれから5年経過していますが、「俺は俺でこれでいいんだよね…」とつぶやきます。
ジョニーさんはこれを機に、歯科医を辞めて沖縄への移住を決意。すでにそのための部屋も借りていました。
最後に「この光景(院内)を見て、寂しくないですか?」と聞くと、ここでジョニーさんの表情が一変。「27年やってきて全部が思い出だろ?」と涙声になり、「でもしょうがねぇだろ。辞めざるを得ないんだよ。だって俺も江戸っ子だぜ。中途半端なことやりたくねぇ」と本音を明かします。
そして、この取材から2カ月後、移住先の沖縄を訪ねると、驚きの変化を遂げたジョニーさんの姿が! 続きはぜひ、「TVer」「ネットもテレ東」で。
日曜夜8時50分からは「家、ついて行ってイイですか?」【タワマンに住むラーメン店主&衝撃リフォーム家族】を放送!
▼北千住の銭湯…亡き夫を想う悲しい嘘
▼家系ラーメン店主のタワマン下剋上物語
▼戦国時代を生き抜く!地下アイドル
▼肝っ玉母に届け!リフォーム大作戦
記事提供元:テレ東プラス
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。