コンクラーべで新教皇の時代へ! 世界を動かす「ローマ教皇」の超絶影響力!
歴史上ほとんどの教皇がイタリア人だが、フランシスコ教皇はアルゼンチン出身(両親はイタリア出身)で、史上初のアメリカ大陸出身の教皇でもあった。また、バチカンニュースによれば、フランシスコ教皇が亡くなる前の最後の願いによって、同氏の専用車「ポープモービル」が改造されてパレスチナ自治区ガザ地区に送られ、子供のための移動診療所として使われることとなった
フランシスコ教皇が逝去し、コンクラーベ(教皇選挙)で新教皇レオ14世が選出! ......でも、そもそもローマ教皇ってどれだけ世界に影響力があるの? 宗教と政治の関係を専門に研究する松本佐保教授に話を聞いてみたところ、驚きのエピソードの数々が明らかに......!
■人望を集めた教皇の置き土産4月21日、第266代ローマ教皇フランシスコが死去。現地時間の26日に執り行なわれた葬儀では、世界各地から160の外交団と25万人の人々がバチカン市国サン・ピエトロ大聖堂に集まり、別れを惜しんだ。
葬儀の参加者は、英国のウィリアム皇太子やスペインのフェリペ国王といった王族から、フランスのマクロン大統領やドイツのシュタインマイヤー大統領といった首脳級の政治家たち、国連のグテーレス事務総長......。カトリック信者が多い欧州や中南米の国々はもちろん、イスラム教圏のヨルダンやイラクからも代表が葬儀に参列した。
世界約14億人のカトリック教徒のトップであるローマ教皇の権威が伝わってくるが、それだけではない。宗教と国際政治の関係を専門とする日本大学の松本佐保教授は語る。
「フランシスコ教皇は、気さくで親しみやすい人柄として知られていました。一般信徒との距離も近く、バチカンから出てきて近くを散歩したり、バーで人々と話したりする姿がたびたび目撃されていたそうです。歴史上あまたの教皇の中でも、特に人望が厚かったと言えるでしょう」
また、自伝で「教会はあらゆる信者を歓迎する。離婚した人も、同性愛の人も、トランスジェンダーの人も含めて」と書くなど、リベラルな姿勢も多くの人に支持された。
2019年の来日時には、長崎・広島で核廃絶を訴えたこともあり、先月27日に東京カテドラルで開催されたフランシスコ教皇の追悼ミサには仏教や神道の代表も出席していた。
「フランシスコ教皇がすごいのは、宗教間対話に積極的であるだけでなく、宗教的な問題から一歩踏み込んで、現実に起きている国際政治に立ち向かうところです。ドナルド・トランプ米大統領の不寛容さが表に出てしまっている中、『世界の良心』を代弁してきたと言えます」
実際に、フランシスコ教皇はウクライナ戦争やイスラエルによるガザ侵攻に対しても繰り返し平和的解決を呼びかけていた。
そして、フランシスコ教皇の置き土産か、葬儀に参列したトランプ大統領とゼレンスキー大統領は、遺体が安置されているサン・ピエトロ大聖堂で会談を行ない、「生産的議論を行なった」と発表。ふたりは2月28日に米ホワイトハウスで行なわれた会談で、険悪なムードで口論したことも記憶に新しい。
フランシスコ教皇の葬儀にて、以前の会談とは打って変わって膝を突き合わせるようにして話すゼレンスキー大統領(右)とトランプ大統領。後日、トランプ大統領は次期教皇には「私がなりたい」と冗談交じりに語り、教皇姿の自身のAI画像をSNSに投稿。各所から非難されているが、それほど教皇の権力は絶大ということか
もちろん、ローマ教皇の"力"は人望だけではない。世界で最も小さい国・バチカン市国の元首でもある。
第1次世界大戦時にはバチカンは中立を維持。中立国として捕虜交換の仲介や和平の可能性を探るなどの貢献をした。これがバチカンの「平和外交」の始まりである。実は、日本もこの平和外交に関係があると松本教授は語る。
「第2次世界大戦末期、日本政府はポルトガルや北欧諸国など中立の国々を通じて終戦工作を行なっており、バチカン市国にも協力を求めます。
実際に当時のローマ教皇・ピウス12世が日米和平案を提示し、バチカンに駐在していた日本公使を通じて日本政府に知らせたものの、天皇にたどり着くまでに握り潰されてしまったという経緯があります。この和平案が実現していれば、広島・長崎への原爆投下はなかったかもしれませんね」
和平外交が実を結んだこともある。1962年、旧ソビエト連邦は、カリブ海の島国キューバにミサイル基地を建設。
核弾頭を持ち込み、アメリカ全土を射程圏内に収めようとした。当然アメリカは反発し、キューバ周辺に海軍を展開し、海上封鎖を実施。核弾頭を運び込もうとするソ連の船舶と一触即発の状態となった。有名な「キューバ危機」である。
「当時の教皇、ヨハネ23世は事態の平和的解決を模索しました。アメリカはプロテスタントが優勢な国でしたが、当時のケネディ大統領は史上初のカトリックのアメリカ大統領。アメリカ国内のカトリック・ロビーを通してケネディ大統領とコンタクトを取りました。
また、カトリック教会の組織力を使い、ソ連のフルシチョフ書記長の娘婿がローマに滞在していたことも察知。彼をバチカンに招いて、米ソ首脳を仲介し、核戦争を止める契機をつくりました」
ヨハネ23世の功績はもうひとつある。第2バチカン公会議(1962~65年)の招集だ。公会議とは、世界中から高位の聖職者を集めて、教会全体に及ぶ教義や規律の重要事項を話し合う場だ。
「この第2バチカン公会議まで、世界中どこのカトリック教会でもラテン語でミサが執り行なわれ、中世からのやり方で典礼(儀式)が続けられていました。ヨハネ23世は世界情勢の変化とヨーロッパ以外の信者の増加に合わせて、教会の近代化を目指したんです。
ヨハネ23世は、3年続いた公会議の途中で亡くなりますが、次期教皇のパウロ6世が教会改革を引き継ぎました」
■飛行機に初搭乗! 民主化に命がけ!パウロ6世は、初めてずくめの教皇だったという。
「彼は初めて飛行機に乗った教皇です。第2バチカン公会議で規則が変更されるまで、カトリックの司祭たちにはローマ-ミラノ間の国内線にすら乗れないなど、さまざまな移動制限がありました。その制限を撤廃し、パウロ6世は五大陸を訪問した初めての教皇になりました」
次に教皇になったヨハネ・パウロ2世も特筆に値すると松本教授は語る。
「彼はポーランド出身で、455年ぶりの非イタリア人教皇です。教皇就任8ヵ月後にソ連支配下の母国ポーランドを訪れ、人口の大半がカトリックの同国は彼の訪問を熱狂的に出迎えました。ローマ教皇のポーランド訪問も共産圏訪問も、史上初のことでした。
さらに、彼は共産党批判を行ない、ポーランドの民主化運動に火をつけます。民主化運動を行なっていた労働組合『連帯』のリーダー・ワレサを支援し、ワレサは1983年にノーベル平和賞を受賞、1990年にはポーランド大統領に選出されました」
その影響力を恐れてか、ソ連のKGB(旧ソ連国家保安委員会)はヨハネ・パウロ2世の暗殺を計画。彼は1981年にサン・ピエトロ広場で巡礼者の間をパレード中に銃撃され、瀕死の重傷を負った。
「しかし、その後5ヵ月ほどで公務に復帰し、ポーランド訪問を重ねて民主化運動を激励し続けました。まさに命がけです」
核戦争防止に民主化まで、バチカンとローマ教皇の影響力は想像以上に大きいようだ。
1981年5月13日、サン・ピエトロ広場で銃撃され、側近に運ばれるヨハネ・パウロ2世(中央)。実行犯はトルコ人だったが、計画したのはポーランド民主化への教皇の影響力を危惧した旧ソ連のKGBだったと後に判明。ヨハネ・パウロ2世は腹部と腕を撃たれて瀕死の重傷を負ったが、その後もポーランド民主化の支援を続けた
フランシスコ教皇の死去を受け、バチカンでは5月7日から「コンクラーベ」と呼ばれる、教皇を決める選挙が開催。外界から封鎖されたシスティーナ礼拝堂内で、世界中から集まった133人の枢機卿が投票を行なった。
新教皇が決まるまで投票は繰り返されるが、2日目にアメリカ出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が選出され、新教皇レオ14世となった。
コンクラーベに合わせてバチカンを訪れていた松本教授も、この結果には驚いたという。
「今回のコンクラーベは難航するといわれていたので、2日目という比較的早いタイミングで決まったこと、そして何よりも意外な人選に地元メディアも世界中から集まった信者もびっくりしていましたね。
『意外』というのは、アメリカ出身の教皇が選ばれるのは難しいというのが大方の見解だったからです。なぜなら、アメリカはカトリック(約25%)よりもプロテスタント(約50%)の方が人口比率が高く、カトリックに対する差別の歴史もあります。
実際に、戦前から戦後までカトリックの大統領候補にはブーイングや誹謗中傷が起こっており、バチカンにも報告書が出されていたくらいです」
では、なぜこのタイミングでアメリカ出身の教皇が選ばれたのだろうか?
「まず、レオ14世はカトリックが人口の約8割を占める南米ペルーで約20年間も活動しており、ペルー国籍も取得しています。フランシスコ前教皇も南米アルゼンチン出身だったので、カトリック人口が多い『ラテンアメリカの流れ』のようなものはあったと思います。
また、バチカンや枢機卿の頭の片隅には『トランプ対策』という観点もあったと思いますね。国際情勢を不安定化させているトランプ大統領に対して、情勢を調和しうる教皇として、同じくアメリカ出身の人物が選ばれたという側面はあるでしょう」
ローマ教皇が持つ、世界に対する多大な影響力。新教皇が今後それをどのように振るっていくのか、注視するほかない。
■日本大学・国際関係学部教授 松本佐保(まつもと・さほ)
1965年生まれ、兵庫県神戸市出身。国際政治史学者。90年に慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。97年に英国ウォーリック大学社会史研究所博士課程修了。博士号を取得。名古屋市立大学教授を経て、現職。専攻は国際政治史。著書に『バチカン近現代史』(中公新書)、『熱狂する「神の国」アメリカ』(文春新書)、『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』(ちくま新書)などがある。今年7月に『ローマ教皇と昭和天皇 20~21世紀の日本とバチカン』(角川新書)を刊行予定
取材・文/室越龍之介 写真/Getty Images
記事提供元:週プレNEWS
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